「第二王子殿下!お久しぶりでございます!」
「僕はもう王子じゃなくてただの伯爵になったと聞いたろう?でも元気そうでよかった。久々に話をしたかったんだ」
「そうでございましたね。失礼いたしました、エディオ伯爵様……。お幸せそうでなによりです」
そう言って頭を下げたのは、ハルベルトの元従者の男だった。少し老けただろうその男の瞳には未だにハルベルトへの忠義の光は消えていない。そんな元従者に、ハルベルトは近況を口にするのだった。
***
学園を早期卒業したハルベルトは、王籍を返還し伯爵位をもらうため手続きをおこなっていた。なぜ伯爵位かといえばそれが
王妃はもちろんアレクシスも協力してくれたので書類関係は順調だったか、なにせあの国王だけが悪あがきをやめなかった。
「お前が王族をやめたらどうなると思っているのだ!」
「僕がいてもいなくても、次代の国王はアレクシス兄上です」
「だがっ!補佐する人間がいなくては……」
「そのことなら宰相も納得済みです。シラユキ皇女もアレクシス兄上を支えて下さるそうです」
「オスカーの再教育は……」
「それは元々僕の仕事ではありません」
「ほらっ!王族がいきなり伯爵になったらなんか目立つし!生活水準が下がると苦労するっていうし!」
「僕の
「りょ、領地なんかやらんぞ!」
「構いません」
「住む屋敷だって!もちろん金もやらんぞ!王家を後ろ盾にできるとでも思っているのか?!こうなったら親子の縁も切るぞーっ!」
「父上からは何も頂くつもりはありません。もちろん後ろ盾も。ただ王籍の返還を認めてくださるだけでいいのです。お望みなら縁切りも厭いません」
「ぐぬぬぬっ……!」
何を言っても冷静に切り替えしてくるハルベルトに対して国王は顔を青くしたり赤くしたりしている。この次男が一度決めたらとことん頑固になることはよく知っているが、それでもハルベルトを手放したくない国王はなんとか説得しようと口を開くのだが、惨敗であった。
「……父上、ここはひとつハルベルトに試練を課してみるのはいかがです?」
進まない話の中、アレクシスがニヤリと口角をつり上げる。
「ぐぬぬ……し、試練だと?」
「そうです。その試練を突破出来たならハルベルトの願いを叶える。ダメだったなら父上の言う通りにする。────そうだな、期限は半年……いや、3ヶ月だ。ハルベルト、どうする?」
その試練の内容にはひと言も触れずにアレクシスはハルベルトに問うた。その試練を受けるか否かを。だがハルベルトの答えは決まっている。
「もちろん、受けましょう」と。
ちなみに国王の事はガン無視した。特に意見を言わなかったので。
というか「え?試練ってなにそれー……え、ぐぬぬっ?」としか言わないので面倒臭くなったアレクシスがその口を手で塞いでいたからであるが。
ちなみにその場にいた王妃とシラユキはひそかに拍手を送っていた。アレクシス、グッジョブ!と。
とりあえずはこれでハルベルトが試練を突破したならば国王はその願いを叶えねばならない状況に追い込むことが出来たからだ。そのへんの権限もアレクシスに与えられていたならば楽だったのだが、さすがに王族個人に関することまでは自由にできないのだ。だからこそ、国王自身に了承させる必要があるのだった。このままでは意地でも認めないだろう父王を説得するためにもハルベルトは行動するしかない。
こうして、アレクシスからかなりの無理難題として与えられた試練だが……。それが、最近傾きかけているエディオ伯爵領を立て直すことだったのだ。
エディオ伯爵領は国の端っこにある小さな領地だ。とりあえず住むのには可もなく不可もなくだが、特産物もなく観光地もない平凡な土地だった。税金の支払いだって毎年ギリギリで領民も離れつつあるその土地は少しづつ寂れていくしか無い。そして今はかなり崖っぷちな領地となっているが────ハルベルトがそれを変えた。
ハルベルトの手腕は目をみはるものだった。奇跡としかいいようがないが、それは全てハルベルトの実力だ。たった2ヶ月でエディオ伯爵領を立て直して、栄えさせたのだ。
