事務所の空気はいつもとまるで違うかった。
それは二日ぶりくらいに帰って来た事務所が、工具やら何やらでとっちらかっていたからでも、油臭さが染みついていたからでも、ジャンクフードの山が散らかっていたからでもなかった。
ただ、客用のソファに腰掛ける客人――Sランクの探索者がそこにいたからだった。
リクルートスーツとか言いようのないオーソドックスなスーツに身を包んだ彼は、およそSランクとは思えないほどの地味さを持つ。見た目はくたびれた中年で、ただのビジネスマンとしか思えない。
しかし、その顔は誰もが知っているSランク探索者そのものだった。
「お邪魔しています……特徴的なお部屋ですね」
事務所を一瞥して、彼はそう告げた。「ちょっと事情があって……申し訳ない」これに関しては申し開きができない。ただただ謝るしかなかった。レナがお茶を運んで来て、俺たちに配る。
「ありがとうございます。では、改めて――僕は国務庁所属実務部門長官、田中太郎です」
「存じてるよ……その実力も、立場も、兼々な」
深々と座礼する田中太郎に合わせたえ、俺も頭を下げた。
国務庁――中ギルドの一角であり、ギルド唯一の国が直接運営している組織だ。国務庁が擁する、探索者部門。それが実務部門だ。
そして、その長こそが彼……田中太郎である。通称、仕事人。
他のSランクに比べて、派手な功績はない。
目立った活躍もあまり聞くことはない。
Sランクの中でも、地味さで言えば他を寄せ付けない。
……それが、田中太郎だった。
「久しぶりですね、タロウさん! 私の任命式以来ですか?」
「はい、サナカさんも元気なようで何よりです。一応確認しておきますが、そちらの方が以前サナカさんの仰っていた師匠の?」
「はい、師匠です!」
「……」
嘘だろ、サナカの奴……俺が師匠だって他のSランクにも言いふらしていたのか?
タロウが目を細めて俺を眺めた。「なんだか、アサヒさんには親近感を感じます。あまり目立つタイプではなさそうな。そんな感じを」
なんて冗談だか本気だか分からないことを言い始めた。「Sランクの人にそう言われるとなんだか恐縮だな」と、当たり障りのない返事をしておく。
それで、と俺は本題を切り出した。
「タロウさんはどうしてわざわざここに?」
「そうですね、単刀直入に言いましょう。明日正午より、中ギルド合同による61階層攻略メンバーの募集が始まります」
「あぁ……六英重工業のエージェントも言ってたアレ、か」
「流石はサナカさんの師匠ですね。既に情報を入手していましたか、しかも六英重工業……」
国務庁は国の組織だ。
ダンジョン内部では他の大企業と対等とはいえ、実際の影響力は中ギルドの中でもズバ抜けている。今回の攻略においても、重要な役割を担っているに違いない。
でも、その件で俺たちを訪ねて来るとは予想できなかった。一体、何が目的なのだろう。
「今回、各中ギルドが選んだ探索者たちの他にも……無所属の探索者たちも募っています。ただ、これが問題なのです」
「問題だって?」
「はい。今回の作戦概要は……各中ギルドが独立の部隊を61階層に送り出します。そして、各々が時に協力し、時に競い合いながら攻略を行って行きます」
タロウの語る作戦は、おおよそ予想通りだった。これの何が問題……「無所属の人たちはどうなるの?」と、隣に座ったサナカが挙手して質問。
無所属は無所属で個々の部隊になるのだろうか……。
「無所属はそれぞれの中ギルドの管轄になります。同じ部隊として行動するかはともかく、その中ギルドの傘下となる形ですね。ただし、これにも例外があります」
「例外?」
「はい、今回参加を表明しているアトモスの開拓卿、そしてユウトさん。二人は同じ部隊としてアサインするとのことでした。Sランクの探索者二人の部隊を中ギルドが傘下に収めてしまえば、中ギルド間でのパワーバランスが崩壊してしまいます」
