僕は自分のことをとてもずるい男だと思う。これは、誰にも言えない僕だけの秘密。
僕は小さい頃から自分の容姿がコンプレックスだった。
国王である父、それに兄や末っ子の弟は王家特有だと言われる美しいプラチナブロンドの髪とグリーンエメラルドの瞳をしているし、嫁いできた母は明るい金髪とブルートパーズのような瞳をしている。周りの人間はその美しさを敬い“美しい王の一族”だとよく言っている。
だが第二王子として生まれた僕だけ毛色が違ってしまった。
灰色がかった銀髪も紺色に近い濃いアクアブルーの瞳も家族にひとつも似ていなかった。かといって別に母が不貞を働いたわけでもない。母がそうゆう行為をなによりも嫌っているのはよく知っている。どうやら僕は曾祖母に似てしまったようで隔世遺伝だと言われたのだ。
確かに曾祖母は遠い諸国から嫁いできていて濃い銀髪に紺色の瞳の系統だった。曾祖母は偉大な方だったらしく賢妃としても名高く、母に至っては曾祖母のことをとても尊敬していたので僕が生まれた時は歓喜したそうだが。
しかしいくら隔世遺伝だとしても僕だけ色濃く出すぎではないかとため息がでたものだ。なによりも自分の肌の弱い体質が嫌でしょうがなかった。
そんな僕が彼女と出会ったのは今よりずっと幼い頃。3歳になったばかりの弟の婚約者だと紹介された。
「はじめまちて、セレーネです」
子犬を抱き締めながらそう言った彼女はとても可愛らしく笑っていた。
その頃の僕は男兄弟で比べられてばかりいたせいか妹がいたらなとよく思っていた。だからこの子が将来の義理の妹になるんだと思ったら、なんだか本当に可愛い妹が出来たみたいで嬉しかったのをよく覚えている。だからたまに一緒に遊んだり、絵本を読んであげたりした。未来の王の補佐役としての勉強があったからそんなにたくさんは出来なかったけれど、とても楽しかったんだ。
でもこの子は公爵令嬢であのオスカーの婚約者だ。今は懐いてくれていても年頃になればこんな僕が遊び相手なんて嫌がるようになるだろうと、2年後には少しづつ距離を置くようになっていた。
でも、そんな僕に奇跡が起こる。きっと彼女は忘れているだろうが、僕はこの事を一生忘れられないだろう。それくらいの奇跡だ。
たまたま外の空気が吸いたくなって庭に出た時だった。セレーネが木陰でうたた寝をしているのを見つけた。
そのままでは風邪を引くかもと思いそっと近づき自分の上着をかけると、いつもオスカーを追いかけ回してるセレーネの犬がチラリと僕を見てきた。だが特に威嚇はしてこない。きっとご主人様の眠りを妨げたくないのだろう。賢い犬だな、と思った。
「……ハルベルトでんかだ……」
立ち去ろうとした僕の服をセレーネの小さな手が引っ張る。
「あ、ごめんね……起こしてしまった?」
するとセレーネは寝惚けているのかぼんやりした視線でにこっと微笑んだ。
「…………ハルベルトでんかの髪はとってもすてきですね……」
「……そうかな?でもオスカーの方が綺麗だよ」
「うー……オスカーでんかの髪はきれいだけど、たまに目がチカチカするから……ハルベルトでんかの方が落ち着くのです……」
やはり寝惚けていたのだろう「私、ハルベルトでんかみたいなおにーさまに守ってもらうのが夢なんです……」と呟きながら再びうとうととしだした。
「君は、僕が側にいても嫌がらないのかい?」
「いやじゃ、ないです……ほんとは、もっとあそんでほしいの……ハルベルトでんか、だいすきぃ……」
そのまますぅすぅと寝息を立てるセレーネ。その時の自分はどんな顔をしていたのだろう?わからないけれど、たぶん人には見せられない顔をしていたと思う。
僕は急いで自室からブランケットを持ってきて庭の隅からセレーネの犬を呼ぶ。
小声で「えーと、そうだ、ルドルフ!その上着とこのブランケットを取り替えて!セレーネを起こさないようにそっとね!」と言うとルドルフはこくりと頷き僕からブランケットを受け取り口に咥えると器用に上着と取り替えてくれた。まるで手品みたいだ。やっぱりこの犬はものすごく賢いな。
僕はルドルフから上着をもらい「セレーネには内緒だよ」と言うと「わん」と返事までされてしまった。確か父上が“星の子”だとか騒いでたけど、まさか本当だったりして?
