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第69話 楓

 今の時期になると多くの者が足を運ぶ場所に実親も訪れていた。

 辺り一帯に哀愁が漂う中、目当ての場所へ足を運ぶ。


 周囲の雰囲気と同化するように物悲しい表情の実親は、慣れたくないのにすっかり通い慣れてしまった道程に複雑な気分になる。

 足取りは軽くなく、行きたい気持ちと行きたくない気持ちがせめぎ合っているかのようだ。

 それでも実親が足を止めることはない。行かないという選択肢は存在しなかった。


 ながあめが降り続き、決して晴れることがない実親の抱えた沈痛な心は、この場を訪れる度に受け入れたくない現実に直面し、逃げ場を求めて荒れ狂う。

 夕刻に差し掛かってもなお燦燦さんさんと輝く日差しに照らされている実親は、勇気を分け与えて背中を押してくれているかのような不思議な感覚に身を包まれていた。


 影が差して感情が読み取れない能面のような面持ちで歩を進める実親は、目的の場所に到着して足を止める。

 そこには「清瀬家之墓」と書かれた墓があった。


 静かな足取りで墓前にしゃがみ込む。


「先月と先々月は忙しくて来れなくてすまなかったな……かえで……」


 絞り出すような物悲しい声色で語り掛ける。


 実親は忙しくさえなければ月命日にも足を運んでいる。

 しかし先月と先々月は父親の再婚や引っ越し、期末試験や仕事などで立て込んでおり、訪れることは叶わなかった。


「お詫びと言ってはなんだが、お前の好物を持って来た」


 そう言うと手に持っていた紙袋からプリンを取り出して墓前に供える。


「お前の両親が供えた花を除けるのはどうかと思ったから俺は持って来なかったんだが……許してくれ」


 瑞々しい花が供えられているので、他の人が墓参りに来たばかりだということがわかる。


 家族水入らずの時間を邪魔するのは気が引けるので、実親はいつも時間を外して訪れていた。

 その関係もあって毎回花を供えるタイミングを逸してしまうが、お盆や月命日以外に訪れた際はちゃんと花も供えている。


「ここ二、三カ月で話題に困らないくらい色々なことがあったんだが、お陰でお前を退屈させなくて済みそうだ」


 実親は笑っているが、無理やり作り笑いしているかのような不自然さがある。


「信じられるか? 親父が再婚して俺に妹が二人も出来たんだ」


 その言葉を皮切りに近況報告をしていく。


 普段は口数の多いタイプではない実親でも今この時だけは饒舌になっており、語り掛けるような落ち着いた低音ボイスがこだましている。


 暫くそのまま話していると、実親は苦笑して思い出したように呟く。


「そういえば、お前の好みがすっかり俺に移ってしまったよ」


 実親は自分の服装に目を向ける。

 墓参りにいつものような派手な格好で訪れるほど常識知らずではないので、今日は全身黒で統一したワイシャツ、ベスト、スラックスの場に沿った落ち着いた服装だ。


 そもそも実親がパンク風の服やホスト風の服を好んで着ているのは、楓の好みに合わせたのが始まりである。

 彼女が喜んでくれるので普段から着るようになったのだが、今となっては実親自らが好んで選ぶようになっていた。


「こういう服装に身を包んでいると今でもお前が喜んでくれて、そばにいてくれているような気がするんだ」


 実親が好んでいるというのもあるが、寂しさを和らげてくれるのが最大の理由であった。


「女々しくて情けないことだが、それだけ俺にとってお前は大きな存在だったんだ」


 頭を掻きながら「いや、今もだな……」と訂正する。

 過去形ではなく、現在進行形でかけがえのない存在なのだ。


「お前と過ごした日々を忘れることは決してないだろうな。今でも鮮明に思い出せるくらいだ」


 実親が楓と出会ったのは中学一年生の頃だ。

 当時三年生だった楓は学校のマドンナ的な立場の人気者であり、入学したばかりの実親でも存在は知っていた。

