「よ、よかったら、中に……」
「失礼いたします」
彼は入ってきて、扉を閉めた。部屋にはひとつしか座布団がないので、僕はそれを彼の方へ差し出した。あいにく、カップなどもひとつしかない。しかもこちらは使用中で、インスタントコーヒーの粉が入っている。彼には出せない。困りつつも、僕は茨木さんに座ってもらった。
「ごめんなさい、飲み物とか、何もなくて」
「スミス様、お構いなく。お世話をするのは、私の仕事です。なにか必要なものがございましたら、お申し付けください。飲み物は、何がよろしいですか?」
「え? 珈琲が好きですけど」
「どちらの?」
「どちら? あ、その……」
コンビニで買ったインスタントコーヒーの瓶をチラ見しながら、僕はおろおろした。
僕は珈琲が好きだけど、味なんてわからない。ホットだったら、なんでもいい。
どちらということは、産地かメーカーだろうけど、そういう知識は皆無だ。
「ご希望の種類が特にないのでしたら、こちらでご用意させていただきます。お気に召さなければ、すぐに別のものにいたします」
「はい?」
首をかしげながら顔を上げたとき、正面で茨木さんがパチンと指を鳴らした。
すると、こたつの上に、場違いなほど豪奢なティカップが現れた。現れた? え? 目を見開いて、良い香りに浸りながら、カップの中の珈琲を凝視する。手品だろうか?
「どうやったんですか?」
「なにがでしょうか?」
「この珈琲……え? どこから出したんですか?」
「――時空間収納系フォンスです」
「はぁ、フォンス?」
「世界貴族使用人は、全員がAランク以上のF型表現者ですので」
「すみません、ごめんなさい、何言ってるのか全然わかりません」
「スミス様、念のためお尋ねしますが、フォンス能力については、どの程度ご存知ですか?」
「申し訳ありません。たった今初めて聞きました。一体それは、なんですか?」
僕は泣きそうな気分で頭を下げた。茨木さんは、知っていて当然だという顔をしている。恐る恐る彼を一瞥すると、顎に手を添えていた。少し長めに瞬きをしたあと、茨木さんは咳払いをした。
「謝らないでください。ご説明いたします。ご存知無かったのだとしたら、スミス様の反応に納得がいきます」
「よろしくお願いします」
「お気を楽にしてください。どうぞ珈琲を。私は決して怪しいものではありません。もっとも、不審者は自ら怪しいと名乗ることは少ないでしょうが。ご納得いただけなければ、相応の公的機関につき出していただいて結構です」
嘆息しながら口にした茨木さんに向かって、僕は何度も大きく頷いた。
「一般的なイメージで言うのなら、フォンス能力とは、かつて超能力と呼ばれた力のことです」
「――は?」
「フォンス能力をもつ者を、F型表現者と言います。F型表現者は、S・A・B・C・D・Eの六ランクに分類されます。Sランクの能力者のように特に秀でた方は、世界貴族に認定されます。すなわち、スミス様は、大変強力なフォンス能力をお持ちのF型表現者……超能力者ということです」
「いやあの、僕宗教もあんまりよくわかりませんが、そういう疑似科学とかオカルト系もさっぱりわかりません」
「具体例を挙げます。失礼ですがスミス様は、最後に美容院に行かれたのはいつですか?」
「さ、三年前です……」
答える声が引きつってしまった。祖父の葬儀があったので、その直前に行ったのだ。祖父は司法解剖されたので、葬儀までに時間があったから、周囲に促されて出かけたのである。
「では、その後は、ご自分で髪を整えていらしたのですか?」
「いえ……一度も、切ってないです……」
「ならばなぜ、その長さを保っていられるのですか? 髪を縛ってさえおられませんね。どこからどう見ても、一ヶ月以内に美容院で散髪したような髪型です」
「え」
その言葉に、はたと我にかえった。確かに、全然伸びている気がしない。前髪に触れてみるが、邪魔じゃない。ヒキコモリすぎていて、これまで髪型なんて全く気にしてこなかったが、言われてみれば、社会人だった頃は、きちんと美容院に行かなければ、伸びていた。あれ? どうして今は伸びていないのだろうか?