ハルベルトは地形を読み、最低限の資金で領地内にオンセンを掘り当てた。その際にはシラユキ皇女にも助力を願い、オンセンの判別をしてもらったのだが「最高ですわ!」とお墨付きをもらい、ラース国初のオンセン街として認定されたのだ。さらにこのオンセンの成分が疲労回復に効くとわかると旅の行商人が仕事の後に立ち寄るようになり、ついでに倭国との業務提携によりオンセンたまごとオンセンまんじゅうを売り出したのだがこれまた大ヒットした。
国益をもたらすにはもう少し時間がかかるだろうが、アレクシスの出した試練の内容からしたらお釣りがくる成果であった。
この結果にエディオ伯爵は大感激し、まだ幼い跡取り息子が成人するまでの期間限定でいいならとハルベルトを代理人とし“エディオ伯爵”を名乗る事を許可してくれたのだ。ついでに生活するための屋敷も。ちなみにオンセンの収益金の1割はハルベルトに入る契約である。その辺の細かい所は国王が突っついてこないようにアレクシスが手を回したが、ハルベルトの仕事ぶりは見事なものであった。
「これで、試練は突破ですよね?」
報告書を差し出し、にっこりと微笑むハルベルトに国王はまたもや「ぐぬぬっ」としか言えなかった。
「俺の弟は優秀だなぁ。さぁ、約束通り今日からハルベルトは王族ではなくただの伯爵だ。これで
「……ありがとうございます、兄上」
背後で「やだやだ、親子の縁も切っちゃやだ~っ!」と叫び声が聞こえたがそっくり腹黒兄弟はにっこりと無視した。
こうしてハルベルトは
次にハルベルトが動いたのは
セレーネ本人は全く気付いていなかったようだが、実はセレーネは非常に人気がある。公爵令嬢にして頭もよくあの美しさだ。よからぬ事を考える者が一定数いてもおかしくない。一応は王子の婚約者だったので表立っては何もなかったが、その王子が浮気三昧で婚約者をないがしろにしていると噂が立ちセレーネを軽視する視線が増えていたのだ。
そこに、あの騒動と婚約破棄だ。
いくらオスカーの有責だとはいえ、『王子に浮気されて婚約破棄されたキズモノ令嬢』というレッテルがセレーネの価値を下げたと勘違いした輩がそろそろ顔を出す頃だと思ったハルベルトはその輩共をリストアップして一人ずつ潰して回っていた。純粋にセレーネに憧れるだけなら見逃してやる……ことはないが、なんらかの行動を起こそうものならそれはもうプチッと潰した。もちろんそれが女であっても同じだ。証拠を残さないように
中にはハルベルトの事を色白なことや穏やかな顔から「ひ弱な地味王子」と馬鹿にして暴力を振るおうとしてきた奴もいたが、実はハルベルトは騎士団にも引けを取らない実力の持ち主であり学生程度なら片手で捻り上げるのなど簡単だった。だがその実力を知っているのはアレクシスくらいで公表もしていない。だからハルベルトは『ひ弱な地味王子』なのだ。
軽くのされた相手がなにか言っているが、ハルベルトはにっこりと笑顔で対応するだけである。
「こんな“ひ弱な男”に簡単にやられたと、自ら公表されたいのならどうぞ?僕が勉強は出来るけれど兄王子と違ってひ弱だというのは有名ですけれどね」と。
力自慢の脳筋はだいたいこれで口を閉じた。余計な事を言ったらどうなるかを体に叩き込まれた者はハルベルトの笑顔に震え上がるようになる。調教は完璧だった。
普段からハルベルトの事を馬鹿にし「腕力ならあんなひ弱王子に負けない。地味で頭でっかちだし兄王子の出涸らしだ」と、未だ王家の色を持たないハルベルトなら馬鹿にしても罰せられないと信じているのだ。昔はそんな奴らを相手にするのが面倒で放置していたハルベルトだが、今となってはその風評被害を喜んでいた。そのおかげで王族をやめても周りの貴族からは反対意見が出ないからだ。そして極一部の真実を知っている者たちからしたら、ハルベルトの邪魔をすると恐ろしい目に合うことを知っているので口出しはしてこない。
邪魔さえしなければ、想定以上の仕事をしてくれるのだから。触らぬなんとやらに祟りなしである。
そして、ハルベルトはセレーネの前に姿を現した。セレーネの周りは静かで彼女が平和に過ごせていたことにホッとする。
さすがのハルベルトも告白するときは緊張した。緊張し過ぎていつも持ち歩いている日傘も忘れてくるくらいだ。だが、緊張のせいで日差しの暑さも肌の痛みも感じなかった。