あの二人が誰かの下につくとも思えないですしね……と、タロウが付け加える。まぁ、その通りだ。「恐らく、サナカさんもアサインをする場合は独立した立場が与えられることでしょう」と、締めくくった。
やっぱり、問題の部分がないように思える。
「なるほど……各中ギルドはスパイの可能性を恐れている、ということですか?」
お盆を片付け終えたレナが、その言葉と共に戻ってきた。あぁ、言われるまで気がつかなかった。確かに、レナの言う通りだ。各中ギルドの管理下になるというのは、翻って自分たちの息がかかった探索者を送り込むことができるという意味でもある。
でも、それが俺たちとどう関係があるというのだろうか。
「はい。ただ、それを恐れているのは国務庁だけ……かもしれません。他の中ギルドたちはそういったパワーゲームがお好きらしいので」
「なるほど……それが俺たちとどういった関係があるんだ?」
「募集に応募するだけで、全員が攻略チームに入ることはできません。試験があります」
話が少し見えてきた気がする。つまり、タロウが頼みたいことはスパイのスパイ――「試験に参加して、参加者の後ろ盾を調べて欲しいのです」
やっぱりだ。
その仕事内容は飲み込めた。でも、どうしてそれを俺たちに頼むのかが理解できない。
「俺たちは信頼できるって言ってる風に聞こえるけど、どうしてだ? 既に誰かの息がかかってるかもしれないだろ?」
「その可能性は低いだろう、というのが私たちの考えです」
「その理由は?」
「サナカさんの存在です。無所属のSランクが誰かの下につくとは思えませんから……サナカさんには既に師匠がいるようですし」
タロウの話は理解できた。さらに畳みかけるようにタロウは続ける「各中ギルドから試験管が数名派遣されますが、運営の殆どは国務庁が担っています。私も最高責任者として立ち会う予定です」
他の利益追従型の企業と比べて、国務庁の立ち位置は同じ中ギルドの中でも少し特殊だ。こうした立場を任されるのも納得できる。「試験の合間を縫って私も協力できればと考えています」と、Sランクの協力まで得られるらしい。
「どうでしょうか? 引き受けていただけますか?」
という言葉で締めくくるタロウ。
仕事内容としては問題ない。俺たちでもできるものだ。国務庁との繋がりは、今後の探索者家業を考えても悪くはない。
――なら、引き受けよう。
「俺は引き受けようと思うけど、二人はどう思う?」
「私は師匠に従います!」
「はい。私も引き受けた方がいいと思います」
「そういうわけだ、引き受けるよ。その仕事を」
こくこくと首を振る二人に背を押されて、俺はタロウからの仕事を引き受けた。「ありがとうございます。では、詳細なスケジュールや仕事内容については追ってご連絡します」
深々とお辞儀をしたタロウはそれだけ伝えて、足早に立ち上がる。
「では、次の仕事があるので失礼します」
「忙しそうなんだな……」
「いえ、そんなことはありませんよ。今日はいつもより穏やかです。後外回りを3件。書類仕事をして、ダンジョン業務で終業なので」
「あはは……」
十分多い。
もしかして、仕事人という異名はかっこいいものなんかじゃなくて……ただの社畜という意味なんじゃ?
事務所から出て行こうとするタロウは「あぁ」と、何か思い出したかのようにピタリと動きを止めて、俺たちの方を振り向いた。
「この近くで美味しい食事がいただける店はありますか? 外回り中の美味しい仕事だけが、ハードな仕事のオアシスなので」
「それなら、辺獄商店街にあるルザミの店がオススメだ。特に唐揚げ定食が旨い」
「――いいですね、ではそこに向かうことにします」
なんて言葉を残してタロウは去って行った。
「……社会人って大変なんですね、師匠!」
「一応俺たちも社会人だけどな……」
公職の大変さ……なのだろうか。
ともかく次の依頼が決まった。色々とやることはあるが……まずは何よりも「よし、事務所の片付けをしようか。誰か、逃げたミユを捕まえてきてくれ」二日間で驚きの変貌を遂げてしまった事務所の片付けに従事する。