「最後に爪を切ったのはいつですか?」
「……あ……切ってないです」
指摘されて愕然とした。昔は、伸びたら都度切っていた。だけどここ最近、切った覚えがない。だが指を見ても、伸びているとは思えない。背筋を冷たいものが駆け上がった。
「ヒゲをそったのはいつですか?」
「記憶にないです……」
これもおかしい。おかしいことだらけだ。外見のことなんか一切気にしていなかったから忘れていたが、いまあごに触れた限り、つるつるである。
「世界貴族に認定されるF型表現者の条件の一つに、『不老』が挙げられます」
「不老……」
「断言します。スミス様は、十七歳の時点からいっさい老化していません。二次性徴終了後に老化が止まる例が圧倒的多数であり、これは特異な事ではありません。こちらがスミス様の十七歳時の写真、こちらが大学の卒業式のお写真です。鏡もどうぞ」
再びパチンと茨木さんが指を鳴らした。すると見覚えのある写真が二枚と、鏡が現れた。それぞれ眺めてみる。確かに、僕の外見には、髪型以外の変化はない。別に童顔だというわけじゃないのだが、昔から僕は変わらないと言われてきた。最初から老け顔だったから変わらないということでもない。
「そしてこちらが、スミス様の大学時代のご友人の、現在の写真です」
茨木さんが続いて、別の写真を取り出した。僕は目を疑った。みんな……老けている! 年相応だったり色々だが、明らかに大学時代とは違う。改めて鏡を見るが、僕は全く変わっていない。ひきこもっていたからとも考えにくい。
「僕、もう髪の毛が一生伸びないんですか?」
「いいえ。社会生活を送っていて、髪が伸びるという意識があった際、その当時スミス様は無意識にフォンス能力を用いて、髪を伸ばしていたはずです。よって今後も、伸びるイメージを作れば、自在に変化させることが可能です」
「イメージ?」
「フォンス能力とは、イメージ――想像力を駆使して、外界に影響を及ぼす能力の総称です。世界貴族に認定された方は、多くのイメージを実現可能です。例えば場合によっては、致死性の高いウイルスを蔓延させ、人類を滅亡の危機に追いやることすら可能でしょう。それは、世界貴族たった一人の存在を、生物兵器であるとみなすこともできるということです。世界貴族制度とは、そのような事態を防止するために制定されたものです。特権をお渡しする代わりに、貴族間で相互抑止力となる事が望まれますし、非能力者を守ることも望まれています。もっともそれらは、あくまでも世界貴族使用人連盟からの依頼に過ぎず、世界貴族の皆様に厳守義務はございませんが」
つらつらと語った茨木さんの声は、相変わらず僕の頭の中には上手く入ってこない。
だって、僕が仮に本当に、いわゆる超能力者だとして世界貴族というものになったとしてだけど、どう考えても僕が人類を滅亡に導く生物兵器を作ることが出来るとは思えない。
「そもそも、どうやってフォンス能力を使うんですか?」
「頭の中で、起きて欲しい事象を想像してください」
僕は、茨木さんの正面に、コーヒーが入ったカップが出現する光景を想像した。
「何にも出てきませんけど」
「それは、スミス様が『そんな事が起きるはずがない』と想像していらっしゃるからです。そのため、外思念弁別機制が働いているんです。自分に対して信じられない場合は内的外思念弁別機制が作用し、周囲に信用されない場合は外的外思念弁別機制が働きます。しかし世界貴族の場合、外的な方面で影響を受けることは、まずありません」
「け、けどいきなり信じられないし……どうすればいいんですか?」
「もっとも簡単にフォンス能力を発動させる手法としては、鍵を作ることです。私であれば、先ほど指を鳴らしたことがそれに該当します。指を鳴らす行為や、起きて欲しい事象を口に出すことは、多くのF型表現者が用いる鍵です」
「……い、いでよ! 珈琲!」
僕は力いっぱい口に出した。
――その瞬間だった。コタツの上に、カップが出現した。コーヒーがはいっている。
信じられなくて、僕は何度も何度も瞬きをした。
「さすがです、スミス様。初めてで飲食物を出現させられる者など、滅多におりません」
茨木さんが褒めてくれた。思わず視線を向けると、彼がはじめて表情を変化させていた。
薄い唇で、わずかに微笑んでいる。
「今後もそのお力で、世界をより良い方向へお導きください」
「は、はい!」
「続いて、特権についてご説明いたします」
「お願いします!」
「まず、世界貴族は、世界貴族使用人を一名専属で秘書にできます。私が気に食わなければ、他の者に変更することも可能です。また、伯爵位以上の場合は、複数の使用人を持つことも可能です」
「き、気に食わなくないです! あの、公爵は伯爵以上ですか? 以下ですか? いや、未満?」
「以上です。爵位は、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵となります」
「わかりました!」
本当はよくわからなかったが、僕はそう答えていた。コウシャクだけで二つもあるなんて、覚えられる気がしない。あまり僕は頭が良くないのだ。
「続いて給与ですが、日本円の場合、約二億円となります」
「は? 二億? 二億って、二億ですか? 一年に、二億円?」
「いいえ。毎月、手取りで二億円です。税金は入金前にこちらで払ってあります。先ほどお渡しした世界貴族認定証で引き出し可能ですし、あれはクレジットカードとしても使用可能です」
大金すぎて、僕は想像がうまくできない。
しかも手取りで、税金対策も不要……。
これが事実であれば、僕は、大富豪ではないか。
「また、人類を滅亡に追い込まない限り、基本的に何をしても許されます。国際的、あるいはいずれの国の法律にも従う必要はございません。法で世界貴族を裁くことはできません。すべては、世界貴族の皆様個人のモラルの問題です。ならびに、すべての国の戸籍の取得も可能です。世界貴族は世界の宝であり、国という概念を超越した存在ですので」
「それって、た、例えば……誰かを怒りに任せて殴っても、逮捕されないってことですか?」
「ええ。いかなる警察機関にも逮捕されません。仮に逮捕された場合、逮捕した警察官が処罰を受けることになります。世界貴族側からの恩赦がなければ、極刑となります」
「法治国家ですよ、日本」
「ですから世界貴族はいかなる国家の法にも縛られないのです」
茨木さんは、それが真理であるという顔をしている。だけど僕には、全然信じられない。
ちょっと突飛すぎると思うのだ。仮にそれが事実だとしたら、大ニュースのはずだ。明らかに、世界貴族は優遇され、いい意味で差別・区別されているということになる。