目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第1話『僕と彼女の』

 県立病院に向かっている。


 さらり、さらり。ふわりふわーり。

 さらり、さらり。ふわーりふわり。


 優しく肌を撫でる風が吹いている。


 ふんわりと心をも撫でる流れに便乗するように、桃色の花びらがぱあっと舞い踊っている。花びらたちは楽しそうに「ふふふ、キミも一緒にどうだい?」と笑い声を交えながら聞こえてきそうだ。

 草や花は「私たちも一緒にまぜてほしいな!」と右に、左にゆらりゆらりと揺れながらハミングをしている。

 目を細めたくなるぐらいの陽射しは辺りを包み込み、太陽が優しく見守っているようだ。


 優しく撫でられるような風に背中を押され、院内へ入る。




 手続きを終え、歩き出す。

 院内は清潔感のある内装が道なりに続いている。


 一色奏音いっしきかなとは、かたん、ぱたん。かたん、ぱたん。と規則正しい靴音をたてながら、入院している女性のところへ向かっている。






 コンコンコン


 黄褐色でインテリア風の扉を叩き、中の人からの返事を待つ。

 ノック後間も無く「はいっ、ちょっと待ってください!」と少し慌ただしい声が返ってくる。

 数十秒ぐらい待った後に「いいですよ、どうぞ」と耳馴染みのある声で快い返事がきたので扉に手をかけた。


「お待たせ……これ、お見上げ買って来たよ」

「ありがと。ほんと待ったよ、数日ぶり――だよね、会いたかった」


 数日ぶりに顔を合わせた二人は真っすぐに目線を交わせないで、どこどなくぎこちない雰囲気を醸し出している。


「新学期始まってここ数日いろいろ忙しくてさ、ごめんね。けど、毎日連絡とったり、ビデオ通話はしてたよね?」

「それは、そう……なんだけどさ。――そうだよね、わがまま言ってごめんね。はぁーあ、もう始まっちゃったんだねー、担任の先生ってどんな感じだった? クラスはどう? クラスメイトは?」

「謝罪されたと思ったら急な質問詰めって、感情の浮き沈み激しすぎない?ちなみに去年B組の担任だった梶先生だよ。先生結構温厚そうだし今年は楽に過ごせそうって感じ? クラスはまあ、普通?」

「そうなんだー。あーあ、せっかく同じクラスになれたのに、こんなところにずっと居なきゃいけないのはたーいーくーつー」


 目の前で不服を漏らしているのは俺と恋仲にある白森紗雪しらもりさゆきだ。

 トレードマークとなる髪型はなく名前とは真逆で、ピアノの黒鍵のような艶があり、まとまりのある毛先をした髪をサラっと流れている。

 現状に対する不満が溜まる一方で、吐き出す場所がなく窮屈に感じていのだろう。かれこれ四年目の付き合いの彼女とは中学一年生の時に出会った。


 紗雪はなぜこんな入院生活を送っているのかというと、それは去年の三学期授業中の出来事だった。

 突如胸のあたりをぐうっと締め付けられるような苦しみを訴え、その痛みが治まらず呼吸困難になりそのまま救急車で運ばれた。その一件から闘病生活と暇を持て余す退屈な日々が始まってしまったのだ。


 以前までの学校で魅せる彼女は、凛とした雰囲気を身に纏い、その物腰が柔らかい立ち振る舞いは周りの生徒が目標にするほどだ。

 だが、二人でいる時は年相応のノリが良く可愛らしい反応をする。入院生活が始まり周りの目を気にしなくなった彼女は、自分の感情に素直で気兼ねなく話せてとても楽しんでいるようにも見える。


