湯気を立ち上らせ、だらだらと木のたらいに滴る鮮血が泡立ち、その濃密な香りを草原に撒き散らした。
それはこの猪が何を食べて来たのかを、雄弁に物語る芳香。
アーリアにはそれが大地のあらゆる恵みを凝縮させたそれであるかに感じられ、ゾクリとした。
それはちょっとした違和感。
すっと感じられた直感みたいなもの。
(何……?)
自分の中に広がる余韻。それは一つだけじゃない。何かもやもやとはっきりしないものが、幾つも、自分の五体で感じる感覚とは別に。
口から発し様にも、声にならない、それでいてすぐそこまで出掛かっている、そんなもどかしさを自覚した。
そして、ハッと我に返る。
別の小人が一人、自分より大きな、吊るされた獲物の前に立ち、他の者は少し離れて見守っていた。
長い事、砥いでは使われを繰り返し、すっかり小さくなってしまったナイフ。
それが、その小人の手にかかれば、まるで出来たてのチーズに突き入れるかの様に、するりと獣皮を切り裂き、その下に隠れていた白い脂身の層を露にした。
見る間に剥ぎ取られたほかほかの獣皮が、ダンチョーに手渡されると、ダンチョーは両腕に高々と掲げて皆に示した。
ワッと空気が唸り、固唾を呑んで見守っていた小人達が一斉に吼えた。
満面の笑み。
手を打ち鳴らし合い、互いを称える小人達。
その真っ只中に、アーリアはいた。
縦真一文字に腹が裂けると、その裂けた先からピンク色のぶよぶよとした内臓がはみ出たと思ったら、これまた湯気を上げて一気にどばどばっと溢れ出た。それを予め取り替えておいた一番大きなたらいで受けると、横合いから何人もが手を突っ込んで肺やら何やらを引きずり出す。
「うわ~……おっきいと、すっごい迫力……」
目をまんまるにして呆然と眺めるアーリアの目の前で、長い腸が切り分けられ、即座に運ばれて行く。そして……
「胃だ! 胃の中身を空けるぞ!」
「おおう!」
袋状の器官の片側をぎゅっと握り締めた小人が、差し出された鉄鍋にその口先を寄せて、そっと。
どろどろとした未消化の固形物がだぱだぱと流れ出る。
「芋だ!」
「木の実もた~っぷり食ってるなぁ~!!」
「こりゃ、元気がいい訳じゃっ!」
がはがは笑いながら、それに指を突っ込んではつまみ食う。
「た、食べるのっ!?」
ぎょっとするアーリアなどお構いなし。それもまた運ばれてしまう。
「ほらほらあんた!」
「へ? 私?」
不意に声をかけられ、振り向いて、そこで下を見る。
「あんたは、何をすんだい?」
そこには相当腰が曲がった、年配の小人が。
「湯を沸かす準備じゃろ~」
その小人が右手の人差し指を曲げると、傍らを何人かが駆け抜けていった。
「いっちば~ん!!」
「にっば~ん!!」
「さんばん!」
「よば~ん……」
手に手に小さな木の桶を持って、どこぞへと走り去ってしまう。
「うむ……水はあいつらが……じゃあ、火を起こすのに……」
傍らを見ると、石を組んで即席のかまどを作っていた。そして、火種を起こす者。岩塩の塊をがりがり削る者。
「ふむ……じゃあ~……」
うん、と頷き、アーリアを見た。
「香草でも採るかの?」
「セージとか?」
うんうんと何度か頷き、歩き出す老小人。アーリアもその横を歩いた。
「まぁ、そこいらにあるものをな。肉にも使うし、腸詰にも使う……」
「それで腸を洗いに行ったんだ!」
小川に運んで行ったとなると得心する。
「塩で揉んで、ぬめりを落とす。それから香草やら脂身やら、血やらをいっしょくたにしたのを詰めて、くるくるっとやってから湯がくと出来上がりじゃな」
まるでその場で作業しているみたいに、手をくるくると回し、ひょいと足元に手を伸ばした。
「ほい、一つみ~つけた~」
手には数枚の青い葉が。その一枚を口に咥えてもぐもぐと。
「ほい。お前さんにも」
そう言って差し出された一枚の青い葉を、アーリアも口に含んでみた。
すっと口の中に広がる青く甘い味。糖蜜の様な甘さでは無く、少し癖のある柔らかな草のそれだ。
「バジルみたい」
「みたいじゃないと思うがの」
にかっと笑った老小人の、茶褐色のまばらな歯は、緑色の薄いベールをまとっているかの様に、てかてかと輝いて見えた。