「…………は……よう……だよ……」
大分寝たような気もするけど、まだ夢の中なのだろうか。
「朝……よ。そろそろ……」
天使に囁かれていて心地良い。癒される。間違いなく夢の中だ。
きっと、昨日紗雪の可愛い寝言や寝息を存分に堪能しながら寝てしまったから、そのまま夢に出てきているのだろう。
しかも、どことなく優しい眼差しで見守られている感じがする。僕の寝顔や寝息を眺めて楽しみながら微笑んでいるに違いない。
きっと同棲したら毎朝、こんな最高な起こし方をしてくれるのだろう。せめて今だけはこの時を楽しむことにしよう。
「おはよーう奏音くーん。朝だよー?そろそろ起きないと遅刻しちゃうよー」
「ん?」
夢の中にしては、大分鮮明な声が聞こえるような気がする。
(あれ。これもしかして夢じゃない?)
「んあ」
「あ、やっと起きた。」
まさかの通話を切り忘れたまま寝てしまったらしい。最後は画面を触って切ったはずなのに。
視界がハッキリしてきてスマホに目線を送ると、見守られている感覚の正体がわかった。
ビデオ通話に切り替わっていたのだ。
しかも、寝る時にスマホスタンドにセットして充電をしたから、自分の寝顔に対するカメラアングルはバッチリだった。
そう考えると、紗雪はいつから起きていたのだろうか。まさか小一時間ぐらいずっと見られていたのだろうか。
自分が堪能するなら大歓迎だが、誰かに見られるのは流石に恥ずかしくて仕方がない。
「……あれ? お、おはよう」
「おはよーう。そろそろ支度したほうがいいんじゃない?」
「ごちそうさまでした」
「なにそれ、寝ぼけてるの? ほら、起きて起きて」
「そう、だね。――起こしてくれてありがとう」
体を伸ばしながら大袈裟にあくびをして、恥ずかしさを誤魔化した。
紗雪には僕が羞恥心を隠しているのがたぶんバレているのだろう。
「なーんと、今日の朝ご飯は納豆ご飯みたい。一緒だねっ」
「お、偶然だね」
「ねー。じゃあそろそろ切らないとだね。ちょっと変かもしれないけど――――いってらっしゃい」
「うん、いってくるよ。また放課後になったらそっちに行くからね」
「うん、待ってるね」
むず痒い感覚を残し支度を始めた。
少しだけ顔を赤く染め恥ずかしがっている紗雪を見て、朝から至高のひと時となった。
カーテンと窓を開けると朝日が差し込み、目を細めてしまうほどぱあっと部屋一面を照らしだす。
さらさらと澄み切って美味しい空気が肌を撫でる。べたつきもなく心地良い風がふわっーと吹いてとても爽やかな朝だ。
こんな日にはピクニックやお花見などのアウトドアを楽しみたい。
昨夜話題に出ていた納豆ご飯を食べ終え、登校準備を整える。
御年二年目になる俺の登下校を支えてくれるマイシューズに足を通す。
入学祝のついでに買ってもらったこの靴もそろそろ底が減ってきている。そろそろ新しい靴を予備として買っておいても良い頃合いだろうか。
近いうちにショッピングモールにでも見に行くとしよう。
スマホのメモに記入しながら鍵を閉め、家を出る。
ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。ぴょーっ、ぴょー。
ちゅんちゅん、ひよろろん。ちゅるる、ちゅんちゅん。
庭で小鳥たちが元気にうきうきと楽しそうに会話をしている。
陽だまりのなか心が和み、足取り軽く進み敷地から出た。
目線を少し高めると突き抜けるように澄んだ青空が広がっている。春風はちらり、ちらりと桜の花びらを運んでくる。
歩き進んでしばらくすると、後方から少し高めで張りがあり、耳馴染みの声が勢いをつけて駆け寄ってくる。
「おっはよー! 奏音! 昨日はありがとうねっ!」
「あー、おはよう。相変わらず元気いいな。てか痛い」
背中に平手を食らわせながら威勢の良い挨拶をくらわされた。
寝不足気味にあくびをしながらうすら涙を浮かべて挨拶を返す。
こいつは
初めての出会いは中学二年の夏だった。
僕と陽夏はそこからの付き合いで、紗雪ともその時から友人関係を築いている。
「春のコンテストには出るのか?」
「うん! もっちろんっ! やっぱり歌手を目指すなら、絶対に一回は優勝はしなくちゃいけないしね」
「そっか。応援してるよ」
「一年生の時は全部三位だったし、ちょーーー悔しいし!」
一年生の時は少しでも目標に近づくためにコンテストに参加していた。だが、結果は一度も三位から上の順位に上がれることはなかった。
年三回開催するコンテストで、圧倒的存在感と歌唱力を披露した
同じく揺るがない安定感と透き通る声で聴衆を虜にしてしまう
当の陽夏も能力がないというわけではない。
明るく天真爛漫な性格を活かす曲で手持ちで、歌い手だけでなく聞き手までもが元気が湧いてくるような魅力がある。
だがしかし忘れてはいけない、昨日の紗雪との大切な時間を奪ってくれた張本人だ。
授業で出された課題の提出日が次の日までだということを忘れていて、それに付き合わされていた。
