「な、なんとかついたな――」
44階層。
つい一階層前までは、水中にいたというのに――階層が一つ違うだけで陸地にあげられる。本来慣れ親しんだ陸地だが、ここ数時間以上はずっと泳ぎっぱなしだったので違和感が凄い。
拠点はすぐ近くにあり、俺たちは特に苦労することもなく足を踏み入れることができた。中に入れば、ちらほらと探索者の姿が見えるものの――開始時に比べるとまだまだまばらという印象だ。
環境が一変する階層となる45階層の一つ手前となるこの階層には、ダンジョンの通例として探索者ギルドが所有する拠点が置かれている。ここで装備や準備を整えることができる他、例え1階層に戻ったとしてもこの拠点から探索をすぐに始めることができるなど便利な設備だ。
大体の探索において、ひとまず探索者ギルドの拠点に入ることが目標となることが多いのも頷ける。俺たちもまさしくそうで、エネミーに絡まれながらも(その全てを俺が対処して)無事に目的地に到達することができた。
「いやぁ、ありがとうアサ君!」
いつも通りの爽やかな態度でミンセントは俺に礼を告げた。「いや、ミンセントがいて助かったよ」「ボクは何もしてないのに?」「話し相手がいるってのは大事だ。そう思うだろ?」
俺の言葉にミンセントはひとしきり笑った。「君もボクの扱いが上手くなっているみたいで何よりだよ」なんて言っているが、実際ミンセントがいたお陰で楽しく階層を超えることができた。
ただ、ミンセントと一緒にいくつものの階層を超えているとある疑念が生まれてくる。
きっかけは小さな違和感だった。
彼女は一切戦わない。それは彼女自身が自負しているように彼女が弱いからだというが、その立ち振る舞いは“弱い”探索者のそれではなかった。第一、ほとんど強行軍に近い踏破をしているというのに彼女は体力的に全く問題がないのだ。
俺だって多少の疲れを感じる。(現役時代から考えれば体力が落ちたことを加味しても)Cランクの彼女がまるで疲れを感じさせないというのはハッキリ言って異常だった。
仮に彼女がCランク以上の実力を持っていると仮定しても、違和感は消えてくれない。
じゃあどうして戦わないのか?
この問いかけが残ってしまうのだ。でも、彼女の立ち振る舞いや妙に余裕綽々としたその態度から想像するに――やはり、彼女は。
「なぁミンセント」
「どうしたんだい?」
「本当にCランクか? 正直、俺が見ている限り――ミンセントはCランクよりもずっと強いように見えた。弱くて戦えないんじゃなくて、あえて戦わないんじゃないか?」
俺たちの共同戦線は44階の拠点まで。
だから、ミンセントと別れてしまう前に彼女の真意が知りたかった。彼女の決意は本物だったと思う。そして、それを聞いて俺がこれ以上追求したくないと思ったことも本当だ。
でも、彼女はまだ何か重要なことを隠している。
そして、その重要な秘め事を知らなければならない。そんな直感が俺にはあった。
「あはは! そう見えたなら光栄だね。ボクもまだまだ捨てたものじゃないってことかな? でも、弱いのは本当さ」
くるりとその場で回転してウィンク一つ。
蠱惑的な仕草のまま、彼女は「あ、ゴリ君だ」と、露骨な話題逸らしをした。でも、彼女の素振りが余りにも自然過ぎて追求する暇さえ与えてはくれない。
「ん? ミンセント――お前もたどり着けたんだなって、隣にいるのは……」
ゴリアテが俺に視線を向けて、やや驚いたような表情を見せた。こそこそとミンセントに耳打ちをして何かを伝えているようだが「あっはっは! 大丈夫だよ。彼は良い人だからね!」「アンタも小声で話せよ!? 俺も小声で話してるんだからさ!」「そんなの逆に怪しいだろ?」
なぁアサ君? なんて言葉と目線で俺に話題のボールが預けられた。
「何の話だ?」
「いやぁ、ゴリ君は君のことを疑っているみたいなんだよ。何か変なことをされなかったかってね?」
