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第74話 葛藤

「サネどうかしたの?」


 一人だけ距離を置いた場所で遠い目をしていた実親の様子が気になった千歳が歩み寄って顔を覗き込む。


「ん? いや、少し昔のことを思い出していただけだ」

「ふーん」


 実親は突然視界に千歳の顔が映ったことで少しだけ驚いたが、すぐに平静を取り戻して問いに答えた。


「当時付き合っていた女の子のことでも考えてたの?」

「鋭いな」


 正鵠を射ている問いに実親は再び驚かされ、一瞬だけ目を点にする。


「え、まさかの当たり?」

「何故お前が驚く」


 質問した本人が目を見開いていることに怪訝な顔をする実親。


「い、いや、冗談で言っただけだったから……」


 揶揄うつもりで言ったことが的を射ているとは思いもしない。

 千歳が呆気に取られてしまうのは無理もないだろう。


「呆けている顔も可愛いな」


 実親は千歳の頬に右手を添える。


「……何言ってんの」


 千歳は突然のことに動揺しながらも平静を装う。

 照明が届かない位置にいるので目立っていないが、若干頬を赤く染めている。


「事実を言ったまでだ」

「またそういうこと言って……」


 実親は本当に可愛いと思ったから素直に伝えただけであり、全く他意はなかった。

 しかし千歳にはジト目を向けられてしまう。

 何故か「節操がないナンパ師」、と咎められているかのような気分になる妙な迫力があった。


「まあ、この方がサネらしくて好きだけど」


 溜息を吐いた千歳は、頬に添えられている実親の右手に自分の左手を重ねる。


「なんか寂しそうな表情になってたけど、嫌なことでも思い出した?」


 物思いに耽っていた時の実親の表情を見ていた千歳は、直感的に危うさを感じ取っていた。

 知らないうちにどこか遠くへ行ってしまうのではないか、と根拠のない不安に駆られてしまったのだ。


 実親の右手に重ねる千歳の左手が不安から微かに震えている。


「いや、寂しくはあるが、嫌な思い出ではない。寧ろ大切な思い出だ」

「そっか」


 実親が笑みを浮かべたことで安堵した千歳はほっと息を吐く。


「心配させてすまんな」

「ううん。大丈夫なら良いの」


 千歳は小さく首を左右に振った後に実親の瞳を見つめて呟く。


「それで……本当に当時付き合っていた子のこと考えてたの?」


 少しだけ視線が鋭くなる。


「ああ。本当だ」


 鋭い視線に晒されても動揺することなく頷く。


「ふーん。それは深掘っても良いこと?」


 たたの恋バナならその場のノリで尋ねられる。しかし先程までの実親は哀愁に満ちていた。

 話した方が気が楽になることもあるが、人につつかれたり話したりしたくないこともある。

 善意で行ったことで逆に傷付けしまった、なんてことは良くあることだ。


 なので万が一にも実親のことを傷付けたくない千歳は、判断を誤らないように話を広げても良いことなのか本人に直接尋ねることにした。


「そうだな……機会があればその時に話す」


 気持ちに整理をつけていない状態で上手く話せる自信がなかった。

 それに折角の祭りなのに水を差すような内容になってしまうので、今話すのは相応しくないと思った実親は話を濁す。


「そっか……」


 千歳は少しだけ残念そうに俯くと、すぐに顔を上げて囁く。


「でも、あまり抱え込まないようにね」


 心配するように上目遣いで実親の顔を覗き込む。


「ああ。それは大丈夫だ」

「なら良かった」

「ありがとうな」


 千歳は実親に慈しむような優しい手付きで頬を撫でられると、微かに潤んだ瞳を向けた。

 そして二人は自然と見つめ合い、なんとも形容し難い甘くてむず痒い雰囲気を醸し出し始める。


(あー、駄目だ。今まで散々自分の気持ちを誤魔化してきたけど、やっぱりサネのことが好きなのかもしれない……)


 今まで実親に向けていた感情は、友人として、家族としてのものだと千歳は思っていた。しかし今感じている安心感と高揚感には別の意味があると実感してしまう。

 何故なら、このままの流れで実親とキスしてしまいたくなっていたからだ。それこそ友人や家族相手には抱かない感情である。


(でも私達は兄妹だから今以上の関係を望んだら駄目なんだ……)


 義理の兄妹なら法律的に結婚出来るとはいえ世間体は良くないし、再婚して幸せを掴んだ母の気持ちを考えると軽率なことをしでかす訳にはいかない。

 皐月は「二人が付き合うのは応援するわよ?」と微笑みながら言っているが、まさか本当に男女の仲になるとは思ってもいないだろう。あくまでも冗談で言っている筈だ。


 折角出来た新しい家族を壊したくはない。今のところ円満な家庭を築けているので尚更だ。

 なので千歳はようやくく自分の気持ちを自覚したが、今まで通り気付かないふりを続けて溢れ出る想いを封じ込めるしかなかった。


(大丈夫……今のままでも楽しいし、兄妹はある意味誰よりも近い関係でもあるってことだから満足出来る筈……)


