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第30話 終業式

 三日後。

 この日は夏休み前最後の登校日だ。


 外は三十度を超えて蒸し暑いが、終業式は冷房の効いた総合体育館で行われている。

 千人を超す生徒を抱える立誠高校だが、一際大きな総合体育館には全員収容可能だ。


 誰も聞いていないような校長の長ったらしい話はどこの学校も恒例だろう。

 待ち遠しかった夏休みが目前に迫り気もそぞろな生徒達にとっては苦行である。


 近くにいる友人と夏休みの予定について話している男子生徒。

 恋バナに花を咲かせている女子生徒。

 暇を持て余して寝ている怠け者。

 夏休みが楽しみ過ぎて落ち着きのない元気者。

 真面目に校長の話を聞いている優等生。

 度が過ぎている生徒に注意する教師。


 普段とは違い、夏休み前独特の空気感が漂っていた。


 粛々と、とは言い難い終業式が終わると、苦行から解放された生徒達は総合体育館から退出していく。


 中には夏休みの予定で頭がいっぱいで終業式が終わったことに気が付いていない生徒もいる。近くにいるクラスメイトに促されて気付く始末だ。


 一年B組の面々も自分達の教室に戻っていく。

 残すはホームルームだけだ。


 実親、颯真、亮は三人連れ立って教室に戻る。


「そういえば、翔のやつ坂巻と付き合うことになったらしいぞ」


 颯真は今朝登校中に町田駅で翔と彩夏が手を繋いで歩いているところに遭遇した。

 その際本人に尋ねたら恋仲になったと告げられたのだ。


 付き合いたてだからか二人は常に密着しており、大変仲睦まじい様子だった。

 間近で見せつけられた颯真は甘ったるい雰囲気に胃がもたれた程だ。


「それはめでたいな」


 実親は説教臭いことを言った手前、少なからず気になっていた。なので上手くいって安堵する。


「翔もリア充になったかー」


 亮が沁沁しみじみと呟く。

 口調からは羨ましがっているのが伝わって来る。だが友人の恋路が順調なのは純粋に嬉しいようで表情は誇らしげだ。


「楽しい夏休みになるだろうな」

「だなー」


 颯真の言葉に亮が首肯する。


「俺は女子と遊びまくるぞ」

「なんの決意だよ……」


 謎の決意表明をする颯真に実親は呆れてしまう。


「節操ないな」

「彼女作ったら他の女子と遊べなくなるからな。だから俺は彼女作る気ないぞ」


 若いうちは目一杯遊びたいものかもしれない。

 気持ちはわからないでもないが、節度を忘れてはならない。物事には限度がある。程々にとどめておかないと痛い目を見ることになりかねない。


「泣かせるようなことはするなよ」

「それは勿論。上手くやるさ」


 実親の忠告に颯真は胸を張って自信満々に答える。

 本当にわかっているのか疑わしい態度だ。あまり深く考えていないようにすら感じる。


 女性を傷付けて泣かせてしまうことになったら目も当てられない。

 実親は万が一の事態にならないように可能な限り見張っておこうと心に決めた。


「俺は彼女欲しいけどな」

「亮は健全で何よりだ」


 亮は颯真と違い、一途に彼女一人と付き合いたいようだ。

 どうやら颯真に毒されてはいないようだ、と実親は胸を撫で下ろす。見張る対象が二人もいたら大変だった。


「その前にお前らは夏休みの課題をちゃんとやれよ」


 実親は待ち侘びた夏休みが到来して浮かれている二人に釘を刺す。


「……」

「嫌なことを思い出させるなよ……」


 亮は苦虫を嚙み潰したよう表情で黙ってしまい、颯真は不満を口にする。


「なんで高校生になってまで夏休みに課題出るんだよ」

「夏休みなのに全然休めないじゃんかよ」


 颯真と亮の口から立て続けに愚痴が零れる。


「お前ら遊び尽くす気満々なんだから休む気ないだろ」


 深々と溜息を吐く実親は続けて言葉を紡ぐ。


「それにお前らみたいな奴がいるから夏休みに課題が出るんだろ」


 尤もな指摘に二人は返す言葉がなかった。


 実親みたいに日頃から確りと予習復習している者には課題など出す必要はない。しかしみなが自主的に勉強する訳ではない。

