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第3話『非日常の彼女と視線の正体』

 今は授業合間の休み時間だ。

 周りの生徒は次の授業の準備をしつつ友人同士でお喋りを始める。際限なく止まない声はがやがやと響き渡り、活気のある談笑が教室を包み込んでいる。

 そんな中、注射器の針よりもか細く、チクチクと刺され続けるような視線を感じる。たぶんこの視線の先は僕ではなく陽夏に注がれているものだろう。

 少々気にはなるが、用件を訪ねに自ら赴くほどではないだろう。なぜなら聞くまでもなく、心当たりがある。





 今朝の下駄箱の一件で間違いないはずだ。





 きぃー、ばたん。きぃー、ばたん。


 無数の小扉がひっきりなしに鉄の悲鳴ともいえる音が響き渡る。


 かたん、ぱたん。かたん、ぱたん。


 校内用のスリッパへと何も意識することなく履き替える生徒。

 若者特有の生気あふれる爽快ではきはきと挨拶する生徒。

 夜更しで寝不足なのだろう口元を手を覆い、あくびをしながら挨拶をする生徒。

 クラスメイトや友人と自教室へと向かう生徒。


 そんな中、自分たちの日常からはかけ離れた人物から挨拶を掛けられた。


「うんうん、それでさー昨日のテレビが面白かったのー」

「へえ」

「おはようございます、一色いっしきくん、青宮あおみやさん、水海みずうみさん」

「…………」




 様々な挨拶が飛び交い沢山の音が溢れている。

 その声は決して大きい声ではなく、周りの音に押し負けてしまいそうな声である。


 彼女の名前は近衛柿茜雫このえがきせんな

 なぜすぐに気づくことが出来たのだろうか。答えは、並外れた容姿と圧倒的存在感だ。

 その美貌の持ち主はまず会話する機会なんてまず巡ってこないであろう人物。

 同じ学び舎に通っている生徒ならその容姿を忘れられる人は絶対にいないだろう。



「あら、どうかしましたか? 私の顔になにかついています?」

「……」


 三人は完全なる不意打ちに、快く贈られた挨拶への対応が出来ず、ただ口を開けたまま相手の顔を見つめたまま固まっていた。

 だが、そんな事とはつゆ知らずに彼女は言葉を続ける。


「あ、あの、もし良かったらなんですが! す、す、少しだけお話ししたい用件がありまして! お時間頂いても構いませんか!?」

「お、おはようございます! 近衛柿さん! は、はい、私は全然大丈夫ですっ」


 その丁寧な話し方は、会話する相手までもついかしこまってしまう。

 女生徒や女性教師なら、たぶん一度ぐらいは話した事があるだろう。だが、普段会話をしない人物で、しかもあの近衛柿さんから話しかけられれば、流石の陽夏も緊張をするのもしかたがない。


「あら、それはよかったですわ。じゃあ早速その要件のお話しといきたいところなのですが……」


 近衛柿さんも提案を受け入れてもらえるか少し不安があったのだろう。良い返事を貰えて曇り気味だった表情がぱあっと明るくなった。

 だが、その表情とは裏腹に、申し訳なさそうな目線をこちらに送られ、僕は裏の言葉を察した。


「おはようございますー。時間もまだあるし、私もだいじょう」


 美波が最後まで言葉を続けようとするのを遮った。


「あ、ごめん陽夏。そういえばさっきからお腹痛くてさ、トイレに行きたいと思ってたんだよ。それと、美波と話したいことがあったから、ここは一人で近衛柿さんの用事に付き合って貰えるか?」

