こうして、ワルプルギスの夜会がやってきた。俺はグレイグと同伴する事になったので、共に会場入りしながら、とても複雑な心境だった。ロイ殿下の事を断り切れなかった様子で、非常に迷惑そうな顔をしながら隣に並んでいるクリフが哀れだから、ではない。
何処からどう見てもロイ殿下の気持ちは明らかなので、このままではグレイグが婚約破棄されてしまう……。ここ最近の話しぶり的に、グレイグは気にしていない様子でもあるが、内心は分からない。本当は、辛いのかもしれない。好きな相手の幸福を願って、身を引いているだけの可能性もある。
そう考えていたら、時計の針が、午後七時をさした。すると俺の隣に立っていたグレイグがスッと眼を細くした。
「そろそろか」
「?」
何気なくそちらを見ると、グレイグが一歩前へと出た。すると正面に立っていたロイ殿下が振り返った。こちらも小さく頷いて、何かを心得たというような顔をしている。
「皆の者、よく聞いてほしい」
ロイ殿下が良く通る声で言った。それから、ロイ殿下は、真っ直ぐにグレイグを見た。
「――グレイグ・バルティミア。お前との婚約を破棄する」
そして宣言した。俺はその場の光景に、目を見開いた。これは、紛れもなくゲームと同じセリフだ。
「なお、これは円満な相互了解の元の婚約解消であるが、私には王太子という立場がある故、私側からの解消という形をとらせて頂いた」
しかし、続いて響いた言葉は、ゲームでは聞いた事のないものだった。ゲームにはそんな設定無かっただろ! と、俺は叫びかけたが、ぐっとこらえた。理由は簡単で、俺の目の前でクリフが貧血でも起こしたかのように卒倒してしまったので、支えていたからだ。
「私は、クリフを愛している。クリフ、私と婚約してくれ!」
ロイ殿下が続けた。クリフは俺の腕の中で蒼褪めながら笑っている。そして『無理。俺は平穏に生きるって決めたのに。今度の転生こそ、平穏に過ごすって決めたのに』と呟いていた。て、転生? もしかして、クリフは俺の仲間かな?
そう考えていると、グレイグがやってきて、俺の腕からクリフを奪い、ロイ殿下に向かって軽く突き飛ばした。そしてグレイグは、俺の右手を取った。
「俺もまた、新しい婚約者をここに求める。アンドラーデ男爵弟ライナ、俺と結婚してほしい。生涯幸せにすると誓う」
「えっ?」
「何故驚く?」
「え、え?」
「今後は、正式なパートナーとして、そして婚約者、後の伴侶として、永遠に俺のそばにいて欲しい。愛している」
「えええええええ!?」
俺は思わず声を上げた。この展開は、予想していなかったからだ。
「――だから、何故驚くんだ? ん?」
「い、いやだって……俺じゃ……なんというか、色々と釣り合わない以前の問題で、グレイグはロイ殿下の事が好きなんじゃ……?」
「俺が? ロイ殿下を? 何処からそんな勘違いが発生したんだ? そんな気配があったか?」
「だ、だって……」
そう言う設定だったし! 俺はそれを信じていたんだよ!
「政略上の許婚ではあったが、それだけだ。殿下もまた愛を見つけた今、俺は不要。そして俺もまた、愛に生きる」
「!!」
「俺はライナ・アンドラーデを愛している。ライナ、好きだ。俺では不満か?」
ブンブンと俺は大きく首を振った。それから赤面した。嬉しくて嬉しくて泣きそうだ。
「俺と結婚してくれるか?」
「は、ひゃい!」
大切な所で、俺はまた舌を噛んだ。だが優しく笑ったグレイグに、そのまま右手を握られ、腕を引かれ、そうして抱きしめられた。するとその場に拍手が巻き起こった。チラッとロイ殿下を見ると半ば気絶しているようなクリフを必死に抱えているだけであり、皆が見ているのは、俺とグレイグだった。な、なんだこれ、恥ずかしいな! そう考えていると、耳元で囁かれた。
「有難う、大切にする」
「……っ」
「さて、周知も済んだ事だ。部屋へと戻ろう。ライナの体も良くなったし、俺は公的にお前を抱く権利を得た。その上、お前も俺を好きだと言ってくれる。こんな幸せな夜は無い」
こうしてそのまま、俺はグレイグに引っ張られる形で、会場から退場する事になった。向かった先は、俺達の寮の部屋で、ベッドの上だった。
「ずっとこうしたかった」
