コーヒーの香りが周囲には漂っていた。
その香りに引き寄せられて、多くの人たちがカフェに入っていく。東京のカフェというものは、人が多すぎて本来の役割を果たしていないとさえ思う。
かくいう俺たちも、そんな吸い寄せられた人々の一人なので――まぁ、他人のことは言えないのだが。
「有力な情報はあまり、師匠はどうでしたか?」
ため息をコーヒーで飲み下して、サナカは肩を落とした。「六英重工業の社長秘書がこっちにやって来た」俺が返せば、レナが驚いた様子だった。「社長秘書って、ネルさんですか?」俺は頷く。
――ネル。
突如として六英重工業の社長秘書の立場に抜擢されたかと思えば、その圧倒的手腕であっという間に権力を握っていた遣り手だ。その地位を勝ち取るために、どんな手段でも用いてきたという黒い噂も絶えないが。
「ど、どうでしたか?」
「実際に会ってみると噂以上の圧を感じたかな。なんというか――Sランクの探索者と立ち会っているみたいな」
「え、もしかして師匠は私と一緒にいる時もそんな風に……!?」
サナカが立ち上がる。「いや、サナカは……」言葉を濁す。
彼女に圧を感じることはあれど、それは他のSランクとは別のものだ。この場合、適切ではない。
俺の反応を見て安心したように胸をなで下ろしたサナカ。「良かったです」ちょこん、とイスに座り直して「でも、そんな大物が出てくるほどに師匠が行った道場っていうのは凄いところなんですか?」鋭い質問だ。
俺は首を横へ振る。
「今は客入りも悪いみたいだ。代々剣道を教えていた道場らしい、時代の波に乗って探索者育成に切り替えたみたいだけどな」
「そういう意味では歴史ある老舗ではあるようですが、アサヒさんの含みある言葉を踏まえると……」
「ああ、そうだ。ただ長く続いただけ、六英重工業が何をするまでもなく終わるような場所だと思う」
手厳しいが、俺の実感としてはそんなものだった。
ただ、そんなことが分かっているならネルが出てくることはない。「つまり、師匠も知らないようなことを六英重工業は掴んでいる……ってことですよね!」これまた、サナカの鋭い指摘が飛んだ。
俺の答えも彼女がたどり着いたそれとほとんど同じだった。
「それと、もう一つ気になることがある」
「気になることですか?」
「六英重工業が来てから、行方不明事件が発生しはじめた……ってことだ」
「……あれ」
サナカが首を傾げて、ちょっとの沈黙の後、そんな言葉を零した。その言葉につられて、どうしたんだ? と彼女に目線をやる。
えーっと、という前置きの後にサナカは本題に入った。「師匠の行った道場ってどこにあるんですか?」俺は道場の地域を答える。「あ!」今度はレナも何かに気がついたように声を漏らす。
「私たちが得た唯一の情報が――この地域に行方不明者が固まっているってことなんです」
「何だって?」
意外なところで繋がってきた。
「ネルから脅しのような言葉も受けたんだったな……」
「それはつまり?」
「ああ」
――六英重工業が、今回の行方不明に関わっている可能性がある。
ネルの発言も含めると――「道場に深く関わった人が行方不明になった可能性はある……か」
「どうしましょう、師匠?」
「ひとまず、道場に戻ってミナさんの彼氏について聞いておこうと思う。二人は――ミナさんにもう一度話を聞いて貰えるか?」
「分かりました」
二人が声を揃えて返事をする。
さて、やるべきことはハッキリした。繋がっているかもしれない、そんな疑いはあるものの、それが本当かは分からない。だから、まずはもう一度情報を集めに行こう。
◆
というわけで、とんぼ返りで帰って来た道場。
もう夕方を回ったが俺以外の客がいるような雰囲気はない。「セキさんは?」姿が見えないので、シンタに確認。
「父は道場継続資金のために働きに出ているんです」
「なるほど……」
やっぱり道場の運営は良くないようだった。
働きにでなければならない程、俺はそれほどの重荷になるのであれば辞めてしまえば良いと思うのだが――そんな簡単な話でもないのだろう。
「俺が子どもの頃は門下生の人が沢山いて、活気があったんです」
シンタは道場を眺めて、懐かしむように過去を話す。「でも、六英重工業が来てから状況は変わりました」
「最新の設備やら、便利な何があるやら知りませんが――六英重工業は勢力を強めていくばかりです」
「……そういえば、ダイブマシンが見当たらないけど」
「ウチはダイブしません。電脳率に補正がかかる、本人の身体スペックを高めればいいという考えです」
なるほど、古典的……というか道場から派生したのだからそうなるのも仕方が無い。
けれど、六英重工業に敗れるのは実力勝負というような雰囲気を感じなくもない……。ダイブマシンさえないのは些か物足りないと思われるだろう。しかし、今更資金難なこの道場でダイブマシンを大々的に導入しろとも言えはしない。
この道場を繁盛させるにはどうしたらいいのだろうか。
頭を悩ませながらも、俺はシンタに聞くべきことを尋ねた。
「シンタさんはこの人を知ってるか?」
「いや、知らないです。どうかしたんですか?」
「六英重工業が来てから行方不明者が増えたって話があっただろう? 丁度、別件で行方不明捜索の依頼があったんだ」
「なるほど……あの一件にも、六英重工業が関わっていると思えてならないんですよね。あ! もし行方不明について調査してるなら――六英重工業がそれに関わってるって示せれば、あの店を潰せるんじゃ……!」
あんまりよくない方向に結論が進みそうだ。「本当にシンタさんは六英重工業が嫌いなんだな?」「そうです。正直なところ、六英重工業が憎いんです」とまで言い切った。
「憎い?」
「はい、利益のためだけに他者を食い物にする……それに、あんな偉そうに合併しようとしてくるんですよ」
「シンタさんは何歳だったっけ」
「えーっと19歳です。何か関係が?」
「ああ、いや……俺も昔はそうだったと思ってさ」
彼の考えを窘めることは容易い。
しかし、理解もできる。六英重工業を初めとした大企業は多くの場合、自分のことしか考えていない。それが気に食わないというのは分かる。ただ、シンタにはいくつかの飛躍が見られる。
「依頼としては、六英重工業について調べてみる……ということで大丈夫かな?」
「はい。そもそも父は六英重工業との契約についても教えてくれません……。六英重工業がどんな悪事をして、どんな無理な契約を父に飲まそうとしているのか……気になるんで!」
「契約内容をシンタさんは知らないんだな」
「はい。でも、あの父がずっと首を横に振るくらいです。六英重工業のことですから、最悪な契約を迫っているに違いないんです!」
そこまで断言するシンタに若干押されつつ、俺はそれを否定しなかった。どっちにしろ、調査をすれば分かることだ。
今考えるべきはシンタの過激な考えを強制する方法ではなく、どうやって六英重工業の調査をするか、まずは可能な限りクリーンな方法を使いたい。そうなれば――やることは簡単だ。
「行ってみようか、六英重工業に」
「え、ええぇ!?」
あれこれ手を回したって分からないものは分からない。こういう時は直接いくに限る。
驚くシンタを連れて、俺は六英重工業のスクールへと向かった。