「なにそれー! 奏音って女子の前なのにでデリカシーなさすぎっ! 早く私たちの前からさっさと消えろー! みなみん、奏音を後で叱っておいて!」


 汚れたものを遠ざけるように、目を細め鼻をつまみながら手で払うように『しっしっしっ』とあしらわれた。


「はいはい、わかった、わかった。汚物はたっいさーん。ほら、美波もいこ」


 美波は言葉を最後まで言わせてもらいないこの状況を理解できていない表情だったが、何も言わずに着いてきてくれた。

 場の雰囲気を和ませることに成功し、陽夏の緊張もほどよく解けたのを確認し立ち去った。


「これでお邪魔虫は退治出来ましたね。それで、用件ってなんですか?」

「ふふっ、お二人はとっても仲が良いのですね。少し羨ましいですわ。眺めているだけで愉快な気持ちで楽しませてもらいました」


 近衛柿このえがきさんは日本人の父、イギリス人の母を持つ。その美しさは日本人場馴れしている。

 世界人口的に見ても極めて少ないとされる神秘的な緑色の瞳。

 明るすぎず、深みのある焦げ茶色のブルネット髪は、日本人の枠からはみ出し過ぎずに上品な印象を感じる。

 その容姿端麗な美しさから学園の中では『妖精』や物語に登場する『エルフ』のようだという生徒。行き過ぎた表現だと思うが、『女神』なんていう生徒も少なくない。

 中にはファンクラブなるものがあるとかないとか風の噂で聞いたことがある。

 だが、極少数ではあるが程よい距離感を保てず、ファンの範疇を超え、それ以上友人未満の関係を望むものを居る。

 護衛ともいえるその存在の生徒は、本人達からすれば善行を働いているつもりらしい。だが、取り付かれている近衛柿さん本人はどう思っているのだろうか。

 少なからずその存在のせいで、まともな友人関係を築けている存在はいないだろう。女子同士でさえ会話を見かけたのも一言二言ぐらいだ。

 ましてや、男子と話しているところなんて一度も見たことがないかもしれない。


「そう……ですね。彼とは中学校からの付き合いなので」

「やっぱり、羨ましいです」

「そんな大それた事じゃないですよ。それで、用ってなんですか?」

「えっと、それでなんですけど、一旦この場から離れましょう」


 あまりにも珍しい光景に見物人が集まり始めていた。



 たったん。たったん。


 奏音は先ほど述べたトイレには用事は無く、美波と教室へと向かっていた。


「美波さっきはありがとね」

「まあいいよー、最初は何事かと思ったけど連れ出された理由は教えてもらったし。それにしてもさっきのはドキッとしたなあ、珍しい事もあるもんだねー」

「ほんとそうだね。しかも一人だったしね」

「言われてみればそうだよねー。それにしても陽夏に用事ってなんだろうねー? 本当に一人で置いてきて大丈夫だったかな?」

「流石にあの近衛柿さんがいびったりはしないと思うけどね? まあなんか頼み事があったりとか? もしかしたら、案外単純なことだったりしてね」

「それならいいんだけどねー、ちょっとだけ心配」


 口止めをされてない限りは後で聞けばわかることだし、この話題はここで終わり。


「あんまり長いようだったら後で見に行くよ」

「よーし任せたっ!」


 美波に背中を叩かれる。この流れで僕たちは教室が別々のため廊下で別れた。




 教室に入るなり、クラスメイトが挨拶を投げかけてきて絡んでくる。