でも今の僕はこの犬が“星の子”かどうかなんてどうでもよかった。ただひとつだけハッキリしたのは、この日から僕の中でセレーネが“可愛い妹”から違う存在になってしまったかもしれないということだけだった。
成長して貴族の子供たちと顔を合わせることが増えると、僕の肌が白いことをよくからかわれるようになった。本当なら王子である僕にそんな口を聞くのは不敬のはずだが、兄や弟と比べられるのは当たり前で出来ることよりも出来ないことを掻い摘んでからかわれることもあった。いくら曾祖母が賢妃だとしても王家の色を持たない僕は不満をぶつけるには格好の的だったのだろう。僕に対してなら何を言っても許されるとでも思っていたのかもしれない。それを聞きつけた兄が間に入ってくれたので表面的には言われなくなったがみんなの考えが変わったわけじゃない。
僕だって悔しかったし、兄たちのようになりたいと何度も思った。だが、夏の太陽の陽射しの下に長時間いればこの肌は日焼けどころか真っ赤に腫れてしまい痛みを伴った火傷のようになってしまうし、何日も冷やして痛みに耐えてもまた肌は白く戻ってしまうので健康的な小麦色の肌なんて夢か幻である。
僕が夏場に外を歩くには日傘が必須だったが、それを「第一王子は美しくたくましい美丈夫だし第三王子は美しくて愛嬌もあるのに、第二王子はまるでか弱いお姫様だな」と馬鹿にされてつい、1度日傘を断って夏場の視察に出向いた時には顔が火傷したように腫れ上がり痛みのあまり夜も眠れなかった。やっと治ったと思ったら今度は顔がそばかすだらけになってしまったのだ。一緒に視察に付き合ってくれた兄がずっと心配してくれていたのに意地になって日傘をささなかった結果がこれだ。僕の顔はさらに醜くなってしまった。
年頃の令嬢たちは兄や弟を“美しい輝き王子”とか“麗しの兄弟”と呼び、僕のことは“くすんだ地味王子”だと揶揄しているのを知っている。
だが、みんなが僕のことを陰で笑う中でセレーネだけはいつも笑顔で裏表なく接してくれて、僕を兄のように慕ってくれていた。
僕の体質を心配はしても馬鹿にしたりしないし、このそばかすだって「それは名誉の負傷というものですわ」と言ってくれる。これじゃどちらが年下がわからないなと思うほどに彼女の言葉は僕の心を癒やしてくれた。
僕が兄たちとは違う分野で実力を伸ばしても誰も見てくれなかったのにセレーネだけが僕を見てくれた。
「ハルベルト殿下がおられればこの国は安泰ですわね!だって誰よりも頑張っておられますもの」
彼女の瞳にうつるのが自分だけになればいいのに。そんな風に思うのは罪なことだ。
だから僕はセレーネを大切な妹のように想っていると自分に言い聞かせる。彼女は弟の婚約者だから、と。それは、彼女の笑顔が目の前から消えることがなによりも嫌だったからだ。
そんなある日、僕は庭で壊れたピンブローチを拾った。
セレーネのものだとすぐわかったし、たぶん壊したのは
その時にふと欲がでたんだ。
少し前に職人作らせた銀細工の小さなピンブローチがここにある。令息たちの間で自分の髪や瞳と同じ色をした身につける物を好きな相手に贈るのが流行ってると聞いたんだ。遠回しのプロポーズのようなもので“君を自分色に染めたい”という意味らしい。それを贈った相手が身に付けてくれたら“私はあなた色に染まりたい”と言うことになるのだそうだ。子供が大人の真似をしてちょっと大人っぽいことをしたい。と流行りだしたみたいだけど、けっこう大胆だなと思った。
そして、出来心でつい銀細工のピンブローチを作ってしまったんだ。宝石をあえて真珠にしたのは、銀細工に濃いアクアブルーの宝石なんかつけたらあからさま過ぎるから。だから、セレーネが素敵だと言ってくれたこの髪と同じ少し濃い目の銀色にした。
作ったからといってセレーネに渡すつもりはなかった。さすがに弟の婚約者に堂々とアクセサリーを贈るなんて出来るはずもない。作っただけ。それだけで良かったのに。
ただ、この壊れたピンブローチの代わりなら……?と。
深い意味はないと、兄から妹へのプレゼントだと、受け取ってくれるかもしれない。そう考えてしまった。
忘れ物を届けにきたのだと言えば、セレーネは慌てて芝生から起き上がった。芝生に寝転がるなん姿も可愛いなと思った。
そして銀細工のピンブローチを見せると、溢れるような自然な笑みを見せてくれたのだ。
セレーネはこのピンブローチが僕の色だと気づくだろうか?そしてそれを贈られた意味を知ってるだろうか?
