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■4:豪邸

 飴色の立派な扉が閉まるのを、僕はボケっと見ていた。それから所在なく周囲を見回し、部屋の中央にあった白いソファに座ってみた。横長のソファは、僕が人生で座ったどんなソファよりも座り心地が良い。振り返れば、巨大な窓があり、白いレースのカーテンがかかっていて、その正面には執務机のようなものがある。隣は書斎と言っていたけど、執務室と書斎はどう違うのだろう。どちらも仕事をするイメージだ。だけど僕には仕事も無い様子だ。奥にはクローゼットルームと寝室があるらしい。


 それにしても――いっきに僕の住処は、四部屋増えたのだ。その上、僕から見ても、調度品も何もかも、高級そうだ。僕には審美眼なんかないんだけど、雰囲気がそうなのだ。壁にはよくわからない油絵がかかっているが、美術の教科書で見たような覚えがある。これじゃあすごい大金持ちのセレブという感じだ。


 緊張しすぎていた僕は、無性に喉が渇いていることに気づいた。

 しかし飲み物は何もない。そこでハッとして、頭の中で緑茶を念じた。それから口に出す。


「緑茶の入った湯呑よ! 出てこい!」


 本当に出てくるか、半信半疑だったが、音もなく目の前にそれは現れた。

 湯気がのぼっている。部屋は暖かくて、見上げれば天井付近に空調があった。


 壁の横にはチェストがあって、大きなテレビがある。リモコンは、ソファ前のテーブルの上にあった。と、とりあえず。僕は、もっと情報を収集するべきだ。本当にこの現実に世界貴族やら日本華族だのが存在し、フォンス能力というものがあるのなら、きっとテレビで報道しているはずだ。同時に、ポケットに入れたまま持ってきた携帯電話では、ニュースサイトを開く。


『続いてのニュースは、大日本帝国連邦の誇るべき華族の名家、七瀬家のご息女であらせられる晴香様のご結婚のニュースです。七瀬家は、恐れ多くも世界貴族であるクリストフ伯爵家の庇護を受けている日本有数の華族であり――』


 テレビ画面の向こうには、満面の笑みのアナウンサーが映し出されている。見覚えがある。昔この人は、朝のニュースに出ていたような気がする。今はちょうど午後のニュースが始まった時間帯だ。


 しかしそんなことより、大問題を知った。

 ――大日本帝国連邦……? なんだろうか、それは。僕の記憶が確かならば、日本は、あくまでも日本国という名前だったし、連邦制じゃない。大日本帝国だけ切り取るならば、戦前の国名だ。


『クリストフ伯爵の庇護下にある国内の華族、各国の独自貴族、また恐れ多いことに世界貴族の中でもクリストフ伯爵と親しい皆様からも、寿ぎのお言葉が届いているとの情報です。さて、気になる春香様のお相手ですが! 世界貴族である宋伯爵家の庇護下にある日本の華族、高遠家の御子息であらせられる弘人様との情報です。派閥を超えた愛を実らせたお二人の門出に、日本中が沸いています。街頭インタビューをお聞きください』


 美男美女の映像が映ったあと、インタビューに切り替わった。

 僕の頭の中には、派閥という言葉が、ぐるぐると回っている。

 とりあえずわかったのは、世界貴族には、クリストフ伯爵と宋伯爵という家々があるということけだだ。それぞれの派閥があるのだろう。また、日本の華族には、七瀬家と高遠家という家があるようだ。一体いくつくらいあるんだろうか。


 僕は続いて、ネットでそれらの情報を検索することにした。


 世界貴族と早速打ち込んだのだが――『世界貴族ならびに各国貴族の情報を閲覧することはできません』と返ってきた。ぽかんとしてしまった。これって……情報統制ってやつだろうか……? ニュース欄を試しに見てみたが、そちらには結婚のニュースが並んでいた。おめでたいことなのだろうからそれは良いが、バッシング記事などは皆無だった。ならばと、フォンス能力やF型表現者と入力してみたが、そちらも閲覧禁止という画面が出てきた。混乱しながら、再びテレビを見る。コメンテーターの人々が、華族の偉大さについて語っていた。その時、『日本国が大日本帝国連邦になり一年』と聞こえてきた。


 僕は一瞬だけ、異世界に来てしまったのかと思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。僕が知らなかっただけで、僕がひきこもっている間に、世界が著しく変化してしまったのだろう。ちょっと信じられないんだけど。呆然としたまま、僕はテレビを見ていた。都内の大盛り料理店の話題が流れたり、世界ですごい再生数を誇る動画の映像が流れている。世界貴族や華族に関する話題以外は、僕でもなんとなく想像がつくいつもの内容らしい。ただ、都内の紹介をしているから、僕が先ほどまでいたド田舎のローカルニュースではないような気がする。僕は一瞬で、東京都内の大きな家まで移動したということなんだろうか。それって、超能力というのが本当なら、俗に言うテレポートみたいなものなんじゃないのかな。そんなことってありえるのだろうか。信じられない気持ちでいっぱいだけど、実際に僕は、今この部屋にいる。そのままぼけっとしているうちに時間が流れたらしく、扉をノックする音が聞こえた。


「夕食のお時間です。二階のダイニングにお越し下さい」


 返事をして頷いた僕は、茨木さんに連れられて食卓に向かった。

 そして並んでいるフランス料理をみて、体を固くした。フレンチなんて、学生時代にノリで食べに行ったっきりだ。マナーも知らない。イスを引いてもらったのでそこに座りつつ、僕は美味しそうな料理を凝視した。


「マナーがわからないんですけど」

「――こちらに教本がございます。手で触れ、中身を頭に入れてください」

「手で触れ……?」

「直接触り、読み込むことが可能なはずです。実際に目で読む必要はございませんし、こちらには動作も記述してありますので、触れればマナーが身に付きます」


 半信半疑で、僕は教本を受け取った。頭の中で、マナーが身に付きますようにと念じる。


「マナー身に付け!」


 僕は意を決して叫んだ。すると、怒涛の勢いで、情報が脳裏を埋め尽くした。それは驚いて息をのんだ瞬間には、終わっていた。僕は瞬きをしてから、改めてテーブルを見る。不思議なことに、僕は、なぜなのかマナーを理解していた。


「これ、これ、すごいですね!」

「どの書籍にも応用可能です。もちろん普通に読むこともできますが」

「だけど僕、今まで勉強なんか全然できなかったのに」

「この手法で学んだことがなかったのではありませんか?」

「なかったです。じゃ、じゃあ、僕はこれから、なんでも触るだけで理解できちゃうんですか?」

「そのはずです。また一度記憶したことは、決して忘れないという研究報告が存在致します。世界を善き方向に導くため、スミス様には多くの事柄を学んでいただきたく思います」

「頑張ります!」

「その意気です。さぁ、お食事を召し上がってください」


 なんだか嬉しくなりながら、僕は食事をした。万能感に支配された気分だ。本当に僕はなんでもできるのだろうか。だとしたら、すごい! ここまでの間は、混乱にばかり苛まれていたのだが、一気に気持ちが明るくなった。これが長い夢じゃなければ、今の僕には、なんでもできるのだ。


 その日、僕は幸せな気分で眠りについた。





***



 ――その頃別室で茨木は、椅子に背を預けながら、一冊の手稿を手に取った。




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