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第48話 ソウジ

 相も変わらず、アンの自室というのは悪趣味だった。

 ガラス張りの部屋からは、辺獄の町を一望できるものの……この町を一望したとて、ただ空しいだけのように思える。

 その上、俺の前に鎮座するアンという女性が放つ独特の空気感というものは今更説明するまでもない。あえて言葉にするなら……重苦しい、という他ないものだった。


「ゴロウの件はよくやったね。アイツとアイツの弟子が加工屋を初めてから、辺獄に来る探索者も増えたもんさ」

「それはよかったです。アンさんの役に立てたみたいで」

「ああ、アサヒが探索者に戻ってからアタシにとっても良いことが多くて助かってるよ。それで、今日は何の用で来たんだい?」


 口からタバコの白い煙を吐き出して、アンはテーブルに肘を置いた。何とも言えないひりついた空気が周囲に漂い始めた。アンが意識していることかは定かではないものの、彼女を前にすると、こうした緊張感が当たり前ようにつきまとう。


「頼みがあるんだ」

「へぇ?」


 そうやって会話を切り出すのも重労働。

 俺の言葉に片肘をついたアンはギラリと目を光らせた。それがどういう意味かは考えない方が幸せだと思える。

 いつ来ても、何度話しても、何年付き合っても、彼女の雰囲気には気圧されてしまう。けれど、ここで引っ込めてしまうと余計に彼女を怒らせるので用件を伝える。それも、手短に。


「ソウジの力を貸して欲しいんです」

「へぇ、ソウジの? そりゃお前、アイツが黒衣衆の長ってことを知って言ってるんだろうねぇ?」

「もちろんです。ただ、今回引き受けた仕事はどうしても……ソウジの力が必要になってくると思うんです」

「話は聞いてやろうか。詳しく言ってみな」


 アンに促されて、俺は今回タロウから引き受けることとなった依頼を話した。「つまり……」俺の話をひとしきり聞いたアンは、話をまとめるように話し始める。


「試験を受けつつ、スパイ活動をするために冒険者のPTを作りたいと。そのためにはあと一人無名で低ランクの人間が必要ってわけか」

「そういうことです」


 俺はアンのまとめにうなずいて同意を示した。さらにもう少し付け加える「サナカは目立つから別行動をして欲しいって話があったんだ。試験内容的にソウジの力がないとそもそもが厳しいと思います」

 アンが目線で、試験内容は? と俺に問いかけた。彼女に隠しても仕方がないので、俺は正直に答える。


「シンプルです。61階層への到達という条件のみです」

「なるほどねぇ、そりゃ大変だが……どうしてソウジなんだい? アイツはダンジョンに行ったことがないんだよ?」

「実力と俺のコネを考えると黒衣衆が適切だと思います、その上でダンジョンに行ったことがない、というのが良いんです。ダンジョンへの悪い感情もないでしょうから」

「……見返りは?」

「はっきりと提示することはできませんが、この依頼はSランク探索者からの依頼です。ここで依頼をこなしてパイプを持っておくこと。そして、そんなパイプを持っている俺に貸しを作ることは見返りになりませんかね?」


 事実上の体のいい駒宣言みたいなものだが、もうヤケだ。どの道、俺一人じゃ61階層到達なんてかなり厳しい。

 ここは何としてもソウジを仲間に引き入れないといけない。

 そういう場面だと思う。


 ここまで投げうったんだ。

 アンの気持ちも傾いて貰わなければ困る……というものだが、肝心のアンは黙りっぱなし。その表情さえもうかがえない。

 数秒の沈黙の後「ソウジ!」と、アンが部屋の外に待機しているであろう彼の名を呼んだ。


「はい、何か御用でしょうか!」

「!」


 背後から声がきこえてきた。背に扉があるため、ソウジの声が背後から聞こえるのは当然だとも言える。

 しかし、俺が驚いたのは……その存在感のなさである。

 扉を開けて中に入る。


 中に入ってアンの言葉に応えるためには必要なこれらの動作を、俺に気取られることなくソウジは成し遂げていた。


 自分を超一流や一流と言い張るつもりはないが……それでも、探索者としてそれなり以上の実力を持っているつもりだ。そんな俺でも気づくことすらできない。「アサヒさんもお久しぶりです」俺の隣を抜けていくソウジ。

