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第8話『ありがとう』


 最後の一音まで歌い切ると、もう全身く~たくた。こんな歌い方は初めてだった。まるで身体全体が一つの楽器になったみたい。

 後に残ったのは心地良い疲労感。


 力の抜けたアーリアの身体を、水は優しく受け止め、ゆっくりと水底へ誘う。それを巨大な黒い影が、にゅるにゅるっと下から持ち上げた。


「わわっ!?」


 ぬ~るぬるのぬ~らぬら。

 目の前に、自分の頭よりおっきな、多分ウナギの顔。

 その口がぱくぱく動く度に、実に不思議な音で、小首をゆらゆらさせながら何かを言って来てるんだけれど、多分褒めてくれている。


「め、めるしーぼく~」


 違う地方の言葉で、青い目を白黒させながら、とりあえずお返事。それくらいに、目の前に迫った光景は強烈って事!

 その向こうからは、巨大なはさみを振り振り、真っ赤なザリガニが迫って来るよ~!


『私も多くの兄弟と共に卵からかえったが、気がつけば一人じゃった。別れとは生きる事。生きるという事は別れる事じゃよ』

【あんたのそのひらひら、おふくろさん譲りかえ? 綺麗じゃないか。おふくろさんに感謝するんだよ~】

≪うちのいとこにまだ身を固めて無いのがおるんだが、君……一つどうだね?≫


 蟹さんや魚さんや見た事も無い生き物が、口々に何かを叫びながらただならぬ迫力で肉薄しては、入れ代わり立ち代わりサッと離れて口をぱくぱく。こちらの様子を見つめてる。

 もう笑うしかないし、夢なら覚めて欲しい気分なんだけど。


 自分の正気を疑う程の異様な光景。

 その向こうでは、三体の牛並みに大きな巨大タニシが、ゆらゆらとダンスを始めていた。


「アーリア……」


 白くて丸いボールの様な物を持って、アウリーリンがたおやかに近付いて来る。

 思わず、そっちの方へ飛び出すアーリア。

 ぬるっと。

 そこら中に漂う、色んな生き物の分泌物に手足を取られた。


「ぬああああっ!?」


 た~ちまち、上下左右が引っくり返ってアクロバチックな無限軌道を描き出す。そして、変な体勢のままアウリーリンの胸に受け止められていた。


「あう……」


 目をぱちくり。

 大丈夫?と言ってそうな、コロコロ笑うアウリーリンに改めて抱き付くと、その温もりに甘えた。安堵感を求めた。呼吸すると、彼女の香りに満たされた。

 慰撫する様な優しい言葉に囁かれ、身体からぬめりがそっと払われていく。

 何で?

 どうして?

 不思議だった。

 優しくされるのに、そんなに慣れてないから。


「あ”……」


 わななく口で、言おうとして、あんまり酷い声だったのでショックだった。

 目を開けるのが怖かった。彼女が今、どんな顔をしているのか、それを知る事が。

 それでも気持ちが勝って、伝えたい気持ちが強くて、アーリアは彼女に押し付けた顔を、そっと離して、見上げてみた。


 その恐れは杞憂だった。


「アーリア……」


 どうしたの?とばかりに、そっと前髪を撫でてくれた水の乙女は、永遠とも思える優しげな眼差しで、アーリアを満たしていく。

 感じさせてくれた事。

 気付かせてくれた事。

 満たしてくれた事。


 震えが止まらない。


(言ってしまって良いの?)


「あ”り”か”と”う”……」


 重なる戸惑いの気持ちが、言葉を濁らせる。


(伝わって無い!)


 気持ちが動く。


(伝わって無い! 伝わって無い! 伝わって無いっ!!)


 気持ちを奮い立たせる!


(私は伝えたいっ!!)


 ついには、真っ直ぐにアウリーリンを見据えたアーリアは、膨らむ想いにいっぱいになる。


「ありがとう」


 初めて本当のお礼が言えた気がした。言い切った! そう! 私は言い切った!


 目の前の、本当に目の前にあるアウリーリンの瞳が、キラキラに輝いて見えた。


「アーリア……ありがとう」

「ありがとう! アウリーリン!」

「ありがとう」


(まるでお日様が胸の中にあるみたい!)


 二人は、そのまま踊る様に、くるくると回転していた。




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