「授業の内容は送られてくるから良いけど、あの授業中でしか味わえない、私、学生してるっていう雰囲気が無いのがつまーんなーい」

「俺はこうやって二人だけで勉強できることが嬉しいんだけどなあ」

「それは、私も嬉しいんだけど…………ん、もう、その言い方ずるいっ!」


 二人は仲睦まじく他愛のない談笑を続けていた。

 窓から入り込む優しく辺りを照らす光が、一日の終わりを告げ、夜を誘うような淡い茜色の光に世界が包まれていく。


 この時間はお菓子を摘まんでいる。

 紗雪は特に食事の制限をされているわけでもないので、両親が置いていく食料や俺がお土産として持ってくるデザートを食べる。


「今日も終わっちゃうね。なんでこんなに時間が経つのが早いのかな。会えない時間の方が長くて嫌になっちゃう」

「面会時間の制限もあるからね。ここに一緒に住めたら面白いかもね。けど、そんなこと出来ないから土日までフラストレーション貯めとこうよ」

「たしかにっ!」

「それにここで話すのが終わりってだけで、このあとスマホでビデオ通話するじゃん?」

「そうだけどさー、体温を感じる距離で話せるって安心するし、すっごく大切なの」


 小恥ずかしそうに話す紗雪を片目に、スマホを取りだし時間を確認をする。

 そろそろ面会終了時間の二十時になってしまう。


「そろそろ時間になるから帰らなきゃ」

「えー、もうそんな時間? ――じゃあいつもの、し……よ?」


 紗雪はこちらに両腕を差し出して物欲しそうにおねだりのポーズをしている。

 別れ際の恒例行事になっているが、何回やっても気恥ずかしさはなくならないものだ。別れを惜しむように優しくハグを交わす。


「明日も絶対来てね」

「うん、わかった。絶対に来るよ」


 腕の中に居る彼女からは、清潔感の感じる石鹸の香りがする。

 艶のあるサラサラとした髪からは馴染み深いシャンプーの匂いが安心感を与えてくれた。

 約束を交わし、別れを告げて退室した。






 帰宅するまで歩きながらアプリで連絡を取り続けたりするが名残惜しい。

 紗雪の服に着いた残り香が寂しさをほんの少しだけ紛らわせてくれる。




 個室で一人っきりの時間が大半で暇を持て余しているのだろう。時間の潰し方なんていくらでもあるだろうに、寂しがり屋なものだ。

 だが、それもしょうがないのかもしれない。いざ、自分が逆の立場になった時、一日の大半を誰とも話すことなく過ごすというのも退屈で仕方がなさそうだ。

 そんなこんな言ってる俺も紗雪と話している時が一番楽しいし、幸福感に包まれる。

 普段人前では凛とした女性を装い、誰とでも分け隔てなく接し、優等生役に徹していた生活から離れられて、逆に悠々自適な日々を過ごせているのかもしれない。






「今日は何食べるの?」

「ちょっと疲れて時間かけたくないから、氷入れて冷やしそうめんにしてみた」

「わー! いいな! 私も久しぶりに食べたいな。調味料は山葵派? 生姜派?」

「山葵派だな。ついでにきざみネギとか入れて啜るのがいいんだよな」

「うわー! それわかるー! てか、私もその食べ方が一番好き!」


 紗雪は映し出されている食べ物に食らいつく勢いで話しを進め、晩御飯を見せ合いながら遅めの食事が始まった。

 本来はこの時間に晩御飯は食べられない。だが、要望を出したところ許可をもらい特別に遅らせて貰っている。


 不思議にこれでもかってくらいに互いの好みが合う。

 一緒の時間を多く過ごしていたせいなのか、全く同じ環境で育ったわけでもないのに、好みだけではなく考えていることや似た行動をしたりする。

 例えば僕が集合時間より三十分早く来てしまったとき、紗雪もまた三十分早く来ていて偶然出会うことが出来たということがあった。

 その他にも今食べたいものを当てるゲームをした時に、もちろん互いに同じものを選んだことも多々ある。


「あーもう、もっといろんなもの食べたい。こうなったら今度のデートは食べ歩きにしようっ!」


 画面越しの紗雪は、意気揚々に右拳を天井に向かい掲げている。


「病院で出るご飯じゃあやっぱり物足りない感じ?」

「う~ん、まずくないし、バランスも良くて問題は何もないんだけど。やっぱりもーといろんなものをたっくさん食べたいっ!」

「どうせ、ご飯終わった後デザートとかお菓子食べるんだろ? 太っても知らないぞー」

「人を食いしん坊みたいに言うのやめてよ。食欲があるだけ食べていいって先生言ってたんだからっ」


 ぷいっと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 ちょこっと怒って拗ねた紗雪もまた可愛い。つい少しからかってしまう。