「ちげーよ。それと、テメェには関係ねぇことだ。首を突っ込むんじゃねぇ」
「ゴリ君? 彼はボクの恩人だぞう。そんなウホウホしてると怒っちゃうよ?」
「ウホウホしてねぇよ! アンタはいい加減ゴリラと俺を分離させろ! 俺がむしろ怒りてぇくらいだ!」
「はいはい、ドラミングしないでね」
「聞いちゃねぇ――!」
ゴリアテは完全に手玉に取られていた。
漫才じみたそんなやり取りを眺めていると――「師匠~~!」と、何かが(もう正体は分かっているけど)飛びついてきた。「うわっ」倒れそうになる身体をどうにか支えて、俺は飛びついてきた彼女を見る。
「サナカか――ここにいたんだな」
「PTからはぐれちゃったって聞いてちょっと心配したんですよ! でも、師匠は大丈夫だと思ってました!」
「師匠思いな弟子だね。君の師匠は一人で大丈夫どころか、ボクを助ける余裕まで見せてくれていたよ。良い師匠だね」
「師匠、この人は?」
俺とミンセントの顔を交互に見て、サナカは俺から離れた。「彼女はミンセントだ。元々スエズ一家のPTに入っていたんだけどな」軽やかにお辞儀をして、ミンセントが答える。
「ご紹介にあずかった、ミンセントだ。よろしくね。スエズ一家がリタイアしてしまったから今は有象無象チームさ。それと、こっちがゴリラ君だ。ボクは略してゴリって読んでるよ」
「そうなんだ! ミンセントさん、ゴリさんよろしくっ!」
「……」
ニコニコと挨拶を交わすサナカとミンセント。唯一、ゴリアテだけが不服そうに黙っていた。「じゃあ、師匠と弟子で積もる話もあるだろうし――ボクたちは退散するとしよう」サングラスを外して、ミンセントは俺たちを見据える。
「改めて、ありがとう。助かったよ。じゃあ、ここから先も頑張ろう」
「ああ、こちらこそ。それと――」
挨拶を済ませてぐるりと背を向けるミンセントに、俺は最後の一言をかける。「会えるといいな、アトモスの開拓卿に」それを聞いて、彼女は今までの軽薄な笑みではなく柔和に微笑んで――。
「もちろん。絶対に会うよ」
そう言って、ミンセントは拠点の雑踏に飲まれていった。「言ってくれたら会わせてあげられるのにな~」とサナカがポツリと零す。
「そういうもんじゃないのさ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだ」
と、ここは彼女の浪漫を立てておく。
それを理解したのか、理解してないのかサナカはこくりと頷いて「あ、そういえば」といって話題を切り替えた。
「師匠が一番乗りですね。流石です!」
「ソウジたちはまだってことか――」
「ソウジ君たちは三人で行動できてるみたいですよ。タロウさんが今後の動きについて打ち合わせをしたいらしいので、一緒に行きましょう!」
「ああ、分かった」
サナカに腕を引っ張られて、俺はタロウが待っているという部屋へと案内された。
「――ゆ、ユウト」
部屋にはタロウとユウトがそれぞれ座っていた。本能的に俺は離れようとするが、サナカがいる手前、そんなことはできない。「おや、お二人はお知り合いなのですか?」と、タロウが不思議そうに言葉を漏らす。
「あー、えーっと。まさかユウトさんがいるとは思わなくてな……」
「そうだろうな。お前みたいな木っ端探索者が俺と同じ空間に存在するなんて、本来あり得ないことだからな」
余りにも居心地が悪いし、ユウトの奴――相変わらず俺にキレてやがる。ひとまず距離をおいて彼を刺激しないように努めようとするが。「ユウトさん」と、サナカがずいと前に出てユウトを睨み付けた。
「師匠を、馬鹿にしないでください!」
「――は?」
サナカが真っ直ぐユウトを見据えて一言物申した。
それが気に食わなかったようでユウトは顔を顰めて、明らかに不機嫌な様子で悪態をついた。
――最悪だ。
火花を散らすSランク二人を見て、俺は今すぐにこの部屋から出て行きたかった。