 足音どころか、身に纏った黒い衣服が擦れる音すら一つも聞こえない。極めて自然体で、違和感のない所作だが――恐ろしいほどに完成されていた。


 辺獄では知らぬものがいない精鋭集団、黒衣衆の長とは思えない若さと爽やかさを持ったソウジ。爽やかな青年という印象と、その所作から感じ取ることができる強者然とした雰囲気。それらのチグハグさが何とも不気味だった。

ソウジはそのままアンの隣に佇む。「アサヒから話があるんだとよ」という言葉とアイコンタクトで“お前から話せ”という圧を出すアン。


 好意的解釈をするならば“自分で交渉しろ”ということだと思う。


 そしてソウジが首を縦に振ったなら、俺の目的は達成されるというわけだ。アンへの大きな貸しとの引き換えに。


「ソウジ、ダンジョンに興味はないか?」

「ダンジョンに……えーっと」


 そういってソウジはアンの様子をうかがった。

 実際のところ、ソウジがダンジョンに興味を持っているのは知っている。これは俺だけじゃなくてアンも他の黒衣衆たちも、だ。しかし、辺獄という町の成り立ちを考えると、軽率に興味があるとは言えない。


 そういった事情があることを、誰もが理解していた。


「自分の気持ちを話しな、ソウジ」

「そ、そうですね……興味はあります」

「俺の依頼を手伝ってくれないか? ソウジの力が必要なんだ」


 またも、ちらりとアンの様子をうかがうソウジ。そんなソウジに、アンは肩をすくめる。「アタシを気にする必要はないよ」という言葉に背中を押されてか……「やりたいです!」と、ソウジが首を縦に振った。

 よし、これで決まりだ。


「ありがとうソウジ。アンさん、じゃあ少しの間ソウジをお借りします」

「好きにしな。変なこと教えるんじゃないよ」

「アンさんに言われちゃおしまいだな……」


 と、軽口を叩いて俺とソウジはアンの部屋を後にした。「ダンジョン、一度行ってみたかったんです!」と、全身からワクワクオーラを発するソウジ。

 彼が期待するほど、ダンジョンが素晴らしいものかは分からないが……「何にせよ、依頼をこなすために必要なことがある」そう、探索者登録である。


 ◆


 探索者という仕事は、大ギルドから探索者という認定を受けて初めて名乗ることができる職業となる。そのためには大ギルドが行っている試験に合格する必要がある(こういった試験はダンジョン内であれば、いつでも受けることができる)


「ソウジ君、大丈夫かなぁ~」


 ロビーの天井を眺めて、サナカがぽつりとつぶやいた。

 あの後、サナカと合流した俺とソウジはそのままダンジョンに入って試験を受けることにした。(ちなみに、レナは依頼の情報収集をしている)初めてのダイブにソウジは戸惑っていたが、慣れてしまえば早いもの。

 あっという間にコツをつかんで、電脳世界での身体の動かし方をマスターしていたように思う。


 試験は大きく分けて二つ。


 一つが基礎知識試験。これは、探索者としての知識を問われるものであり、探索者基本法だとか、ダンジョン法だとか、大抵の人間が面白くないと感じる知識の問題となっている。そしてもう一つが実技試験。これはダンジョン内で最低限やっていけるだけの実力があるかを問われるものだ。正直なところ、アンから認められている上に黒衣衆筆頭を務めているソウジにとっては、実技試験なんてあってないようなもの。


