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第61話 非公式

 その後は三人揃って順調に記録を伸ばしていた。

 町野と伊吹は一発で成功し続け、梅木は博打上等のスタイル故に何度か失敗を挟みつつも、三回以内には必ず成功させている。


 本来ならとっくに優勝者が決まっていてもおかしくない記録に到達しているが、一向に決着がつく気配はない。

 あまりのハイレベルな戦いに、誰もが高校生の大会だということを忘れてしまっていた。


 そして現在のバーの高さは一メートル八十三センチ。

 町野は当然のように一度で成功し、伊吹も危なげなく一発で成功させた。

 残る梅木は一度目の試技ではバーを落としてしまう。しかし二度目の跳躍で見事跳び越えてみせた。


 梅木がガッツポーズした直後に今日一番の歓声が会場中に轟いた。

 それは当然だろう。梅木が自己記録を更新した瞬間だったのだから。


「やったね梅ちゃん!」


 自分のことのように喜ぶ今帰仁に迎えられた梅木は、浮かれることなく平静を保っていた。


「なんか今日はもっと跳べる気がするわ」

「梅ちゃんが覚醒した!」


 感覚が研ぎ澄まされて全能感で満たされていた梅木は、「これがゾーンか」と呟いて自分の状態を冷静に観察する。


「この調子ならもっと自己記録伸ばせるよ!」

「それはどうかしらね」


 浮かれる今帰仁に対して肩を竦めながら苦笑する梅木は終始冷静だ。


「そういえば、ブッキーの自己記録っていくつなの?」

「公式の記録なら一メートル八十センチです」

「その言い方だと非公式の記録は違うということ……?」

「そうなりますね」

「いくつなの?」

「一メートル八十六センチです」

「……それ中学生記録と同じ記録じゃん!」

「私のは非公式ですし、高校入学後に出した記録ですけどね」


 女子高跳びの中学生記録と同じ自己記録を非公式とはいえ伊吹が出していた事実に、今帰仁は驚愕して目を見開く。


 伊吹の記録は大会で出した記録ではなく、練習中に出した記録だ。なので非公式になっている。


「公式の記録でも私より上だったんだね……」

「あんたの自己記録は一メートル七十九センチだったわね」

「うん」


 肩を落とす今帰仁は、梅木の言葉に力なく頷いた。


「まあ、私の記録も椎葉さんには及んでいないみたいだけれど」

「あくまで非公式なので……」


 溜息を吐く梅木と、恐縮して頭を掻く伊吹。


「非公式でも跳び越えたことがあるなら私よりも上ってことは変わらないでしょう」

「公式の記録は梅木さんと一緒に更新中ですから」

「それもそうね」


 公式記録を更新したのは梅木だけではない。

 今この時も伊吹は公式の自己記録を更新している最中だ。

 そのことを指摘された梅木は納得顔になるも、すぐに口元をニヤつかせて獰猛な肉食獣のような気配を滾らせた。


「なら私と椎葉さんのどちらがより記録を伸ばせるか勝負ね」

「梅ちゃん、ブッキーを脅しちゃだめだよー」

「脅してないわよ」

「でも三年生にそんなこと言われて迫られたら普通は怖くて萎縮しちゃうよー」

「……」

「ただでさえ梅ちゃんは苛烈な人って勘違いされて怖がられ易いのに」


 伊吹がどう反応すれば良いか困っていたのを察したのか、今帰仁が二人の間に割って入って苦言を呈した。


 注意された梅木は、もし自分が一年生の時に三年生に迫られたらどう感じるかを想像する。

 怖がることも萎縮することもないだろうが、多少は気が引けるし、空気を飲んで自分の意に反した対応をしてしまうこともあるかもしれない、と思い至った。


「……最後のは余計だけれど、確かにあんたの言う通りね。軽率だったわ」


 怖がられ易いという言葉には不満がない訳ではないが、非があるのは事実なので行いを改めた。


「そういう自分の非を素直に認めて謝るところが梅ちゃん良いところだよねー」


 そう言うと今帰仁は梅木に抱き着く。


「椎葉さん、悪かったわね」

「いえ、怖かった訳ではありませんので」

「そう、なら良かったわ」


 今帰仁の頭を撫でる梅木が微笑む。


「迫り方は良くなったと思うけれど、椎葉さんとの勝負は本気よ」

「それは私も望むところです。友達の前でかっこ悪い姿を見せられませんから」


 友達が見ている前で情けない姿を晒す訳にはいかないと意気込み伊吹は、無意識に実親と紫苑へ視線を向けていた。


「おー、あの二人が友達?」

「え? あ、はい」


 伊吹の視線の先を追っていた今帰仁が梅木に抱き着いたまま首を傾げる。

 尋ねられたことで無意識に視線を向けていたことに気が付いた伊吹は、慌て気味に頷いた。


「ほへー。美男美女じゃん」


 スタンドまで距離があるが、沖縄の自然の中で育った今帰仁は人一倍視力が優れている。なのではっきりと顔を識別することが出来ていた。


「良く見えるわね……私はなんとなくしかわからないわよ」


 梅木が溜息を吐く。


「もしかしてブッキーの彼氏?」

「えっ!?」

「それとも彼女?」

「ど、どっちも違います!」


 予想外の質問に伊吹は頬を赤らめながら両手を胸の前で振って否定する。

 内心では「彼氏だったら嬉しいけど……」と思っていたが。


「二人共友達です!」

「なんかその慌てようが怪しいなー」


 今帰仁が窺うような視線を伊吹に向ける。


「本当ですよ!」

「ふーん。そうなんだ」


 怪訝な顔をしているが、一先ずは納得したようで、追及することなく引き下がった。


「彼氏? って尋ねるのはわかるけれど、彼女? って尋ねるのはどうなのよ……」


 梅木が呆れ果てる。

 別に同性愛を否定している訳ではない。

 ただ、友達と言っていたからその線はないだろうと思っただけだ。

 男の方は伊吹の彼氏か、友達の彼氏だと考えても不思議ではない。なので友達の枠から外れていてもおかしくないと考えたのだ。


 だが、今帰仁には意図が通じなかった。

 女同士の関係を否定していると受け取ってしまったのだ。

 勿論それで今帰仁が不快になることはないが、梅木にとっては藪蛇となってしまう。


「えー、そう? 私は梅ちゃんの彼女になっても良いと思ってるし、何も不思議じゃないよー」


 満面の笑みを浮かべ後に目を瞑った今帰仁は、梅木の顔に唇を近付ける。

 しかし――


「あんたみたいに手の掛かる子はごめんよ」


 梅木は右手で今帰仁の顔面を鷲摑むようにブロックした。


「妹も駄目で彼女でも駄目だと……!?」


 すげなくあしらわれてしまった今帰仁は、梅木の胸に顔をうずめて悲嘆に暮れる。


 突然百合な展開を繰り広げ始めた二人に、伊吹は「本当に仲良しだなー」と微笑ましい気持ちになった。


 張り詰めた決勝の雰囲気が打って変わって、二人の周囲だけ一気に和やかになっていく。


 拒否してはいるが、今帰仁のことを引き剥がそうとしない梅木はもしかしたら満更ではないのかもしれない。面倒見が良いだけの線も捨てきれないが。


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