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第14話 脚本

 紫苑が興味深々といった表情で実親を顔を覗き込む。


「ひたむきに努力している姿が眩しくて魅力的だと思った」

「そういう意味か」


 実親の回答に紫苑は少し残念そうな表情を浮かべる。

 好いた惚れたの話を期待していたのだろう。だが、残念ながら期待には応えられない。


 魅力的という言葉に惚れたのかと解釈することもあるかもしれない。

 しかし紫苑は勘違いしなかった。

 彼女も実親と同じ気持ちだったからだ。


 目標に向かって努力し、汗を流す姿は素直にかっこいいと思う。

 努力なんて恥ずかしくて馬鹿馬鹿しいと揶揄する者もいるが、邁進しているのを目の当たりにすると自然と応援したくなるし勇気を貰える。

 努力することは楽しいことばかりではない。苦しいことも大変なことも山程ある。

 決して誰にでも出来ることではない。


 そんな誰にでも出来ることではない壁に屈することなく立ち向かっている伊吹の姿に、実親と紫苑は心を動かされていた。

 人の心を動かすことが出来るのは一種の才能だ。


「彼女をモデルにした話を書くか」

「どういうこと?」


 実親の呟きに紫苑は疑問を浮かべる。

 彼の言っている言葉の意味が理解出来なかった。


つかさに映画研究部が学祭で上映する自主制作映画の脚本を任されているんだが……聞いてないか?」

「え、部長に?」

「ああ」

「初耳なんですけど……」


 つかさとは、実親の幼馴染である山縣やまがたつかさのことだ。

 彼は一つ上の二年生で、映画研究部の部長を務めている。


 映画研究部は毎年学園祭で自主制作した映画を上映するのが恒例となっており、その脚本を実親が任されていた。


 紫苑にとっては寝耳に水であり、呆気に取られてしまう。

 溜息を吐いて気持ちを切り替えた紫苑が口を開く。


「黛って映画研究部の部員じゃないよね?」

「ああ」


 映画研究部の一員である紫苑は、実親が部員ではないことを把握している。

 だが、部外者の実親が脚本を書くと聞いて自分の認識が誤っていたのかと疑問を抱いた。


 実親が首肯したので、自分は間違えていなかったと安堵する。

 しかし、なら何故彼が脚本を書くのか? と一層疑問が深まってしまう。


「ならなんで黛が脚本を書くの?」

「頼まれたからだな」

「……」


 実親の簡素な答えに紫苑は黙り込んでしまう。腑に落ちないといった表情だ。


 紫苑は実親が作家であることを知らない。

 知っていれば納得出来ただろうが、知らない以上は仕方がない反応だ。


「つまり……伊吹をモデルにして脚本を書こうかなってこと?」


 情報を整理して実親の呟いた言葉の意味を理解した紫苑は改めて確認する。


「そうだ。椎葉をモデルにした青春群像劇を書こうと思った」

「ふーん」


 紫苑は練習に励む伊吹へ視線を向けて考え込む。


「……良いんじゃない? 伊吹は絵になるし、私も観てみたいかな」


 紫苑も伊吹をモデルにした青春群像劇に興味が湧いた。


 視線の先にいる伊吹はバーを飛び越えた後、コーチと言葉を交わしている。

 そして一旦練習を中断して休憩を挟むことにしたようだ。

 手渡されたボトルで水分補給をしている。


 その時、伊吹が実親達の方へと顔を向けた。


「あ、こっち向いた」


 紫苑と伊吹の目線が合う。


「折角だし、本人にモデルにすることを伝えたら?」


 そう言って紫苑は伊吹を手招きする。

 視線の先では伊吹が首を傾げていた。

 手招きしているのが紫苑だとわかると、タオルで汗を拭きながら歩み寄って来る。


「そうだな。勝手にモデルにするのも気が引けるしな」

「うんうん」


 実親は本人に了承を得た上で脚本を書いた方が良いと思い至り、紫苑の提案に賛同した。


「久世さん」


 二人の眼前までやって来た伊吹が紫苑に声を掛ける。


 夏の暑さと運動後の影響で上気した顔と滴る汗が妙な色気を醸し出していた。

