放課後、実親は陸上部の練習場の脇に設置されているベンチに腰掛けていた。
暑さは感じるが、今日は風があるので外にいても比較的過ごし易く苦にならない。
特に何をするでもなく、練習に励む陸上部の様子を眺めている。
その中に自然と視線が吸い寄せられ、つい見入ってしまう人物がいた。
スポーツウエアを着用している黒い髪をショートレイヤーにしている女子だ。
前髪は長めで、長い部分と短い部分の段差を付けたレイヤースタイルが髪型に軽やかさを与えている。
胸部のみを覆っているウエアはノースリーブ。
腕と下腹部が
パンツは臀部のみを覆って付け根から下を露出しているタイプだ。
スポーツウエア姿も相まって彼女が汗を流す姿は美しくて見惚れてしまう。
目線の先にいる女子が助走をつけて駆け出し、背面跳びでバーを飛び越えた。
身体がバーに触れることはなく、難無く跳ぶ姿は流麗で見ていて飽きない。
反復練習を繰り返し、ひたむきに努力している姿は格好良くて絵になる。
「お待たせ」
実親の背後から声が掛かり、振り返ることなく口を開く。
「終わったのか?」
「うん」
声の主は実親の隣に腰掛ける。隣に座ったのは紫苑だ。
紫苑は部活に出ていた。
今日は彼女を家に泊めることになっているので共に帰宅することになる。なので実親は時間を潰していた。
風に乗って紫苑の匂いが鼻を掠める。
シャンプーの香りなのか、汗の匂いなのかわからないが、嫌な匂いではない。
「陸上部の練習を見てたの?」
「ああ。彼女に見入っていた」
紫苑の問いに実親は顎をしゃくって指し示す。
「
「知り合いか?」
「うん」
紫苑は実親が指し示す先にいた人物に心当たりがあった。
どうやら知り合いらしい。
「
紫苑が伊吹について詳しく説明してくれる。
「中学時代に全国大会で上位の成績を残し続け、スポーツ特待生として入学した期待のホープ」
伊吹は中学時代から走高跳の選手として活躍し、著しい成績を残した。
当然陸上の強豪校が放っておく筈がなく、立誠高校が彼女の勧誘に成功して今に至る。
立誠高校は私立であり、部活動にも力を入れている。
全国区で実績を残す部活や生徒もおり、知名度も申し分ない。
全国から生徒が集まり、全校生徒の数は千を超す。
「伊吹は一年生ながら既に今年のインターハイ出場を決めてるね。ここからは見えないけど垂れ幕も掛かってるし」
「そう言えばあったな。ちゃんとは見ていなかったが……」
校舎にはインターハイ出場を決めた生徒及び部活の垂れ幕が掛かっている。
その中には伊吹の物もあった。
尤も、実親は気にしていなかったので全く把握していなかったが。
「地方から出て来て頑張るのって凄いよね。尊敬する」
紫苑がしみじみと呟く。
実親が彼女の顔を見ると、感慨に耽っているかのような遠い目をしていた。
推測しか出来ないが、恐らく自分と重ねているのだろう。
自分は当時の友人と離れることも、見知らぬ土地に行くことも不安で父について行く決断を下せなかった。
対して伊吹は親元を離れて一人で上京している。
寮で暮らすとはいえ、十代の少女が軽い気持ちで下せる決断ではない。
その違いが紫苑の心には刺さるものがあった。
「地方から来ているのか」
「うん。確か宮崎だったかな」
「それは遠いな」
伊吹は宮崎県から遥々やって来ている。
部活の為に一人で東京に進学するのは勇気がいる筈だ。
それだけ真剣に取り組んでいる証拠でもある。
「背高くて手足も長いからモデルみたいでかっこいいよね」
「ここからじゃわからんな」
「確かに……距離あるもんね」
離れている相手の身長は正確に把握出来ない。
しかも実親は
だが他の女子と並ぶ時があるので長身だということはなんとなくわかった。
実際伊吹は百八十センチ近い長身だ。
手足が長くスレンダーだが、ただ細い訳ではなく、脚や腹筋など見える部分は確りと筋肉がついているのを確認出来る。
「伊吹みたいな子がタイプなの?」
紫苑が実親の顔を窺いながら尋ねる。
「いや、そういう訳ではないが、見惚れているのは事実だな」
「ふーん」
紫苑は自分の胸に目線を下ろし小声で呟く。
「なるほど……だから私の胸に興味を示さなかったのか……」
紫苑は凹凸の激しい身体つきをしているが、反対に伊吹の胸は控えめで全体的にスラっとしている。
もしかして実親は巨乳よりも貧乳が好みなのか? と邪推していた。
「聞こえてるぞ」
「あら」
実親の耳は紫苑の呟きを確りと捉えていた。
当の紫苑はわざとらしい笑みを浮かべる。
聞こえないように呟いたのか、聞こえるとわかっていて呟いたのか、判断に困るところだ。
「言っておくが、お前の胸には興味しかないぞ」
「え」
実親は至極真面目な顔つきで紫苑の瞳を見詰める。
「なら、やっぱり揉んどく?」
紫苑は一瞬気圧されたが、揶揄いを含んだ表情で自分の胸を差し出す。
両手で支えられた巨乳の破壊力は抜群だ。
「魅力的な提案だが、弱みに付け込む趣味はない」
「ふふ、真面目なんだね」
「趣味嗜好の問題だ」
対価として女性の胸を揉む趣味は持ち合わせていない。
弱みに付け込むのが性癖に刺さるという者もいるかもしれないが、実親には共感出来ない趣味嗜好だった。
「ははっ、ぶっちゃけ過ぎ」
自分の性癖を包み隠す素振りのない実親が可笑しく、紫苑は今日一番の笑い声を上げる。
実親の太股を数度優しく
「でも、そういう正直なところは好きだよ」
紫苑は実親の瞳を見つめて艶笑する。
表情が蠱惑的で、折角切り離していた彼女の痴態が脳裏に舞い戻り、鮮明に映し出されてしまう。
やはり脳裏に刻み込まれてしまったものを簡単に忘却することは叶わなかった。
「それは光栄だ」
脳内で紫苑の痴態が再生されていることを気取られないように実親は平静を装う。
「光栄なんだ?」
「それは勿論」
「そっかそっか」
紫苑の問いに即答すると、彼女は頷いて満足した表情を浮かべる。
紫苑が魅力的な女性であることは偽らざる事実だ。
実親としても好みか否かと問われれば迷う間もなく前者を選ぶ。
「ところで、伊吹に見惚れていたって言うのはどういう意味?」