 サナカ(と俺)の心配は主に、基礎知識試験の成績だった。

 そして、今まさにソウジは基礎知識試験を受けているのだ。


「私も大嫌いでした……基礎知識試験」

「まぁ……サナカは苦手そうだよな」

「えー! それ、どういう意味ですか!」


 なんて、頬を膨らませてサナカは俺に抗議をする。どういうことも、こういうことも、普段の彼女を見ていると、座学が得意とは……とてもじゃないけど思えない。


「そういう師匠はどうだったんですか?」

「俺か? まぁ、一夜漬けで乗り越えたかな」

「師匠……流石です!」


 一瞬呆れられるかとも思ったけど、どうやら彼女にとっては一夜漬けも尊敬の対象らしかった。

 そんな彼女の反応に振り回されていると「戻りました!」と、ソウジが帰ってきた。


「どうだった? ちゃんと分からない問題は飛ばせた?」


 なんてちょっと意味が分からない心配をしているサナカに「分からない問題はなかったです!」と元気よく答えるソウジ。あの様子だと、俺たちの心配は杞憂だったのかもしれない。


「次は実技試験だな。相手は教官NPCだ」

「はい! 頑張ってきます!」

「よーし、観戦だ!」


 意気揚々と観戦室へ向かうサナカの背を追いかける。

 教官NPCは大ギルドが用意した、試験用のエネミーだ。大ギルドから明確な実力について明らかにされていないが、おおよそCランクからBランク底辺くらいの実力であると推測されている。


 新人探索者にとってCランクからBランクの実力というのは超がつくほどの格上であり、基本的に勝つことができない。確か、最後に未登録の状態で教官NPCに勝ったのは……。「がんばれー! たおしちゃえー!」隣でヤジを飛ばすサナカ、その人だった。


 基本的に教官NPCを未登録の状態で倒してしまう(しかも、軽々と)のは、Sランクの通過儀礼とも呼ばれており、その前に教官NPCを倒した探索者も、今では立派なSランク認定を受けている。


 俺はもちろん……倒せなかったわけだが。


 部屋にはこの世界の全ての武器が飾られているんじゃないかと思うほどに、様々な木製武器が飾られている。ソウジはその中から刀のような形状の武器を手に取って、闘技場へと足を踏み入れる。

 ソウジが足を踏み入れて定位置についたと同時に、反対側の定位置からホログラムが投影される。

 マネキン人形のような姿に、軽装の鎧を身に着けた教官NPCの登場だ。

 得物は槍。

 余談だが、この教官NPC。必ず相手の得物に対して有利が取れる得物を持ってくるようになっている。試合時間は三分。この間、ダウンを取られることなくやり過ごせれば、取り合えず実技試験はクリアだ。


「さて、どうなるか」


 俺もやや前のめりで闘技場を見下ろした。

 実際のところ、ソウジの戦闘を見たことはない。彼がどんな風に戦うのか、そしてどれほどの実力を持っているのかは全く分からなかった。


 互いに見合った両者は、ゆっくりと得物を構えて切っ先を相手へと向ける。


 沈黙が、闘技場を支配する。


 そうして、一秒ほど経過したところで 開始のゴングが鳴り響いた。

 教官NPCの対面に立っていたソウジの姿がぶれた。


 次の瞬間には教官NPCの前に移動していたソウジ。「速い!」その速度に思わず俺たちは言葉を零した。教官NPCは全く反応できていない。それほど、ソウジと教官NPCが生きている世界の速度は違っていた。

 一歩、踏みしめて加速したソウジが瞬く間に教官NPCの前まで間合いを詰めて……そのまま、握っているのは木刀にも関わらず教官NPCの首を断った。


「……マジか」


 初手で首を狙う容赦のなさもそうだが、木刀で斬るという行為、そして何よりもその速度と的確な太刀筋。どれもが俺の想像以上だった。


 通例に従うなら……俺は今、新しい伝説の始まりを目の当たりにしているのかもしれなかった。


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