 それに対しいつも通り挨拶を振りまき対応をする。さっきの出来事で今朝の気怠さはどこかへいってしまっていた。


「おーっす奏音」

「うぃーっす」

「あれれ? 奏音くん今日は陽夏と一緒じゃないの?」

「あはは、下駄箱までは一緒だったけど、少し用事が出来たって別れて来たよ」


 数人のクラスメイトに挨拶と一緒に茶化される。

 だが、別に毎日陽夏と二人でセットというわけではない。家から来る方向が一緒なだけだ。しかも、教室までの道のりなら美波も居るというのに。



 奏音は自分の机で何をしようか考えて時間をつぶしていた。



 あれから十分ぐらい経っただろうか。もう少し待って陽夏が帰ってこなかったら、もしかしたらがあるかもしれないから見に行こう。

 一限目の準備も終えたし、読書でもして待つことにしよう。


 だが、読み進めていくにつれて陽夏のことでもやもやして、本の中身が入ってこない。このもやもやを解消させるためにそろそろ様子を見に行っても良い頃だろう。


 奏音は席から立ち上がり、廊下へ一歩踏み出そうとした時だった。


「うわあっ、ごめんなさい」

「おっとっと、ごめん」

「あ」

「あ」


 出会い頭に陽夏が飛び出してきて鉢合わせ、二人とも一歩後方へ退いた。


「あっはは、ごめんごめん、おっまたせー」

「やっと来たか、大丈夫だった?」

「ん? 大丈夫かってなにが?」

「あー、いや何もなかったなら大丈夫」


 心配して損したとまでは言わないが、何も起きていなくてよかった。高鳴る胸を撫で下ろした。

 陽夏は『なになに、どうしたの?』という顔で僕の顔を覗き込んでいる。




「さっきはなんの話をしてたの?」

「あー、えーっとねー。今後のコンテストは出場し続けるのかとか、一緒に練習をしないかとか、それがダメなら練習風景を見させてほしいとかって感じの内容だったよ」

「ほーん、なんだか以外だね」

「ねー、私もそれ思った。けどさー、一応全部断った」

「どうして?」

「だってさー、それっていつも周りに居る人達の仲間入りをするってことでしょ? それってさ、なんだか取り巻きって感じがして嫌だなーって。絶対面白くないし、自由が無さそう」

「それもそっか」


 なにかを大いに勘違いしているような感じもするけども、それも仕方がないのかもしれない。普段の取り巻きの行動を目をつぶるとしても、明らかに横暴とも言える態度で周りに圧をばら撒いて接している生徒が居るのも事実だ。

 さっきの挨拶のやり取りをみるに、近衛柿さんは相手に気を使えて空気を読んだりするのが出来るタイプの人間だと思う。もちろん確証はない。正直判断材料が少なすぎる。


「凄くがっかりさせちゃった感じだったけど。全部断るのはちょっと気の毒だったかな」

「まあ、自分で考えて答えを出して、それが断る形になったとしても自分の意思を伝えたんでしょ? 返答を聞いて相手は納得してくれたの?」

「うん、快く受け入れてくれたって感じでは無かったけど、納得はしてくれてたよ」

「言葉に相当なトゲが無かったら特に問題はないんじゃない?」

「そうだよね。言い方には問題なかったと思うから大丈夫だと思う」


 それにしても近衛柿さんの意図が読めない。

 たぶんタイミングはあまり関係無さそうだが、どうして陽夏なのだろうか。たしかに、コンテスト関係での話ならなんとなく理解は出来る。一学年時のコンテストでは陽夏は近衛柿さんと並ぶような成績を残している。

