「婚約破棄だぞ!」
そんなとんでもない事を叫ぶプラチナブロンドの髪をした少年。そしてその少年を呆れた顔で見ている少女がひとりいた。少年の方は先程のアレクシス殿下にそっくりだったのでたぶん弟なのだろうとわかったが、その態度はまったく似ていない。なんとも偉そうにふんぞり返っている。
「このお菓子を俺に食べさせないと婚約破棄だぞ!」
「オスカー殿下、何度も言いますけど婚約破棄なんて言葉はそんなに簡単に口にしていい言葉ではありませんわ。それにあなたは自分の分のおやつをすでに食べ終えてしまったのでしょう?一応は王子なのですから、人のものまで欲しがるなんて恥ずかしいことはなさってはいけませんわ。……それにこれは私が手作りしたルドルフのおやつですのよ」
発音するのは苦手なシラユキだが、聞き取りは完璧だった。どうやらこの少年は少女の手にしているお菓子をよこさないと婚約破棄すると、めちゃくちゃな事を言っているようだった。
「いやだいやだ!早く食べさせろーっ!ふごっ!んぐぐっ……?!」
次の瞬間、地団駄を踏みながら暴れる少年に少女はため息をついて「わかりました」と手に持っていたクッキーらしきものを少年の口にめいっぱい押し込んでいた。喉に詰まったのか少年が口を押さえてじたばたしているがその少女は助けるでもなく呆れたような目で悶える少年を見下している。
「まったく、犬の餌まで欲しがるなんてとんだ欠食王子ですわ。成長期の男児はよく食べるとは聞きますけど、さすがに酷いですわね……。まぁ、ちょっと失敗して中が炭のように硬くなってしまっていたのでいいですけれど。ルドルフには新しく作り直すことにしますわ。そういえばルドルフならどんなに硬くても食べるので気にしませんでしたけど、オスカー殿下は歯が丈夫ですのねぇ」
ため息混じりにボソッと小声で言い捨て、少女が側に待機していた侍女を呼んで持ってこさせた大量の水を息継ぎさせることもなく少年の口に流し込むと、少年はやっと口の中のものを飲み込んだようだった。
「お、俺は犬に勝ったぞ~っ(セレーネの手作りは犬だろうと渡さないぞ!あーんって食べさせてもらえたし!)」
「それはよろしかったですわね(犬の餌を寄越さないと婚約破棄するなんて、どれだけ飢えてるのかしら?あとで城の料理長にお願いしてオスカー殿下のご飯はいつもの倍にしてもらうようにしておかなくてはいけないわね)」
たぶん婚約者同士であろうこのふたりの会話が噛み合っていない気がしてならない。いや、会話は成立しているのだがふたりの表情にはあまりに差があった。いつの間にかシラユキはあのちょっと馬鹿っぽい少年の行く末が心配になってしまっていた。
そして少年が鼻歌を謳いながら機嫌良さげに立ち去ると、少女は再びため息をついてからくるりとこちらに顔を向けたのだ。
「!」
視線がかち合い、自分の存在がバレていたと気づいたシラユキは急いで逃げようとしたがその前に少女が駆け寄ってきて手をぎゅっと握られてしまった。
「なんて綺麗な黒髪……あなたが倭国の皇女様ですわよね?お噂には聞いてましたが本当に綺麗な方ですわ!」
そう言ってにっこりと笑った少女こそがセレーネだったのだ。
「先程はみっともない所をお見せしてしまい申し訳ございません。あの殿下はどうも最近あんなことばかり口に出してきまして……きっと反抗期なんですわ」
やはりこの少女の婚約者はラース国の第三王子であるオスカー殿下だった。どうやらここ最近から言動がおかしくなってきたらしく、例えば彼女が持ってきたおやつにチョコチップクッキーがないことに腹を立てて婚約破棄を宣言してきたのだとか。そしてすぐ撤回してきたらしいのだが、舌の根も乾かぬうちにまたくだらない理由で婚約破棄宣言を繰り返すのだそうだ。
「私以外には害はないと思いますので、あまりお気になさらないで下さいませ」
シラユキは蜂蜜色の髪を揺らしマリンダークブルーの瞳を細めてそれは美しく微笑むセレーネに見惚れてしまった。自分よりも年下なのに、婚約者に理不尽な扱いをされてもどこか達観しているその姿は尊敬するほどである。
「私はセレーネと申しますわ」
「ワ、ワタクシはシラユキ、です」
今度は落ち着いて言えたからかちゃんと発音できた。とシラユキはやっと笑顔になれたのだった。
その後シラユキはセレーネに勇気づけられアレクシスに先程の事を謝り、自分の気持ちを伝える事が出来た。またアレクシスもシラユキに婚約者になって欲しいと伝え、ふたりは無事に正式な婚約者となったのだ。それからシラユキはセレーネと友達になりルドルフも紹介してもらえ、いつもは人見知りの激しいルドルフがどうやらシラユキを気に入ってくれたようだとセレーネが驚いていたのだ。
そして、そのおかげでラース国へ定期的に通う事ができたのでアレクシスとの愛を深めたり王太子妃教育も予定よりたくさん学べたのであった。
ちなみに倭国は職人技術が発展しておりガラス細工や木彫りの飾りなどがとても有名だ。だがどれも繊細で壊れやすく馬車で運ぶと欠けたり傷がついたりするので輸出がなかなか出来ずにいたのだが、成長したルドルフが運んでくれるようになったおかげで安全に輸出出来るようになったので倭国がより栄えたことは言うまでもない。
いまやセレーネの存在は倭国では有名だ。神秘の獣と共に空を駆け抜けてくる聖女と呼ばれている。そしてなにより、シラユキはセレーネの事が大好きなのだ。
そしてなにより、セレーネがあの物語に出てくる登場人物にそっくりだったことがより一層シラユキの心を鷲掴みにしたのだ。
シラユキの愛読書のひとつである物語〈ルドルフの冒険〉。ルドルフと言う名の旅人が色んな国を冒険していく物語なのだが、その中にはさまざまな登場人物が出てきて毎回ハラハラする展開が多い。そして中でもシラユキのお気に入りの登場人物が、色々な困難に襲われながらも逞しく生きていくひとりの少女。のちにルドルフの相棒となるその少女の描写がセレーネにとてもよく似ている。セレーネの愛犬の名前が“ルドルフ”と言うのにもなにか運命的なものを感じてしまっていた。
ちなみにセレーネはシラユキのことを恥ずかしがり屋の淑女だと思っているが、実はかなりの熱情型である。