そんなにルドルフの真似がしたかったなんて、と驚きましたわ。てっきり動物には興味がないと思っておりましたもの。まぁ、ルドルフはとても可愛いですから真似したくなるのは仕方ないかもしれませんわね。でもルドルフに勝手に触ろうとしたのでお仕置きはしましたけれど。ルドルフは人見知りが激しいので慣れない人に触られると噛みついてしまうかもしれませんから。オスカー殿下なんかに噛みついたせいでルドルフが処罰されたらどうしてくれますの?と思ってつい右から左に投げ飛ばしただけですけれど。
そんなある時、私とオスカー殿下の姿を見ていた王家の侍女から「セレーネ様はオスカー様のどんなところがお好きなんですか?」と聞かれたことがありました。たぶん子どもに向けた特に意味の無い質問だったのでしょうけれど、その時の私はいつか誰かが言っていた言葉を思い出したのです。
そしてちょうどピークでお姉さんぶっていた私は思わず……「バカな子ほど可愛いと言いますでしょ?」と大人ぶって返事をしたのを覚えています。そう答えることでちょっと大人みたいというか、私の方がオスカー殿下より余裕があると虚勢を張っていたのですわ。でも、全てが偽りではありません。あの頃は本当にオスカー殿下のお姉さんになったつもりで見守っていましたから。
だって最初は何をやってもド下手でしたわ。あんなに下手くそなお座りとお手なんてルドルフだってしませんもの。でも私は諦めませんでした。殿下は根気よく教えたらちゃんと出来る子だったんです。……そう、あの頃は。
あの頃の感情があったからこそ婚約破棄宣言が始まってからも我慢できていたんだと思います。なんというか、ちゃんと最後まで面倒みなくてはいけないという使命感でしょうか。でも7歳の時の宣言を皮切りに撤回はしたもののどんどん酷くなり、何を言っても無駄感が半端なく募っていったのをよく覚えています。あれが俗に言う反抗期というやつかしらと〈犬の躾〉という本を読んだりもしましたけれど何の効果もなく、もう諦めてしまったのですわ。
「…………さらに加えて本日は堂々と浮気相手がいらっしゃることを名言なさり、101回目の婚約破棄宣言となりました」
あら、考え事をしている間にアンナが手帳を読み終えましたわ。お父様が私と同じ死んだ魚のような目になってますから、きっと同じ事を思っていらっしゃるのでしょうね。でも、少しは落ち着いてくれたかしら?
「……マジで?」
まだ言葉遣いが乱れたままでしたわ。現実逃避しないでくださいませ、お父様。
「オスカー殿下は私の見た目も性格もお気に召さないそうですわ。いつだったかしら?この髪と瞳のこともさんざん言われましたもの」
「75回目の時です、お嬢様。突然お嬢様の髪を掴んで引っ張ったと思ったら『お前の髪は虫がよってきそうな甘ったるい髪だな!』と暴言を吐き、そのあと見下すように上から瞳を覗き込んで『お前の瞳はまるで提灯アンコウが泳いでいそうだな!』と高笑いをなされました。そして空気が悪くなったと感じたのか『俺の言葉を喜ばないと婚約破棄だぞ!』と叫んでその場でふんぞり返っておられたと記憶しております」
……あぁ、そうでした。さすがにあれはあとでちょっと泣きましたもの。一応おしゃれをしていたつもりでしたし、両親譲りの自慢の髪と瞳をあそこまでバカにされたのも初めてでした。
「……」
お父様がとうとう言葉をなくしてしまいましたわね。最初にアンナが時系列で読み聞かせていた時は「見た目を蔑んだあげくの婚約破棄宣言」だと省略して聞かされていた内容がこの髪と瞳の事だったから余計にショックだったのかもしれません。お父様は両親によく似た私のことをとても自慢に思ってくれていますから。
「まさか、そんなことになっていたとは……」
お父様が頭を抱えて深いため息をつきました。なんでも私と面会した後はいつもオスカー殿下の機嫌がとても良かったらしいのです。だから仲良くしていたのだと思っていたみたいですわね。まさかそれが理不尽な内容で婚約破棄宣言をして私を困らせていたあとだなんて思いもしなかったのでしょう。
「そうゆうことですので、今度こそオスカー殿下のお望みを叶えて差し上げたいと思いますのよ。婚約破棄を認めて下さいませ」
「いや、でもこれは王命で……それに陛下がなんというか……。オスカー殿下にはちゃんと注意するから、もう少しだけセレーネが我慢してくれたりとか……」
国王陛下とは仲がよいお父様は、王命だからどうこうというよりは陛下がショックを受けることを心配なさっているようです。陛下はヘソを曲げると扱いが面倒くさいことになるそうですがもう知ったことではありませんわ。それにしても我慢ですって?我慢はずっとしていましたわよ。婚約破棄となればどうなるか……それがわかっていたからこそここまで私が我慢していたことも是非わかっていただきたいものです。
「……お父様、どんなに大きなグラスでも水を注ぎ続ければいつかは溢れてしまうものですわ」
「へ?」
「私の中にあった“我慢する”というグラスはとっくに溢れかえっておりますのよ。それでもまだ大量に水を注ぎ続けるせいで、今はそのグラスにヒビが入りそうな状況なのですわ。つまり────」
にっこりと。それはもうにーっこりとお父様に微笑みかけました。ついでに立てた右手の親指を目の前で逆さにして首の前で真横に動かす動作も忘れません。
もちろん極上の笑顔で。
「
「い、今すぐ陛下のところに行ってきますぅぅぅぅぅ!!」
私の本気度をやっと理解して下さったのか、お父様は真っ青な顔をして飛び出していきました。勇気を出して懇願したかいがありましたわね。
「アンナ、お茶を入れてちょうだい」
「畏まりました、お嬢様」
長年我慢していたことが実行出来たからか、ちょっとだけスッキリした気分になることが出来ました。でもあの殿下のことです、自分の
だって私、これ以上理不尽な責任を押し付けられる気はありませんもの。
「……
アンナが淹れてくれた美味しいお茶で喉を潤し、私はそう呟いたのでした。