グレイグは俺をベッドに座らせると、俺の頬を撫でた。そして唇に、触れるだけのキスをした。頬以外にキスをした記憶が俺には無いので、それだけでビクリとしてしまう。
「お、俺も……」
「ん? どうされたい?」
「っ」
「≪
「ぁ……キスしてくれ」
「こうか?」
グレイグは微苦笑すると、俺の頬に口づけた。それはいつも俺がしている事だ。そうではない。俺はグレイグの服の胸元を思わず掴んで、顔を近づけた。
「さっきみたいに」
「――こうか?」
すると今度は、唇にきちんとキスが降ってきた。その感触に浸っていると、何度か啄むようにキスされた後、顎を持たれて、より深く口づけられた。俺の口腔を、グレイグの舌が嬲る。息継ぎの仕方を知らない俺は、途中で苦しくなって。必死でグレイグの体を押し返した。結果、クスクスと笑って、グレイグが体を離してくれた。
「それとも、ここか?」
片手で俺の服を開けながら、グレイグが俺の鎖骨の少し上に吸い付いた。ツキンと疼いて、キスマークをつけられたのだと理解する。瞠目している内に、俺は上着を全て脱がせられた。そして優しく寝台へと押し倒される。
こうして、俺達の夜が始まった。
目を覚ますと、俺の体は綺麗になっていた。同時に、俺は不思議な感触に気づいて、首に触れた。そこには、銀の鎖で出来た、【
「おはよう、ライナ」
「あ、ああ。こ、これ……」
「我慢出来ずにつけてしまった――が、改めて請う。俺のパートナーになってくれるんだろう?」
嬉しくて泣きそうになりながら、俺は赤面し、小さく頷いた。
すると優しくグレイグが俺の唇にキスをした。
「これからは、ずっと一緒だ。約束だぞ? 毎夜、俺と共に月を見てくれ。今宵だけではなく、毎晩だ」
「う、うん。わ、分かった」
「真っ赤だぞ」
「っ、だ、だって……こんな……ほ、本当に俺で良いのか?」
「ライナ以外ではダメだ。俺はライナが好きなのだからな」
そう言うと再び啄むように、グレイグが俺にキスをした。何度も何度も唇を重ねられる内、俺の胸には幸福な感覚が溢れた。
――このようにして。
俺とグレイグは、結ばれた。卒業までは、ロイ殿下とクリフの毎日を陰ながら応援し(?)、卒業後は、俺は近衛騎士の一人――に、なるはずだったのだが、危ないからという理由で、グレイグに拒否された為、それは取りやめになった。俺は現在、グレイグの伴侶として、公爵夫人という形に収まり、学生時代の講義で習った経験を生かして、スコット先輩と共に、ルナワーズ学園の購買で働いている。スコット先輩は魔法薬学専攻だったので、Sub不安症抑制剤を販売し、俺は普通の紅茶の葉を販売している。兄上が貿易を始めた為、最近この王都では、アンドラーデ男爵家関連の茶葉が人気となりつつある。
ロイ殿下は王太子として過ごしていて、その隣には許婚となったクリフがいる。
それを支える、将来の宰相候補として、グレイグもまた宮廷で文官として働いている。こんな未来は、俺がテストをしていたBLゲームには存在しなかったのだが、どうやら世界は変わっているようだ。
なお、俺とグレイグは教会で祈りを捧げ、子供を得た。コウノトリがかごに入れて運んできた時は、若干焦ったが、そこはふんわりとしたBLゲームの設定そのままだった。
長男と次男がいる。
俺は使用人に手伝ってもらいながら、グレイグと共に子育てをしているのだが、俺があんまりにも子供を溺愛する物だから、時々グレイグの目が据わる……。段々、俺も気が付いてきた。グレイグは、とても俺の事を愛しているようだ! 全く、照れてしまう。
そんなこんなで、ハードモードな脇モブ転生だと思っていた俺の二度目の人生であるが、現在はとても幸せかつ平穏である。何せ、毎日、グレイグは俺の事を褒めてくれる。そして褒めてくれない場合であっても、そばにいてくれる。俺は、それで満足だ。
――これが、俺に待ち受けていた、エンディングである。
俺にとっては、このルートは、紛れもなく、ハッピーエンドだ。
その後も生涯、俺は幸せな日々を歩むのだが、それを俺はまだ知らない。何せ繰り返すが、ゲームにはそんな設定無かっただろ! と、いう話である。そんな事を考えながら、俺は今年も訪れた春の気配を、窓の向こうの梅の花から見て取った後、静かに窓を閉めた。
【終】