一つだけならまだ苦労せずに終わらせられたが、まさかの日程全教科で課題が出ていて、全部終わってないという。
正直怒りたい気分でもあったが、そんなことをしても仕方がないし、放っておくには少し可哀そうだったからつい全部手伝ってしまった。
「もう昨日みたいなのは、急じゃなくて事前に言っておいてくれ」
「ごめんねーっ、またあるかもしれないから、その時はそうするよー」
「いやいや、次もある前提で話すなよ」
「やっぱり怒ってるよ……ね。数日ぶりに紗雪と会える日って言ってたもんね」
「別にいいよ。そんなに気にしてないから。むしろ感謝してるよ」
(昨夜は疲れて早く就寝モードに入ったおかげでいいものを堪能できたしな)
「? ほんとごめんね……それで、紗雪どうだった?」
「あー、そういえば紗雪が入院してから最初の一回だけしか行ってないんだっけ?」
「そうなんだよね。まだ全然行けてないんだよね。勇気が出なくて……元気な姿が頭に焼き付いているから、紗雪の顔を見るとあの時の……また、苦しんでいる姿を思い出しちゃって……ね」
あの時のことは忘れられない。
紗雪が倒れた時、周りに居た生徒も騒ぎを起こしていたが、その中で誰よりも取り乱し泣き崩れていたのは陽夏だった。
僕は別のクラスだったから、騒ぎを聞きつけつけて駆け寄ったときには紗雪は気を失っていて、救急車で運ばれるときだった。目の当たりにした状況に気が動転しそうだった。
だが、それと同時に沢山の感情が一気に流れ出て陽夏も気を失ってしまった。取り乱している姿は見るも絶えないものだった。
そんな状況で自分の心の整理をつけることは出来なく、陽夏を保健室へとは運ぶことしかできなかった。
「そんなに心配しなくても紗雪は紗雪のままだよ」
「そうなんだ……よかった。本当に良かった」
「心配してくれてありがとうな」
「なーんで奏音くんに感謝されないといけないのよ」
「まあ、一応彼氏だしな。それに自分の彼女に、こんなに心から大切に想ってくれる親友が居るって、なんだか誇らしいっていうか感謝してるっていうか」
「何よそれ。惚気話なら他所でやってくださーい」
「それはそれとして、今度会いに行ってあげてほしいな。絶対に紗雪も会いたいと思ってるよ。もし、一人で行くのが怖いなら、僕も一緒に行くから」
「うん。心の準備が出来たら、近いうちにお願いするね」
以前紗雪と陽夏のことで話した事がある。
紗雪も自分が倒れた時、陽夏が混乱して取り乱している声が聞こえていて申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
互いにその気持ちを素直にぶつけ合えばいいのに。
大切な人が目の前で苦痛に倒れる姿を見てしまってはトラウマものだ。簡単に忘れられるはずがない。陽夏には時間と乗り越える勇気が必要だ。
僕が間に入って、二人の距離が少しでも縮まるようにしてあげたい。紗雪は陽夏にとって、陽夏は紗雪にとって大切な友人同士なのだから。
学校に近づいてくるにつれて賑やかさが増してくる。
寝坊してドタドタと焦り駆けてくる生徒や、友人たちに挨拶をし軽快な足取りな生徒。
そんなこんなしていると校門で挨拶当番の教師が爽やかな押し売り挨拶をばら撒いている。それに応える挨拶は強制的に元気を支払わさられている気分になってだるい。
朝はこう、少し気怠い感じに「おーっす」とか「おはよー」とか軽く濁す感じが一番だと思う。
生徒より早く来ている先生方にはご苦労様と称賛を誰か送ってあげてもいいんじゃないかと思うが、もちろん自分がするという選択肢はない。
「おはよー陽夏、と奏音くん」
「おっはよー! みーなみん!」
「おはよ」
毎日の恒例行事になっている陽夏の飛び込み抱き着き挨拶。
彼女は
いつものことでもはや動揺すらしなくなっている美波は淡々と話しを続ける。
「奏音くんは相変わらず朝は少しテンション低いねー」
「そうか? 逆に陽夏とかがテンション高すぎるだけな気がするんだけど」
「確かに、それ言えてる」
「何やら良からぬことを話しているなー!」
どちらかというと美波も同類だ。
意気投合する二人の会話を聞いた陽夏の高いテンションに拍車をかけた。
「先生おっはよー!」
「おはよう青宮! 水海! 一色! 今日も元気があってよろしい」
こういうのは陽夏に任せてしまうのが正解だ。元気な奴を隣に置いておけば、同じく元気のある人物だと認識され解決する。
挨拶運動を無事回避し、校門を通過していく。
数人のクラスメイトや同学年の生徒に会い、女子は元気のよい挨拶。男子からは願望通りの挨拶を交わす。
流石は男子諸君。大体の人間はまともな睡眠時間と確保していないに違いない。不健全極まりない。流石同志たちよ。でも、あれだ、スポーツ系男子だけは別種族だ。彼らは睡眠不足でも太陽の様に眩しい笑顔と挨拶をしてくる。同じ人間なのか?
変わりない日常が今日も始まる。