 コンコンコン


「紗雪ちゃーん、入って大丈夫ー?」


 扉の向こう側からでも透る声が聞こえて来た。


「はーい、大丈夫ですよ」

「それじゃあ、失礼しまーっす」


 若々しい少し高めの声のテンション高めな人が入室してきた。

 その人は紗雪の担当をしているナースの梁守千明やなもりちあきさんだ。


「あらー? 奏音くんとお電話中だった? お取込み中ごめんねー」

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。それに今更じゃないですか、千明さんも奏音くんとも面識あるじゃないですか、それに通話してるって分かってて来てますよね?」

「ふふっ、バレちゃった? 最近反応が薄くなっちゃってお姉さんなんだか寂しいなあ……最初はあんなに可愛い反応してくれたのに」

「あー! あの時のことはもう忘れてくださいー!」


 画面越しに顔が真っ赤に染めながら、顔と腕をぶんぶん振っている紗雪の反応がとても可愛くて眼福である。

 こちらに向かいウインクをしながら親指を立ててサインを送ってくるのを見るに、完全に狙ってやっていることがわかる。ナイスだ、千明さん。ありがとう。


「はい、これお薬ね。食器片づけちゃうねー。それではお二人でごゆっくり~、夜更かしは体に毒よー」


 満面の笑みで立ち去る千明さんに紗雪は「もう! 早く行っちゃえー!」と怒を背中に投げつけている。


 年齢もさほど離れていないでだろう千明さんは紗雪とは本当の姉妹と違わない関係性になっている。

 親の前でも滅多に素の表情や感情をさらけ出さないのに、紗雪にとっても数少ない心を許せる存在になっているのだろう。

 たぶん、紗雪が退屈で寂しい入院生活でめげなずに居られるのはきっと千明さんのおかげだろう。


 奏音も食器を洗い終え、着替えも済ませ自室へと向かう。

 自室に着くやすぐにベッドへ吸い寄せられるようにすうーっと倒れ込む。


「あれ? 今日は勉強はしないの?」

「んあー、今日はいいやー。宿題もないし疲れることがあったから早めに休みたいなーって」

「そっかー。じゃあ、私も勉強やーんない。私も寝るー」


(なーんだ、今日は勉強やらないんだ。今日はまだまだ時間あるのに勿体ないな。数日ぶりに会えてすっごく嬉しかったのに残念。だけど、私も数日ぶりに気持ちが昂っちゃって疲れちゃったかも? ちょうどよかったのかな、でももう少しだけ、あと少しだけ……)


「ねえ、もう寝ちゃった?」


 寝ると言っても、このまま通話は継続している。

 このままどちらかが返事がないか、寝息が聞こえてきたら起きている方が通話を切断するようにしている。たまにそのまま二人とも寝てしまい、朝まで接続したままになっていることもある。


「ん、まだ起きてるよ」

「よかった」


 小声で囁き掛けてくる紗雪はとても可愛い。

 この可愛いを堪能しないでどうする? 疲れているからといってすぐに寝てしまうのはもったいない。


「明日の朝ごはん何食べるの?」

「んー……納豆ご飯でも食べよう……かな」

「あーいいね。私も食べ……たい……な」




 睡魔に導かれるまま、うとうとと会話を数分続けていたら、返答の間隔が互いに空くようになってきた。


 些細な内容でも「んーふふ」と軽い吐息を混ぜながら軽く優しい反応が返ってくる。

 そんなやりとりを続けているうちに、聞いているだけで癒されるすぅー、すぅーと寝息が聞こえて来た。


(うわー、なにこれ最高過ぎるんだけど? このまま朝まで聞いてたいんだが?)


 こんな安らぎの時間をこのまま堪能し続けて、通話を切り忘れて眠りについてしまった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?