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第47話 アトモスの開拓卿

 摩天楼ヤオヨロズ、第2階層。

 その名にふさわしいビル群の一角。巨大なオフィスビル……その地下に彼はいた。ぎょろぎょろとしたモノアイが印象的な男。アトモスの開拓卿である。

 数多くの機械が立ち並び、部下がデータの分析やら何やらのデスクワークを行っていた。それらの様子を眺めながら、アトモスの開拓卿は隣に立った報告役からの情報に耳を傾けていた。


 そのすべてが、中ギルドに送り込んだスパイからのものである。


「報告です! 今回の61階層攻略。参加予定のSランクは国務庁より田中太郎! そしてP.S.よりナイチンゲール。2名のみのようです!」


 それを聞いて、アトモスは片手で握った杖で一度地面を鳴らす。

 これは彼の意思表示の一つであり、続けなさいという意味を持っていた。「続けます! 同じく無所属のSランク……サナカも攻略に参加する可能性があるとのことでした!」

 その情報も、アトモスの手を止めることはない。また、杖で一度地面を小突く。


 かつん。


 その音と共に報告役は淡々と報告を続けていった。

 かつん、かつん、かつん。

 どの情報も、アトモスの開拓卿にとっては手の平の上。取り立てて、注目する必要もないものばかりだった。「以上で報告を終了します!」


 その言葉で、報告役は口を閉じた。


「ありがとうございます。さて、どうでしょうかユウトさん。以上の情報をまとめて、何が言えるでしょう」


 自分よりも、一歩引いた場所で立っているユウトにアトモスは言葉を向けた。


「大半の中ギルドは今回の攻略作戦に積極的ではないことが分かります」

「仰る通りですね」


 さらにアトモスは続けた。「かつて、61階層以上を攻略した探索者は存在しません。どうしてだと思いますか?」ぎょろりと、アトモスが被ったヘルメットのモノアイがユウトを見据えた。


「攻略難易度が高い……からでしょうか?」

「いいえ、そうではありません」


 杖でかつん、かつん、かつんと三度。男は音を響かせた。

 これは彼の不満を表すものであり、その次に語られる言葉はそう良いものではないというのが通例だった。「誰もが探索者に求められる最も大切な素質……開拓への思いが失われたからです」そう、アトモスは結論を述べた。


「開拓への思い……ですか?」

「その通り。今や探索という行為は、企業連中が利益を求めるための……そしてその利益を求める衆生の低俗な自己実現の手段へと落ちぶれてしまいました」


 アトモスの開拓卿は、ダンジョン開拓時代の初期を知る人間である。そんな彼にとってみれば、今の探索者やそれを取り巻く状況が良くないものだという言葉も間違っているものではなかった。

 彼の話が一段落したところを見計らって、ユウトは自身の本題に入った。「キョウヤさん、アサヒのやつがまた俺たちの邪魔をしていることについてはどう思うんですか?」その言葉の節々から、ユウトの苛立ちが滲み出ていたし……彼の身体からも、黒いオーラがゆらゆらと立ち上がっていた。


 明らかな怒りの発露。


 ではあるものの、アトモスはいたって冷静に杖を掲げて報告役へと指示を飛ばした。


「はい、次いで報告します。極楽結社の電脳率調整技術は実戦に投入可能です! さらにセキ様と協力していたスキル強化技術についても、安定運用の目途が立ちました!」

「……今、俺はキョウヤさんと話しているんだぞ?」


 鋭い目線が、報告役を貫いた。しかし、報告役が口をつぐむことはない。アトモスに仕える報告役にとっては、いくらユウトといえどもそう優先順位の高い相手ではないからだ。


「ユウト様、アトモス様はこう仰りたいのです。万事順調であるが故に、アサヒは障害足りえないと」

「だが、実際に妨害されていることは事実。でしょうキョウヤさん!」


 それでもユウトが引き下がることはなかった。なお食い下がるユウトは言葉を重ねるが……ひと際大きい杖の音が一度響いた。反射的に、ユウトの言葉が止まる。

 その杖がアトモスによって発せられたことは火を見るよりも明らかであり……その意図も明白である。「黙れ」ただ、それだけだ。


「私が意図的にアサヒさんを生かしているんですよ」

「……意図的に?」


 ユウトは驚いた様子で言葉を反すうする。そして、すぐに正気を取り戻した彼は「な、なんでそんなことを!」と、アトモスに食らいつく。


「新狼サナカ、彼女という不確定要素を縛り付けるためです」


 その結論を述べたアトモスは、杖を掲げて報告役へ命令。彼の意思をくみ取った報告役が詳しく語っていく。「Sランクの探索者……その歴史を踏まえて無所属のSランクは新喜多アン、アトモス様、ユウト様、新狼サナカ。この四名のみです」

