水の流れによるものか、歪んだ空に浮かぶ太陽は、目で捉えられる程にゆっくりと移動していた。
(水の領域においては、太陽の影響もまた違って来るとか……そういう事っ!?)
アーリアは、自分の中にある衝動を認識していた。
夢か
自分は望まれて生まれて来たのだと……
だったら、あの人に会いたい!
母親という存在に。
まだ生きているのなら。
しかし、百年の半分、五十年でも人はほとんど死んでしまう。ここに居たいという気持ちもある。でも、それでは絶対に会えない! 万が一、可能性があるのなら……
目の前で、また一日が過ぎて行く。
右の拳を心臓の上に置き、ぎゅっとドレスの胸元を握り締める。
唇は、声にならない呟きをもらす。
会えるとは限らない。
何の手掛りも無い。
でも、諦めたら絶対に会えない!
望まれて生まれたなら、今、生きている事を伝えたい!!
くっと胸がつまる。息が苦しい。ここを出て行ったら、生きていけるかすら判らない。また、どんな危険が待ち受けているか。もしかしたら、もう二度とここには来れない。アウリーリンやそのお友達に会えなくなるかも。それでも……それでも!!
気が付くと、傍らに誰かの気配が。
歪む表情で見やれば、そこにはやはり、アウリーリンの穏やかな姿があった。
さとられてしまっただろうと思っていた。
これだけ、水面の向こうを眺め続けてしまえば……
ふと彼女の手元を見れば、そこにはアーリアの旅装束らしき物と、見慣れないマントが折りたたまれてあり、更には刃渡り30cm程はあろう鞘付きの小剣が乗っていた。
そして、何事か口にしながら、アウリーリンは小さく頷いた。
「アウリーリン……」
「ありがとう」
「うん……ありがとう……」
少しはにかみ、礼を言う。
アウリーリンのドレスを脱いで、畳んで返す。それから手早く自分の衣服を身にまとうと、その上からマントを羽織った。質の良い、少し厚手のマントだ。
何か物言いたげなアーリアに、アウリーリンは答えなかった。
そのマントと小剣は、随分前に流されて来た人族の男性の物。勿論、その人物はとっくの昔に輪廻の輪へと逝ってしまっていたのだが、それをとっておいた物だ。
言われも何も判らない。でも、それがアーリアのこれからに役立つ物だろうと思い、持って来たのだ。
刀身に不思議な文様が浮かぶ小剣は、刃こぼれ一つ無い真新しい物と思えた。
それを鞘に戻して、腰に引っさげると、ちょっと重さで体が左に傾いた。それを、リュートの位置で調整し、マントで覆い隠した。
「どうかな?」
マントで前を隠した様を、アウリーリンの前でくるっと一回転させて見せた。
うんうんと頷かれ、何か言われるんだけど、何だか良く判らない。でも、たぶん、似合ってるよと言ってくれてるんだろう。そんなニュアンス。
地上に出るのは、思ったより簡単だった。
もしかしたら、自力で泳げれば出れたのかも?
辺りは見慣れぬ風景。少し下流なのかも知れない。
初夏の緑あふれる世界が、やや冬の到来を待つ色合いへと変貌をとげていた。
予測していた事だから、大して驚かない。それよりも、水から出た筈なのに、一滴も濡れて無い自分にびっくりだ。また魔法みたい。
「アーリア……」
ほっそりとした青みがかった指が、そっと私の目の下を拭う。そこだけが、少し濡れているみたい。
その柔らかで安堵感を感じさせてくれる指にされるがまま、瞳を閉じ、絶対忘れない様にと心に記した。
その指が離れた時、頭の左側にすっと髪をすかれる感触が。
「え? 何かな?」
手を伸ばして、触れてみれば、何かや硬い物が髪へ差し込まれていた。
アウリーリンの髪をすく仕草を見れば、それが何なのか判った。櫛だ。
手にしてみれば、いかさま左様。
虹色に輝く、乳白色の貝の櫛。
あまりの美しさに息をのみ、アウリーリンを見た。
「貰っちゃって、いいの?」
アウリーリンは頷くと、そのまま、スッと川の中へ。
そこには川のせせらぎだけが残った。
「ありがとう。アウリーリン。私、行くね」
唇をきゅっと結び、水面に語りかける。きっと彼女の事だから、聞こえてるに違いない。
「きっとまた、会えるって思うから。じゃあ、またね!」
一度だけ手を振り、くるっときびすを返すと、アーリアは振り返らずに歩き出した。