街の大通り。人の波がざあざあと揺らいで、巨大な生物みたいに動いていた。そんな生き物から離れて、俺たちはその建物を見上げた。
一等地に建てられた立派なオフィスビル。デカデカと頂上には六英重工業の文字が太陽を反射して輝いていた。六英重工業の関連事業が入るオフィスビル。全15階の内、5階~10階までを占領しているのがお目当ての探索者育成施設だった。
「ここが伏魔殿……」
ごくりと唾を飲み込んで、シンタはぽつりと呟いた。もう彼の異常な六英重工業嫌いには突っ込まない。(きりがない)「道場とどう違うか、注目してみると面白いかもしれないな」その代わりに、シンタに見て欲しい部分を伝える。
自動ドアを踏み越えて、俺たちはロビーに入った。何やら、ロビーの様子が騒がしい。取りあえず、受付に立って声をかけた。
「アポはございますか?」
和やかな受付嬢がお決まりの言葉を投げかけた。なんだかデジャヴを感じる。
けれど相手は大企業。
俺の小手先の技が通じるとは思えないし、通じたとしても後が面倒だ。ここは正直に話そう。
「ネルさんに伝えて欲しいですけれど、道場について話しがあるって」
「わ、分かりました。少々お待ちください」
座礼をした受付嬢は受話器を取って、連絡を取る。待っている間にも目眩がするほどの人が行き交っていく。「す、凄い活気だ……」シンタは気圧されたようにキョロキョロと周囲を見渡した。
「上はもっと凄いかもしれないな」
「ウチの全盛期だって、ここまで活気があったかは分からないのに……」
多少なりともショックを受けている様子だった。
これがシンタにとっていい刺激になると良いんだけどな。「お待たせしました」丁度、受付嬢も確認が終わったようだ。
「ネルさんとの面会が許可されました。奥のエレベーターから14階に向かってください。そこに、ネルさんの執務室がございます」
「分かりました。ありがとうございます」
案内された通り、俺たちはエレベーターに乗り込んで14階を目指す。ガラス張りのエレベーターは、東京の街を一望――というわけにはいかないが、それなりに綺麗な景色が見える。
こういう景色や設備には”資本主義”を感じざるを得ない。
――チン。
そんな軽快な音が響いて、扉が開いた。騒がしかったロビーとは違って、ここは厳かな雰囲気である。大きな通路と、いくつかの部屋が見えた。どこがネルの部屋かを聞いていなかった。
でも、ネルの部屋は分かった。それは――。
「私の想像よりも随分早いご到着ですね☆」
「お出迎え、ありがとうございます」
わざわざ、ネルが自らの執務室の前で立っていたからだ。
かつ、かつ。とヒールを鳴らして俺たちに歩み寄る彼女。そのビジネススマイルから、彼女が何を考えているかは読めない。
「いえいえ、客人をもてなすのは一流のビジネスパーソンとして当然の責務ですから☆」
「そのもてなしには、監視も含まれてるんだな?」
「おや☆」
早速勝負を決めに行くシンタ。
仕方ないとはいえ、心配になるほどの実直さだ。痛烈な皮肉とも捉えられるシンタの一言をひらりと避けて「なるほど、彼と出会ったのですね。確かに私はアサヒ様の様子を窺うようにとは言いましたが――」
「まさか、監視……と呼ばれるような方法を取るとは☆」
「白々しい」
「事実を述べているだけですわ☆ 彼が無礼な真似をして気分を害されたのであれば謝罪いたしますが」
経済的微笑を崩さず、ネルは淡々と言葉を返す。
シンタが言うように白々しい言葉ではある。けれど、彼女の主張を崩すのは面倒だ。不可能ではないけれど、割に合わない。「謝罪は必要ないですが、どうしてそんなことをしたか聞いてもいいでしょうか?」
シンタには悪いけど、話の主導権は握らせて貰おう。ここで彼女を謝らせたり、有耶無耶になってしまうと結局主導権は彼女に握られっぱなしだ。一度、彼女が会話のボールをこちらに投げた、このタイミングで主導権を握っておくのが吉だ。
「言ったでしょう? 不幸な事故に気をつけて欲しいと。アサヒ様が無事に過ごせるように、気を回したつもりですが――慣れないことはするものじゃありませんね☆」
「不幸な事故? 曖昧な言い方の割には、それが何か分かっているような物言いですね」
「ああ、これは失礼を☆ 曖昧な物言いは職業病のようなもんでして、アサヒ様も知っているのでは? 行方不明事件については」
ビジネススマイルを堅持しながら、ネルは事実のみを淡々と話していく。
俺は首を縦に振って彼女の言葉を肯定。
「六英重工業が、この建物が建ってからだ。なのに無関係みたいに言うんだな?」
「物事の前後がそのまま因果関係に結びつくと思っていらっしゃるので? 我々のような大企業が行方不明事件なんて引き起こしてどうなるというんですか」
「行方不明になった人たちを自分たちの利益のために搾取してる――とか」
「場所がここで良かったですわね☆ 外であれば誹謗中傷で訴えているところです」
至って冷静なネルの言葉にシンタはまくし立てられて不服そうな表情を見せるしかできなかった。
「こちらに出向く前に、行方不明事件の情報をざっと確認しましたが……ここ数年の当地区での行方不明者の増加は看過できません」
表情こそ笑顔ではあるが、その声色は真剣そのものだった。
「行方不明になるのは、そのどれもが探索者ばかり。弊社の門下生も行方不明になってしまいました」
「……そ、それは、疑って、悪い」
ばつが悪そうにシンタは謝罪。「シンタ様は素直ですね☆ ビジネスの世界では生きていけないほどに」「……」ネルの言葉にまた嫌そうな表情を見せる。
「なので、私も行方不明については情報を探しているんです。それはともかく、本日は道場についてのお話でしたよね。どうされましたか?」
「この件はシンタさんから頼んだ方が良いと思う」
「……分かりました」
シンタはぺこりとネルに頭を下げた。「六英重工業と親父の間でどんな取引が提案されていたのか、俺にも教えて欲しいんだ」「その心は?」「俺だって、道場を大切に思ってるのに……親父は何も教えてくれない。もしかしたら、力になれるかもしれないのに」
真っ直ぐと、ネルの顔を見据えてシンタは告げる。
「では、こういうことですか? 弊社を頼らずに自立する方法を模索するために責任能力もない子どもに契約情報を提供すると? 私に何の利益があるんでしょうか」
「――利益は、ないと思う。だから、頭を下げてる」
「……」
ネルの表情は笑顔のままだが、なんとも言えない沈黙が流れた。
「分かりました。確かに、商人とは得てして自分が勝てる場を整えるものですが、そのために取引相手の選択肢を必要以上に狭めるのはアンフェアですもの☆」
「……!」
「ですが、勘違いをしないように。私の目的は弊社による道場の買収です。私が提供する情報に嘘はありませんが、細工がしていないとは限りません」
少しばかり表情を変えて小悪魔的な笑みを浮かべる彼女だが、シンタには届いてないらしく「ありがとう! おばさん! 想像以上に優しいんだな!」「お、おば……こ、これでも私は25歳なのですが――☆」
なんて、仲睦まじい(かは分からないけど)やり取りをしていた。
これでひとまずは大丈夫か、と胸をなで下ろす俺。ぷるぷると、端末が振動。レナからだ。
「レナさん、どうかし――」
「あ、アサヒさん! サナカさんが……サナカさんが……!」
逼迫したレナの声が響く。
ただ事ではない、そんな雰囲気がひしひしと伝わった。
「サナカさんが、行方不明に!」
その知らせは、衝撃的だった。