 報告役に視線を向けるユウト、もう口を挟むことはないが……その表情は険しい。


「新喜多アンが表舞台から姿を消した今、無所属のSランクはアトモス様とユウト様。そして新狼サナカの二つの勢力のみです」

「だからなんだって言うんだ……?」

「新狼サナカという予測不可能な要因を、アサヒという首輪で抑える方が良い。それが、アトモス様のお考えなのです」


 予測不可能な怪物よりも、予測可能な怪物の方がまだマシ。それがアトモスの考えだった。「だったら、排除してしまえばいいでしょう! 俺とキョウヤさんが手を組めば……排除することだってできるでしょう! 新喜多アンみたいに!」

 それでもなお、ユウトは食い下がった。

 アトモスが口を開くことはない。その代わりというように、報告役が続ける。


「Sランクを消すリスクについて考えてください。ユウト様……それに、新喜多アンを排除した際にユウト様は何もしていないでしょう?」


 そこまで言われて、ユウトの身体から黒いオーラがさらに勢いづくが……またも、鋭い杖の音が響いた。


「ユウトさん」


 たった一言、アトモスがそう発するだけで……ユウトのオーラが緩やかにしぼんでいく。


「う……申し訳ありません。熱くなりすぎました……」

「ええ。落ち着いたようでよかったです」


 アトモスが圧倒的な優位を持つ関係性。

 こうした力関係が、アトモスとユウトにとって当たり前のものだった。アトモスにとって、ユウトはいつまでも自分の思い通りに動く傀儡でしかない。

 しかし、ユウトはそれでも良かった。

 今の自分があるのも、アトモスに従ったため。彼に従うことで、より良い探索者人生が送れるならばそれに超したことはないのだ。


「さて、ユウトさんの力を見込んで一つ仕事を頼んでもよいでしょうか?」

「……なんでしょうか?」

「中ギルドたちが合同して61階層の攻略メンバーを一般募集するのは知っていますね? 貴方を中立な運営側に推薦しておきました。裏から手を回して、我々の息がかかった探索者が合格するように根回しをお願いします」


 アトモスたちは無所属。もちろん、本質的にはアトモスの開拓卿グループに所属しているのだが、他の中ギルドからすればどの戦力にも加担していないことは明白であったため、こういう時には頼られる。

 それを上手く利用して権謀術数を張り巡らしたいのだ。


「分かりました。ですが、そんな小細工を用いなくても、俺たちとキョウヤさんがいれば誰も太刀打ちできないと思うのですが」

「それは分かっています。しかし、念には念を押すタイプなのです。万が一も許せません。69階層にある秘宝――どんな手段をもってしても確実に入手します」


 ユウトの脳裏に、以前話したアトモスとの会話が蘇った。「秘宝、ダンジョンそのものの仕組みを変えかねない、というものですか?」「はい。その力が手に入れば……私が新しい探索者の秩序を敷くことができるのです」

 そうすれば、ユウトさんもきっと幸せになるでしょう。と、締めくくった。


「俺の幸せ……ですか」


 ユウトは困惑したような表情を見せる。「分かり、ました。その仕事――必ず全うします」既に怒りは収まったのか、ユウトの周囲に漂っていた黒いオーラは消失。頭を下げて、アトモスの命令を受け入れた。

 まるでユウトがそう返事することが分かっていたかのように、アトモスはユウトに目を向けることはない。あれほど凝視していたモノアイたちは、一斉に別々の場所を見遣る。


「そうです。有用なスキルを保有している弱い探索者がいたなら、教えてください。きっと、我々の助けになるでしょうから」

「……それも追加で探しておきます」

「はい。では私も61階層攻略に向けて仕上げなければありません。しばし連絡が取れなくなってしまいますが、緊急の用件があった場合は遠慮せずご連絡ください」

「分かりました……」


 ユウトに背を向けたままのアトモス。

 一体、いつからアトモスは自分を見なくなったのだろうか。Sランクになってから、アサヒとセレナを排除した時から、あるいはもっと前――もしくは、最初から自分を見てはいなかったのかもしれない。


 そこまで考えてユウトは自分の思考にストップをかけた。


 彼にとっての師はアトモスであり、彼が頼ることができるのもアトモスしか存在しないのだ。だから、ユウトは粛々とアトモスに従い彼が成せと言うことを成す。


 背を向けて……ユウトは退室した。

 様々な思いが交錯する募集試験。その幕開けが目前まで迫っていた。


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