 中には遊ぶことしか考えていない者や、だらけてばかりの怠け者もいる。だからこそ成績にも影響するので嫌でもやるしかない課題を出している。


 日頃から勉強している者にとってはとばっちりに等しい。

 課題がなければ自分の苦手な科目や、志望校の入試内容に沿った勉強により時間を割ける。だが貴重な時間を課題に取られてしまう。

 課題自体は為になるので迷惑とまでは言わないが、複雑な心境ではある筈だ。


 実際、三年生になると課題は殆ど出ない。冬休みには全く出ず、夏休みには担当教師によっては出ることがあるくらいだ。課題よりも受験勉強、就職活動を優先させる為である。


 担当教師によっては一、二年生でも課題を出さない。

 課題を出さない教師は「当たり」などと言われて人気だったりする。


「なんかすまん……」


 実親に軽く説教された二人は申し訳なくなり頭を下げた。

 自分達の所為で迷惑を被っている人もいると理解したのだろう。


 頭を上げた亮が口を開く。


「課題はサネせんせに教えてもらおう」


 数秒前に頭を下げたのはなんだったのだろうか。全く反省していない。実親の時間を奪って迷惑掛ける気満々である。


「お前……いくらなんでもこの流れでそれはないだろ……」


 亮の口から予想外の言葉が飛び出し、流石に颯真も呆れ果てた。

 信じられないものを見るような目つきになっている。


 実親自身は友人の為なら骨を折ることは厭わないし迷惑だとも思わない。

 しかし実親は困り顔なり、颯真と亮にとっては衝撃の事実を告げる。


「俺はもう殆ど終わっているんだが……」

「……は?」


 衝撃の余り二人は立ち止まってしまう。

 颯真は愕然として開いた口が塞がらず、亮は半分気絶している。


 実親は授業で課題を出されると、その日の内から取り掛かっていた。

 各科目は夏休みに入る前の最後の授業で課題を出される。早い科目だと一週間以上前には出されていた。まだ終わっていない課題は昨日今日出されたばかりのものだけだ。


 二人が突然立ち止まったので、実親は先に二歩進んでしまった。なので立ち止まって振り返る。

 すると――


「いたっ」


 三人の後方にいたクラスメイトの男子が亮の背中にぶつかってしまった。

 前にいる人が急に立ち止まったら反応出来ずにぶつかってしまうのは無理もない。


「あ、わりぃ」


 半ば気絶していた亮は背中の衝撃で正気に戻ったようだ。

 そして振り返るといきなり立ち止まってしまったことを謝る。


「大丈夫大丈夫。話聞こえてたけど、僕も驚いたし仕方ないよ……」


 ずれた眼鏡を掛け直しながら苦笑している男子生徒は気にしていないようだ。


「丸井でも驚くんだな」

「そりゃそうだよ」


 颯真は「良かった」と言いたげな表情で呟く。

 その言葉に丸井と呼ばれた少年が頷いた。


 彼の名前は丸井まるやまはじめと言う。

 黒髪のマッシュヘアと黒縁眼鏡が特徴だ。百七十センチ未満の小柄な体型と、制服をきっちりと着ている姿。そして穏やかな雰囲気も相まって人畜無害な印象がある。


 肇も成績優秀で、いつも試験で良い結果を残していた。

 だからこそ颯真は頭の良い奴はみんな課題が終わっているのかと思ったのだ。

 幸いなことに肇もまだ課題は終わっていなかったので安堵していたのだった。


「僕は大体半分くらいかな」

「殆ど終わってるじゃねーか!」


 しかし残念ながらぬか喜びだったようだ。

 肇も夏休みに入る前から課題に取り掛かっていた。


 颯真は膝から崩れ落ちている。

 反応がない亮の様子を確認すると再び半分気絶していた。


「頭良い奴はみんなこうなのか……」


 呆然と呟く颯真の声には力がない。


「まあ、時間ある時なら付き合ってやるから確りやることだな」


 実親は肩を竦めているが、見放さずに付き合うようだ。なんだかんだ言ってもやはり面倒見が良い。


「頑張って」


 肇は受け入れ難い現実に直面して項垂れている颯真と亮ことを励ます。優しい微笑みが彼の性格の良さを表していた。


 だが、果たして二人の耳にちゃんと届いていたのだろうか。


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