果たしてセレーネは自分を受け入れてくれるのか。これだけはどれだけ勉強してもわからなかった。嫌われては……ないと思う。友達だと認めてくれているとも。だが、恋人や結婚相手としてはどう見られているのか。女帝会議に呼び出された時は困惑したが、あれは決意するきっかけにもなった。それにしても「男なら当たって砕けなさい」と、砕ける前提のアドバイスをしてくる母親はいかがなものか。だが「当たってみなければわからないこともある」とも言われて、砕けてもいいから伝えたいと思ったのも事実だ。
もし拒否されたら、その時は潔く諦めよう。でも……受け入れてくれたならば────。
「私も、ハルベルト様をお慕いしております……」
セレーネのその言葉に、ハルベルトは生きていてよかった。と本気で神に感謝した。
こうして初恋を実らせたハルベルトは、さらに
それは、
あれから城で監禁まがいの再教育を受けているオスカーだが、未だセレーネに未練がある発言を繰り返していると聞いている。オスカーはやたら頑丈だし回復も早いから叩きのめしても効果はないし、一直線すぎるせいであまり人の話を聞かない性質だ。体に教え込むにしてそれなりのショックを与えてやらないとすぐに忘れてしまうやっかいな弟だった。
だから、まずは保険としてセレーネのウエディングドレスをハルベルト色に染めることにしたのだ。結婚式でこのドレスを身に纏いハルベルトの隣で微笑むセレーネの姿を見れば、小さな
それからしばらくした頃、オスカーが平民の女に入れ込んでいると噂を聞いた。セレーネへの執着が消えたのならなによりだが、その平民はセレーネの知人だというではないか。せっかくセレーネとは会えないようにしているのに、逐一セレーネの耳にオスカーの状況が届くのが嫌だった。
またセレーネに迷惑をかけるつもりならオスカーを
そして、アレクシスに会うという名目で王城に行くことが増えたハルベルト。セレーネは「仲良し兄弟ですのね」と疑う気など欠片もないし、実際にアレクシスの仕事にこっそりと助言もしていたのでハルベルトが王城に姿を現しても誰も疑問に思わない。
そんな中で、ハルベルトは城に残っている元従者に顔を見せた。ハルベルトが去ってからは見習いたちを育てる仕事を一任されているその元従者は、元主人の幸せそうな笑みに心から喜んでいた────。
その裏で、いつもオスカーが閉じ込められている地下牢の鍵を
オスカーの頑丈さと馬鹿力はよく知っている。脱出の才能も。ならば、
「もうちょっとかな」
アレクシスはオスカーを外に出すのは心配だと言っていたが、ハルベルトからしたらこの国に置いておくほうが心配なのだ。
そうして、オスカーによる被害でしびれを切らしたユーキがこの国から旅立ち、案の定オスカーがそれを追いかけて行ったと聞いたのだった。
「オスカーが出ていったそうですね」
「そうなんです。まさか本当に走って追いかけるなんて……いくらオスカー殿下が常人離れしていても無茶ですわ。他所の国で迷惑をかけていないといいのですけれど……。ハルベルト様もご心配でしょう?」
セレーネはどちらかというと、オスカー自身の心配よりも、迷惑をかけられるだろう他所の国の心配をしていたのだが、ハルベルトはそれすらも嫉妬してしまう。だから、にっこりと笑って答えた。
「オスカーなら大丈夫ですよ。
「……ハルベルト様がそうおっしゃるなら大丈夫ですね。実はドレスが縫い上がったんです。ハルベルト様がデザインしてくださった刺繍がとても素敵でお針子さんたちも張り切って作って下さったんですよ。ふふっ、当日が楽しみですわね。あ、でもハルベルト様がデザインなさったんだから見なくてもわかってますわよね」
「いえ、あなたが身に纏った姿は想像しきれません。どれだけ美しいのか……僕も楽しみです」
「ハ、ハルベルト様ったら……」
ハルベルトがセレーネの髪を一房つまみ上げ軽く唇を落とすと、セレーネは嬉しそうに頬を染めた。
ハルベルトはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。この幸せを守るためならばどんなことでもしようと、心に誓って。