馬車が走り出すと、向かい側に座ったメイドが話しかけてきた。
「大丈夫ですか? リアンナ様。何だかお顔の色が優れないようですけど?」
その顔は本当に心配そうに見える。先程、会場で会った人々とは大違いだった。
「え? そ、そうね。確かに色々あって疲れたかも……」
状況を把握するために、当たり障りのない返事をする。
「やはりそうだったのですね? 何があったのか私に教えていただけますか?」
メイドは自分の胸に手を当てて訴えてきた。
先程の2人の反応からみて、リアンナの父親も恐らく娘に厳しい人物に違いない。だとしたら、私の心配をしてくれている彼女に本当のことを話したほうが良さそうだ。
「あの、聞いて驚かないでもらえる?」
「え? ええ。分かりました。どうぞお話ください」
「私、実は記憶喪失になってしまったみたいなの」
「え……?」
私の言葉に怪訝そうに首を傾げるメイド。
「私、自分のことが一切分からないの。当然あなたの名前も、外で御者をしている彼の名前もね」
「ほ、本当ですか!?」
メイドは目を見開き、ガタガタ揺れる馬車の中で勢いよく立ち上がった。
そのはずみで、ガタンと大きく馬車が揺れる。
「キャッ!」
「だ、大丈夫!?」
馬車の揺れで倒れそうになった彼女を支えてあげた。
「あ、ありがとうございます……リアンナ様」
私にお礼を述べて、座席に座るとメイドはじっと私を見つめてきた。
「な、何?」
「どうやら、記憶喪失になったというのは本当のようですね……顔つきも何だか代わりましたし、何より性格が変わったみたいですから」
「信じてくれるのね?」
「はい、もちろんです。20年間ずっと一緒でしたから、私には良く分かります」
「え!? 20年間!?」
「はい、リアンナ様と私、それにジャンは同じ年に生まれた幼馴染ですから。尤も私もジャンもマルケロフ家の使用人という立場ですけれど」
「ジャン……? ジャンて誰?」
すると、彼女はた目を見開く。
「やはり、ジャンのことも分からないのですね……御者をつとめているのがジャンですよ」
「ふ〜ん、そうなのね……」
「……リアンナ様……記憶がなくなったと言うよりは、何だか別人になったように見えますね」
「アハハハ……記憶をなくしたせいで、別人格になってしまったのかもしれないわねね」
その言葉にドキリとするも、笑ってごまかすことにした。
この身体の中身が別人だと知られれば、もっとややこしい説明をしなければならなくなる。
それ以前に、まずはこの身体の持ち主の事情と周囲の状況を知ることが先だ。
「それじゃ、早速あなたの名前を教えてくれる?」
「はい、私はリアンナ様専属メイドのニーナと申します」
「そう、ニーナ。よろしくね」
「……何だかリアンナ様からよろしくと言われると奇妙に感じますが……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ニーナは丁寧にお辞儀をしてきた。
「それでは、次に私のことを教えてくれる?」
「はい。リアンナ様は由緒正しい、マルケロフ侯爵家の御令嬢です。家族構成はお父上で、現当主のバーナード・マルケロフ様と3歳年上の御長男、ベネディクト様の3人となっております」
「そう、私に母親はいないのね?」
「はい……リアンナ様のお母様は……その、リアンナ様を出産された時に……お亡くなりになってしまったのです。ご主人様は奥様を大変愛されていたらしく、命と引換えに生まれてこられたリアンナ様を良く思われていません……。ベネディクト様も同様です」
申し訳無さそうにニーナが語る。
「あぁ……そういうことね」
つまり、リアンナは家族からよく思われていないということだ。
「そして、リアンナ様はこの国の王太子様のお后候補として名前があがっておりました。別の候補者と次期王妃の座を競い合っていたのです」
「なるほど……」
徐々に話が明らかになってきた。
「そして今夜のパーティーで誰が王妃になるか決まることになっておりました。王太子様が直々にお迎えに来られた方が、選ばれる予定になっていたのですが……」
「つまり、私の元へ殿下は来なかったわけね?」
「……はい、そうです。御主人様とベネディクト様は大変幻滅され……リアンナ様のことをお怒りになられました。もうパーティーには出席するなとお二人に強く言われたのですが、リアンナ様は強引にパーティーに出席されたのです。こんなのは何かの間違いだ。自分が選ばれないはずはないとおっしゃられて……」
申し訳無さそうにニーナが説明してくれた。
「そうだったのね……」
「ご主人様とベネディクト様は猛反対されました。もし参加したらマルケロフ家から追放するとまで仰ったのです。それでもリアンナ様はパーティー会場へ行くことを諦めませんでした。そこで私とジャンはリアンナ様が心配で付き添わせて頂いた次第です」
「そう、2人にも迷惑をかけてしまったわね……」
「い、いえ! 私もジャンも迷惑だなんて思っておりません!」
「ありがとう、ニーナ」
そして私は窓の外に視線を移した。
……元々家族から疎まれていたリアンナ。
王太子候補に名前はあがっていたものの選ばれず、反対を押し切ってパーティーに参加。
挙句の果てに、殿下から城を追い出されてしまった。
もはや、嫌な予感しかない。
私は心の中でため息をついた――