でも僕はそんな感情など微塵も見せない。決して悟られてはいけない。僕の中にこんなに感情があるなんて知られたら嫌われるかも知れないから。
僕がセレーネに触れるのは、幼い妹に接するように頭を撫でる時だけ。頬にも指先にも決して触れない。必要以上に触れれば抱き締めたくなるから。
僕がセレーネの名前を呼ぶときは「カタストロフ公爵令嬢」と呼ぶ。“セレーネ”と口に出したら気持ちが押さえきれなくなるから。
セレーネの前ではいつでも落ち着いていて冷静に、大人の態度で決して感情的にならない。でなければ、いつか僕の本当の気持ちがわかってしまうかもしれないから。
それから理由をつけてはセレーネの屋敷に赴き、一緒にお茶をするようになった。お茶を飲みながら話すのは勉強のことや、領地の流通の話。たまにはオスカーの話も。もちろん使用人たちも一緒にいるし、僕がセレーネに必要以上に近づくことはない。誰がどうみてもそこにあるのはお茶会友達との関係だけだ。
セレーネが僕の体質を慮ってくれてお茶会はたまに屋敷内になったりもしたがそれまでの信頼もあって悪い噂が立つことはない。
だから堂々と君に会いに来れる。
僕はずるい男だ。なんの警戒もなくいつでもお茶会を開いてくれて、僕を頼りにしてくれる君をほんのひととき独り占めするために僕は僕の感情をすべての人間から隠している。
今は友達として、将来は義理の兄として、徹底したお茶会友達ならこのひとときを誰にも止められはしないだろうと打算しているのだから。
だから、僕の婚約が白紙になっても相手の王女にどれだけ罵られてもなにも感じなかった。ただあの王女がオスカーに懸想してしまったことはセレーネに迷惑をかけてしまうだろうと申し訳なく思ったが。
僕はやっぱりずるい男だ。
君がオスカーと婚約破棄すると決めたと言ったとき、心配してる顔をしながら心の中で喜んだんだから。
そしてお願いがあると頼み事をされてどれほど嬉しかったか。
君を裏切って、君の髪と瞳の色を馬鹿にしたオスカーをどれほど殴ってやろうと思ったか。
君は僕の事を穏やかで優しいと言うけれど、本当の僕はまったく違うと知ったら君は僕に幻滅するだろうか?
君が僕の贈ったピンブローチをあのあとどうしたか知らないし確かめようとも思わない。身に付けてはいないようだしもしかしたら捨ててしまったかもしれないが、あの時に君が心からの笑顔で受け取ってくれただけで僕は満足なんだ。だから、これ以上の欲など持ってはいけないとわかっているのに。
でも、だからこそ、今はまだ君の信じる僕でいよう。
「では例の件ですが……カタストロフ公爵令嬢のご要望は必ず叶えて見せましょう。お任せください」
そう言っていつもの穏やかな笑みを見せれば、セレーネは安心したように笑顔になった。