 だが、逆を言えば一番近しいライバルでもある。そんな相手に『これから一緒に頑張りませんか?』なんて提案はおかしい気がする。

 それとも何の悪意も意図もなくただのお人好しなのか、それともただ友達になりたいだけか。

 前者ならもはや、本当に女神なのかもしれない。それはそれで僕も今後は考えを改めるとしよう。

 後者だった場合、誘い方が独特過ぎるような気もする。あそこまで周りから慕われているというか崇められているような存在がそこまで回りくどくする必要があるのだろうか。




 あの視線は休み時間ごとに感じる。さすがにずっとというわけではないが、どことなく動向を窺われているような感じがする。

 陽夏との会話中、紗雪に連絡を入れようとしていた時だった。


「あのさ、今日も紗雪のお見舞いにお菓子とか買っていくの?」

「そのつもりだけど、どうかした?」

「じゃあさ、そのお菓子選び私も行っていいかな?」


 たぶん陽夏なりに前に進むことを決めたということだろう。二人が前みたいに話せるようになるまでにそこまで時間が掛から無さそうだ。


「そっか、いいよ。一緒にいこ」








 昼休みになり、早速昼食を摂ることにした。

 いつも通り陽夏が寄って来る。


「ごっはん♪ ごっはん♪」


 鼻歌交じりに何のためらいもなく空きの机を借りて正面に自陣を構える。


 周りの目を気にせずいつもこんな感じだからいつも茶化されるんだよなあ。

 弁当を鞄から取り出すが、なにやらまだ鞄の中を探っている。


「あっちゃー、今日飲み物持ってくるの忘れちゃった。ごっめーん、自販機に行ってくるから先に食べちゃってていいよー」

「お、じゃあついでに僕のも……あ、いや一緒にいこ。丁度今のが無くなりそうだから買いにいきたかったんだ」

「あ、ほんとー? じゃあいこいこー!」


 陽夏はあの視線に気づいていない……か。

 廊下ですれ違う時にも敵視に近い圧を感じる。遅からず数日中にはあちら側から話しかけて来そうだ。





 本日の授業も終わりホームルームの時間になった。


「はーい、連絡事項は以上になります。それでは皆さんまた明日も元気に会いましょう」

「起立、礼」


 今日の学校は終わり、足早に帰る生徒、友人と井戸端会議を始める生徒、部活へと向かう生徒。



「じゃあ陽夏、買い出しに行こうか」

「そうだねっいこいこ!」


 自分達も他の生徒に習い教室を去ろうとした時だった。


「ちょっと、そこの二人待ちなさいっ」


 二人の背中に威勢のいい声が飛んできた。


(とうとう来たか。まさか今とは)


 奏音は足を止め振り返る。

 他の生徒は関わりたくなさそうにもう一方の出入り口からそそくさと教室を後にする。


「どうかしましたか? 春夏冬あきなしさん」

「どうかしましたか? じゃないわよ! いったいあなたは何様のつもりなの!?」

「そんなこと言われても、何に対して腹を立てているのか説明をしてもらえないとこっちも答えられないよ。良かったら僕達が君の機嫌を損ねてしまった理由を教えてくれないかな?」

「そうよそうよっ」


 声の主は春夏冬真依あきなしまいだ。


 僕は至って冷静だった。

 まさか今日中に話しかけてこないと思っていたけど、どう対処するかは考えていた。出来るだけ温厚に、相手の機嫌を悪化させないように。


「一色くんは別に何も用はないんだけど、用があるのはあなたよ、青宮さん」

「え、私? 春夏冬さんを不機嫌にさせちゃうことなにかしちゃった?」

「なにをとぼけてるのよ! あなたいったいどういうつもりなの!? 神様にでもなったつもり? 忘れたなんて言わせないわよ、私はしっかり知ってるんだから!」

「?」


 やはり、今朝の事で間違いなさそうだ。


「青宮さんあなた、今朝、近衛柿様と二人っきりでお話ししてたでしょ!」

「さまって……ええ、確かにその機会はあったけど。それがどうかしたの?」

「もうそれ自体が問題なの! 近衛柿様と二人だけで話すなんてダメなの! 何を話していたかは分からないけど、近衛柿様が気落ちされていたように見えたんだけど!?」

「そんなこと言われても、私は話しかけられただけだし……それに何も意地悪なんてしてないよ」

「話しかけて貰えただけで光栄に思いなさい! 今後はあなたから近衛柿様に近づくのはやめてちょうだいね。それじゃ」


 春夏冬さんはほぼ一方通行な会話を終え、抱えていた不満を爆発させて満足したのか、つんけんした態度で僕達の前から足早に立ち去っていった。




 太陽も傾き始めている。

 急ぎ買い物に行かないと紗雪との時間がなくなってしまう。


「さっきのってわざわざ言うこと? 春夏冬さんの言ってることめちゃくちゃな感じだったけど、なんか感じわるーい。近衛柿さんの親衛隊がかなんだか知らないけど、あっちこそ何様のつもりなのかな?」

「まあまあ、そんなにかっかっしないでさ。気持ちを落ち着かせないとしっかりお菓子選び出来ないよ」

「……ただのお菓子選びじゃないもんね。――そうだよね、うん、もう大丈夫」


 陽夏の機嫌も戻ったみたいで良かった。




 深い青空の下、二人は買い出しの道のりへと歩き始めた。

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