 しかし、本の虫だった実親は気にも留めることなく図書室の本を読み漁る日々だった。


 そうして我関せずを貫いて図書室で読書に耽っていたある日、突然楓に話し掛けられたのだ。

 全く交流のない三年生に脈絡なく話し掛けられるのは普通の一年生なら萎縮してしまうところだが、当時の実親は既に今と変わらない性格だったので狼狽えることなく対応した。


 その時に話し掛けられた言葉は今でも覚えている。

 椅子に座って本を読んでいた実親の対面の席に腰を下ろした楓は、テーブルに頬杖をついて少しだけ気怠い雰囲気を滲ませながら、「ねえ、何かおすすめの本ない?」と言ったのだ。


 何故なんの交流もない後輩にくのだろうか? と思い首を傾げた実親は、素直に尋ねてみた。

 すると、「君はいつも図書室に入り浸っているから詳しいと思って」と返ってきたのだ。


 図書室に入り浸っているのは事実だが、そもそも何故自分の存在を知っているのか? という問題に行き着く。

 詳しく話を聞いてみると、どうやら実親は三年生の女子の間で良く話題に上がることがあったそうだ。


 当時の実親は既に百七十センチを超える身長で、整った顔立ちに落ち着いた雰囲気を身に纏っていた。

 つまりイケメンの一年生ということで三年生の女子が目を付けていたということだ。


 楓は実親に対して興味も関心もなかったのだが、暇を持て余して図書室へ赴いたら本人がいた。

 なので、ちょうど良いから尋ねてみよう、という彼女の軽い気持ちが発端だったのだ。


 その日を境に二人は交流を重ねるようになった。

 一緒に図書室で読書をしたり、本を買いに書店へ行ったり、映画館やショッピングモールへ遊びに行ったりだ。

 中学生らしく遊びに行ったりと言ったが、取り繕うことなく言えばデートである。


 思春期真っ只中の中学生の男女が仲を深めればどうなるか、それは言わなくてもわかることだろう。

 如何に大人びている実親と、恋に恋するお年頃ながらそういったことには興味を示さなかった楓でも、異性に惹かれていくものだ。

 いや、そういう二人だからこそ惹かれ合ったのかもしれない。


 楓は学校のマドンナ的存在なので、当然男子からはめちゃくちゃモテる。

 しかし楓は色恋事に興味を示さないどころか、好意を寄せられること自体に辟易していた。

 そんな時に出会ったのが、自分のことを特別な目で見てこない男子である実親だった。特別な興味を示さない実親が新鮮であり、心を許すことが出来たのだ。


 実親は実親で楓のことを異性として見ていなかったが、共に過ごしていく内に自然と心を許していた。


 一緒にいると居心地が良く、落ち着けて楽しい日々。

 相手が喜んでくれると自分も嬉しくなる。寧ろ相手のことを喜ばせたくなるくらいだった。

 要するに、お互いに素のままの自分でいられる相手に依存するようになったのだ。


 二人は毎日のように会っていたが、夏休みに入ってからは顔を合わせることが少なくなって、楓は寂しくて実親のことが恋しくて仕方がなくなり、その時に「私、彼のことが好きなんだ……」と自分の気持ちに気が付くことになった。


 そうして気持ちに気付いた瞬間からとめどなく愛しさが溢れ出てきて、自分のことを抑えられなくなり無意識に実親に電話して呼び出していた。


 当の実親は突然の呼び出しに驚いたが、楓の声が興奮気味で上擦っていたので心配になり、すぐさま指定の場所まで足を運んだ。


 実親が待ち合わせ場所の公園に着いた時には既に楓が待っており、目線があった瞬間に彼女は駆け出した。

 そして勢いそのままに正面から実親に抱き着き、はにかみながら言ったのだ。


「好き……私と付き合って」


 甘く蕩けるような声色で告げられた言葉に、実親は自然と抱き締め返していた。

 人の視線など気にしないとばかりに甘い雰囲気を撒き散らす二人は、そうして恋人になったのだ。


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