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第89話 修正

「調子はどうだ?」


 実親はディレクションが終わったタイミングで背後から宰に声を掛けた。


「ん? 来てたのか」

「ついさっきな」


 宰は一瞬だけ背後に視線を向けただけで振り返らない。

 幼い頃から聞き慣れている声なので顔を確認しなくても誰なのかわかっていたからだ。


「お前……海なのにその格好は味気なくないか……?」


 横に並んだ実親の身形が気になった宰は呆れ気味に呟いた。


 宰の格好はTシャツに海パンの海水浴仕様だ。

 今は映画の撮影中なので遊んだりはしないが、いつでも海に飛び込める状態ではある。


 対して実親はどこからどう見ても海に入れるような服装ではない。

 砂浜で過ごす格好として違和感があるのは否めないだろう。


「俺はそもそも海に入る気がないから水着を持ってきていない」

「いくらなんでも身軽すぎないか……?」

「荷物が少ないに越したことはないだろ」

「それはそうなんだが……」


 宰は「腑に落ちねぇ……」と溜息交じりに呟く。


「まあ、お前がそれで良いんなら俺がとやかく言うことではないが……」


 年相応の反応を示さない弟分に宰は物悲しさを感じてしまう。


「俺は俺で楽しんでいる」

「なんと言うか……お前は相変わらず冷めてるな」


 颯真と亮みたいにはっちゃけろとは思わないが、少しくらいは高校生らしくはしゃいでも良いのではないか? と首を傾げながら肩を竦める宰。


「それで調子はどうだ?」

「ああ……そうだったな」


 実親が少々強引に脱線した話を軌道修正しても宰に気分を害した様子はない。話を脱線させてしまった自覚があったからだろう。


「今のところ順調だが、サネに相談があるんだよ」

「なんだ?」

「脚本を少しいじっても良いか?」

「良いぞ」


 折角書いてもらった脚本に手を入れることが申し訳なくて葛藤していた宰は、理由を問うこともせずにすぐさま了承した実親の対応に拍子抜けしてしまう。


「そんなあっさり了承しても良いのか?」

「ああ。お前なら悪いようにはしないだろ」


 実親はクリエイターとして当初の予定通りにいかないこともあるということは良く理解している。なので脚本に手を加えられても不満はなかった。


 それに宰のことを信用しているのもある。

 彼ならより良い作品に仕上げる筈だと思っているから異議を唱える必要など微塵も感じていなかったのだ。


「それはそれでプレッシャーだな……」


 宰は弟分に信用してもらえているのは嬉しかったが、下手なことをして脚本を台無しにしてしまわないかと不安が押し寄せてきてしまった。誤魔化そうとして苦笑しているが表情が硬い。


がらにもないことを」

「いやいやいやいや、お前は少しくらい自分が書いた脚本の出来を自覚しろよ」


 思いのほか情けない姿を晒す幼馴染の様子に肩を竦める実親に対して、宰は呆れと驚き、そして不安の三つの感情を内包した複雑な表情で詰め寄る。


「どこに出しても恥ずかしくない出来に仕上げたが?」


 しかし実親が動じることはなく、表情一つ変わらなかった。


「ああ、そうだな! だからこそプレッシャーに感じるんだが!?」


 宰の言うことは尤もである。

 プロの作家が書いた文句の付け所がない素晴らしい脚本に素人が手を加えるのは中々度胸のいることだ。


「なら脚本をいじらなければ良いんじゃないか?」

「ご尤もな指摘だが……変えた方が面白くなる気がするんだよ」


 ぐうの音も出ない正論に宰は一瞬だけ言葉を詰まらせてしまった。

 それでも彼には確信めいたひらめきがあったので、不安をかかえながらも脚本に手を加える決断を下したのだ。


「とはいえ不安はぬぐえないからサネに手伝ってほしいんだが……」

「良いぞ」

「助かる!」

「俺はその為に来ているからな」


 恐縮する宰の心情など知らんとばかりに実親は安請け合いする。

 喜色をあらわに宰と、至ってクールな実親は対極な反応だ。


 実親が時々撮影に同行しているのは、脚本を手掛けた者として臨機応変に対応出来るようにする為だ。

 連絡を受けてその都度加筆修正することも可能だが、じかに現場の雰囲気に触れた方がよりイメージを膨らませられる。

 故に今回の撮影にも同行することにしたのだ。颯真達と海やキャンプに行く約束をしていたからというのもあるが。


「それに良い経験にもなるから監督として遠慮なく要望を出してくれ」


 実親はプロの小説家だ。しかし脚本家ではない。

 どちらも同じ物書きではあるが、求められることや必要な技術が異なる。

 脚本を手掛けることで経験したことを小説にかしたり、物書きとして仕事の幅を広げられたり出来ると実親は思っていた。

 なので映画研究部が撮影する自主制作映画の脚本を手掛けることは彼にとってちょうど良い成長の機会だったのだ。


 プロの小説家として胡坐あぐらを掻かずに向上心を持ち続けているところに意識の高さが窺える。貪欲に成長する場を求めるからこそプロとしてやっていけているのだろう。


「それじゃ遠慮なく」


 そう言うと宰は手に持っていた台本を実親にも見えるように開いた。


「ここなんだが――」


 宰が該当する箇所を指差して構想を説明していく。

 真剣な表情で説明する宰と、口を挟まずに耳を傾ける実親の二人には近寄りがたい雰囲気がある。


「どうだ?」


 一通り練っている構想を話し終えた宰は実親の顔色を窺い、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 いくら幼馴染とはいえ、プロの小説家を相手にしているのでどうしたって緊張してしまう。


「良いんじゃないか?」

「そうか?」

「ああ。いて言えば、ここはこうした方が良いと思うが」


 実親は宰が持っているポールペンを奪い取って脚本に書き込んでいく。

 すると宰は「なるほど……」と呟き、顎に手を当てて真剣に考え込む。


「最終的な判断はお前に任せる」


 ボールペンを台本に挟むように置いた実親は、宰の「少し考えてみるわ」という言葉を耳で捉えながら離れていく。

 考える時間が必要だろうと思い、一人にさせてあげようと気遣ったのだ。




 一先ず宰の考えが纏まるまでは休憩時間となり、各々は思い思いのひと時を過ごすことになった。


 宰にディレクションされていた理奈は撮影している場面の関係でビキニ姿で、斗真は海パン一丁だ。

 他の演者も水着を着ているので、海で髪が濡れたりメイクが落たりして撮影に悪影響が出ないように気を付けながら遊んでいる。

 尤も、理奈だけは遊ぶ余裕がないのか台本と睨めっこしているが。


 そんな一同の様子をビーチチェアに腰掛けながら眺めている実親は、今この時だけは仕事を忘れて穏やかな時間を過ごそうと決め込むのであった。


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