 必死に自分に言い聞かせて零れてしまいそうにな想いを押しとどめていると、彼女の葛藤など知らないとばかりに唯莉が声を発する。


「あー! ちーとサネちーがイチャイチャしてるー!!」


 この言葉で友人達が一斉に視線を向けてきたので、見つめ合う二人を中心に漂っていた甘い雰囲気が霧散してしまった。

 一見すると無粋なことをしているようにも思えるが、彼女の行動のお陰で千歳は思考の沼から抜け出せて今の状況を客観視出来るようになっていた。


 冷静に今の状況を分析した千歳は、頬に手を添えられ、その手に自分の手を重ねながら至近距離で見つめ合っている状況を友人に見られているという事実に行き着く。

 その瞬間に葛藤よりも羞恥心が上回ってしまい、顔を真っ赤に染めながら視線を彷徨わせてしまう。

 まるで必死に言い訳を考えているかのようだ。


「二人はいつの間にそんな関係になってたんだ……!?」


 今にもキスしてしまいそうな状況に颯真が戦慄する。


「お前が思っているような関係ではないが、俺達は特別な関係なんだ」

「ちょっ!?」


 勘違いされるようなことを真顔で言ってのける実親に、千歳はギョッとしてしまう。


 確かに言っていることは間違っていないが、完全に誤解される言い回しである。

 実親と千歳の関係を知っている慧と唯莉は兎も角、他の面々は勘違いしてしまってもなんらおかしくない。


「特別な関係だと……!?」

「流石俺達のサネせんせ……! なんだか大人な香りがするぜ……!!」


 驚嘆する颯真と尊敬の眼差しを向ける亮。


「アホなこと言ってないで、私達はそろそろ屋台巡りに戻りましょ」


 茹蛸ゆでだこのように顔面を真っ赤に染めてしまった千歳のことを助けるように慧が強引に話題転換する。


「そうだな」


 千歳の頬から手を離した実親が翔と彩夏に視線を向けながら頷く。

 二人のデートをいつまでも邪魔する訳にはいかないだろう。


「俺は別に気にしてないが」

「私も大丈夫だよ」


 翔と彩夏は全然迷惑だと思っていなかった。


「だとしてもこれ以上二人の邪魔をするのは気が引けるからな」


 デートの邪魔をするのが申し訳ないという気遣いも勿論あるが、実親にとっては祭りを楽しむカップルを見ていると楓のことを思い出してしまい、また千歳に心配を掛けてしまうかもしれない。

 なので今は二人と距離を置いた方が良いと思ったのだ。


「なら私がサネちーとデートするー!」


 チャンスとばかりに唯莉が駆け寄って実親の腕に自分の腕を絡める。


「やっぱりサネなのか……!」

「俺達もいるのに……!」


 いつも選ばれずにモブと化す自分達の立場に颯真と亮が打ちひしがれる。


「さ、サネちー行こー!」


 そして唯莉は実親のことを引っ張って行く。


「ちーと慧も行こー! 四人でデートしよー!」

「はいはい」


 慧は「やれやれ」と言いたげに肩を竦めると、千歳の手を取って歩き出した。


「ちょ、慧――」

「何があったかはわからないけど、今は考えるのをやめてこの場を楽しみましょ。多分唯もちーの様子がおかしかったことをなんとなく察して気を遣ってくれたんだと思うし」

「え」


 期先を制するように告げられた言葉に千歳は目を見開く。


 実は慧と唯莉は千歳の様子がおかしいことに気が付いていた。

 慧は以前から千歳が実親のことを好きなのではないか? と勘繰っていたので、それ関連のことだと思っているが確証はない。

 唯莉は全く見当がついていないながらも、雰囲気を察して必要以上に大袈裟に振舞って千歳の気を紛らわせていたのだ。


「必要なら後でいくらでも話聞くから」

「う、うん。ありがとう」


 必死で隠していた想いをまさか親友達に感じ取られているとは思いもしなかった千歳は、気恥ずかしさを感じつつもなんとか頷く。

 今の千歳には考えないことが自分の気持ちを封じ込める為に一番必要なことだったので、慧と唯莉の気遣いは最高の特効薬であった。


 二人の間でそんなやり取りが交わされているとは露知らず、置いていかれた颯真と亮は、翔に同情されながら「どんまい」と慰められ、苦笑するしかない彩夏に生暖かい眼差しを向けられて無性に居た堪れなくなっていた。


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