 近くで見ると引き締まった脚や腹筋にも汗が浮かんでおり、実親はつい見入ってしまう。


「やっほー」


 紫苑は右手を顎の高さまで上げて応える。


「彼氏さん?」


 伊吹は紫苑の隣にいる面識のない男子の存在が気になった。


「はは、違う違う」

「そうなんだ」


 紫苑は笑いながら右手を左右に振って否定する。


「伊吹に話があってね」

「何?」

「黛が伊吹をモデルにした脚本を書きたいんだって」

「私をモデルに?」


 紫苑は実親に視線を向けながら言葉足らずな説明をするが、案の定伊吹は話が読めずに首を傾げた。


「俺が改めて説明する」


 見かねた実親が代わりに説明を買って出る。

 初めから自分で話そうと思っていたので大した問題ではない。


 そして実親は事の詳細を述べていった。

 一通り説明し終わると、内容を理解したようだ。


「ちょっと恥ずかしくて照れるね」


 実親が「見惚れていた」、「美しかった」、「眩しかった」、などと正面から真顔で口にするので伊吹は顔を赤らめていた。

 照れを隠す為にタオルで顔を覆っている姿が愛らしい。


「青春群像劇ってことだけど、どういう内容なの?」

「それはこれから煮詰めていくから今のところはなんとも言えんな」

「そっかー」


 今さっきモデルにすることを決めたばかりだ。説明のしようがない。

 伊吹は気になっていたことが聞けず少し残念そうにしている。


「どうだ? 嫌なら断って構わないが……」


 モデルにされるのを喜ぶ者もいれば、嫌がる者もいる。仮に断られたとしても仕方がないことだ。

 人が嫌がることをする趣味を持ち合わせてはいないし、無理強いをするつもりもない。

 伊吹本人の気持ちを尊重するつもりだ。


 そして当の伊吹はしゃがんで膝に右肘を乗せ、手に顎を乗せて考え込んでいた。


 既に夕陽が顔を覗かせている。

 茜色に染まった校庭で部活に励む生徒達の声が響く。


 どれ程の時間が経ったのかは定かではないが、伊吹の考えが纏まるまでじっと待つ。


 少し強めの風が吹き、三人の髪が靡く。

 周囲にはスカートを抑えている女子生徒の姿もある。


 伊吹のことを見守っていると、彼女は下げていた目線を上げ、徐に口を開いた。


「少し恥ずかしいけど……私も観てみたいから書いてほしいかな」


 はにかみながら言う伊吹の表情は妙に艶っぽかった。

 彼女の表情と仕草が実親の琴線に触れ、まじまじと見入ってしまう。


「椎葉は可愛いな」

「ええ!?」


 実親は伊吹に魅入られたかのように自然と瞳を見つめて素直な気持ちを口にした。


 当の伊吹は驚いて尻餅をついてしまっている。

 ただでさえ夏の暑さと運動後の影響で上気していた顔が一層赤面していく。顔が熱くなっていくのを自覚出来る程だった。


「伊吹のこと口説いてる?」


 紫苑はジト目を実親に向ける。


「私を放置して目の前でイチャつかないでくれるかな」


 蚊帳の外にされ、眼前で行われる二人のやり取りに胸焼けして溜息を吐く。


「いや、そんなつもりはなかった」

「イチャついてないよ!?」


 いつも通り平静な実親は落ち着いて否定する。

 対して伊吹はわかり易く動揺していた。


「ふふ、わかってるよ。冗談冗談」


 どうやら二人のことを揶揄っていただけのようだ。


「私も伊吹の可愛い姿を見れて得したよ」


 いや、伊吹のことを揶揄っていたのかもしれない。

 紫苑は嫣然えんぜんと微笑む。


「久世さんも何言ってるの」


 伊吹は紫苑に揶揄われたのだとわかり、恨みがましい目を向ける。


「私そろそろ練習に戻るね!」


 恥ずかしさに居た堪れなくなり、勢い良く立ち上がり颯爽と駆けていく。


「やっぱり可愛い」


 伊吹の後ろ姿を見ながら紫苑が呟く。

 可愛いという意見には同意するが、揶揄うのは程々にしてやれと思った実親は肩を竦めたのであった。


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