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第34話 秘書ネル

 相変わらず、東京は人で溢れかえっていた。

 右を見ても、左を見ても、人、人、人。しかも、辺獄にいるような人とは違って、やっぱり満たされているような、そんな雰囲気を感じた。


「サナカとレナは大丈夫かな」


 人の波を避けながら、俺は彼女たちの様子を想像する。

 喧嘩とか――は、流石にしないか。サナカだって、そこまで分別がつかないわけじゃないし、レナさんは大人だからな。

 どっちかというと、サナカが迷惑をかけていないかを心配した方がいい。


 アンから貰った地図を頼りに、俺は目的地を目指した。


「あれは……六英重工業傘下か」


 パッと視界に入るのは、探索者育成スクールだった。

 探索者という仕事が市民権を得るにつれて、ああしたスクールも大企業の流入が激しくなってきた。六英重工業はそうした育成事業にも注力しているらしい。

 多くの探索者見習い(と、探索者を志す者たち)にとって、もしかしたらそのまま大企業の専属になり得るスクールは魅力的に映るのだろう。「昔はこういうの、個人経営ばっかりだったんだけどな」今じゃ、大企業の波に飲まれて目立たなくなっている。


 それも適者生存の法則って奴だろう。

 もし、今の時代そんな事業にしがみついている人がいれば……俺は呆れて辞めるように進言するだろう。


「目的地はここか……って」


 たどり着いた目的地を見上げて、俺はそこまでの考えを一度白紙にした。だってたどり着いた目的地は……そして、今回の依頼主は――そんな時代の波に飲まれた古くさい道場だったからである。



「うぉー! あなたがアサヒさんですね!」


 寂れた道場で俺を出迎えたのは若い男性だ。俺の自己紹介を聞くなり、大声で俺を出迎えてくれた。今時珍しい、昔ながらの剣道の道場って感じ。「今、父を呼んできます」と、道場の奥に走って行く男。

 ってことは、彼が依頼人か。

 多分、アンの旧友というのが彼の父親なのだろう。


 見たところ、道場の客入りは悪いようだ。よく手入れはされているものの、設備としては古くささは拭えない。多分、配って教えているであろう教材も十何年も昔のまま更新された気配はない。


 総じて、いい雰囲気であるとは言えなかった。

 そんな風に道場を物色していると――「ああ、息子のシンタが申し訳ありません」と、奥から顔を出すのは眼鏡をかけた柔和な男性だ。見たところ、50代前半だろうか。

 和服を着こなす、落ち着いた雰囲気の人でどこか暑苦しい息子のシンタとは対照的だった。


「私はセキです。アサヒさん、アンさんから話は聞いていますよ」

「そうなんですか……ちなみにアンさんとはどういう関係で?」

「私が子どもの頃に、彼女から探索者としての生きる術を教わった……師匠のような人です」

「そうなんですね」


 師匠か。

 アンは旧友と言っていたが――セキの言葉の方が正しいだろう。(彼女はそういうところにルーズな傾向がある)

 セキに案内されてイスに座る俺。セキの隣に座ったシンタが、じっと俺を眺めていた。


「しかし、せっかく来て頂いたのに申し訳ありませんが――私としては、何も困っては」

「困ってるだろ、オヤジ! あの六英重工業の企業が来てから、ウチの客まで引き抜かれたじゃん!」


 シンタが声を荒げて、セキに抗議した。「シンタさんはどういったご依頼をアンさんに?」と、俺は気になったことを質問した。

 すると、シンタは突如立ち上がったかと思えば一枚のチラシを持って来て――バン、と机の上に叩きつけた。「これだよ」チラシには俺がここに来るまでに見た、六英重工業の探索者スクールが。


「数年前に六英重工業が来たんだ。しかもやつら、俺たちを合併しようとしてきやがる。嫌がらせみたいに近くに作って……お陰で道場にはもうほとんど誰もこない!」

「……それで?」

「あのサナカさんの師匠で、しかもDランクをBランクに勝てるまで育て上げたアサヒさん――そのアサヒさんの力を借りれば、六英重工業に負けない道場を作ることができるかもしれないって思ったんだ!」


 拳を握りしめて、堅い決意が窺える表情でシンタは断言した。

 セキは少し困ったように笑って「これも時代の波だと思っているのですが」と、相変わらず穏やかだ。しかし、その穏やかさがシンタは許せないのだろう、オヤジはいつも甘い、と憤慨しているようだった。


「ともかく、アサヒさんには道場再建のお手伝いをして欲しいんだ!」

「……シンタはこういうと聞きませんからね。私からもお願いしてよいでしょうか?」


 と、二人が揃って頭を下げたところで――道場の扉が開いた。

 三人の視線は一気にそちらへと向けられる。開いた扉から姿を見せるのは、黒と紫の特徴的なカラーリングのスーツに身を包んだ女性。頭には、ちょこんと小さな乗せている。あのカラーリング……確か六英重工業だ。


「失礼いたしますわ。ここは土足でよろしかったでしょうか?」

「どちら様ですか?」


 淡い藤色の長髪を揺らして、ニコニコと経済的微笑を絶やさない女性。セキさんが立ち上がって、彼女の返答を待った。


「これは失礼を☆ 申し遅れました、私は六英重工業社長秘書のネルと申します」


 綺麗なお辞儀を披露したネル。彼女の一言は、想像を絶する衝撃を俺たちに与えてくれた。「六英重工業の社長秘書は、ただの社長秘書じゃないと聞いたことがあるな」たまらず、俺も口を挟んだ。


「お恥ずかしい話、弊社の社長は奔放な方ですから……正しい表現としては社長代理とでもいいましょうか。ともあれ、そういった権限は社内のみ、社外では秘書として扱って頂いて構いません☆」


 相変わらず薄っぺらい笑顔のまま、ネルは慣れた様子で口を回した。


「そんな社長代理がウチに何の用だ?」

「喧嘩腰にならないでくださいます? 関わる全てに利益を、私の基本方針です☆」


 何ともまぁ、よく言ったものだ。

 ゴロウさんの一件を知っている以上、六英重工業が完全にホワイトな会社だとは俺は思えない。俺の気持ちも代弁するようにシンタが「ウチは全く利益がありませんが」と、痛烈な反撃を行った。

 しかし、当のネルは涼しい顔を崩さない。


「それは弊社の提案を無視しているからではないでしょうか。今回はご挨拶に伺いました。現在ご提案している合併につきましては、私……ネルが担当させて頂きます」


 再び綺麗に頭を下げるネル。

 社長秘書――いや、社長代理が自ら担当する。この道場に、それほどの価値があるということなのだろうか。そうは思えないけれど。

 突然の知らせに、シンタもセキも上手く飲み込めていないようだった。


「六英重工業の幹部は数多くいますが――私に担当されるとは、運が良いですわね。私はどんな手段を用いても……契約を締結させますから」


 ニコニコとしたビジネススマイルが本来の用途とは別に、俺たちに圧を放ってる。ちらりと、俺に視線を合わせたネルは「ああ、それと」と、思い出したかのように付け加える。


「アサヒ様、あまりこの件には深入りしない方がいいかと☆ 不幸な事故があるかもしれません」

「それは……脅しか?」

「まさか、ただの親切心ですよ。親切心☆ それでは――本日は失礼いたします。いい道場ではありませんか、我々と共に道場を守りましょう」


 最後にもう一度お辞儀をして出て行ったネル。

 まるで、嵐が去って行ったかのように、俺たちはただ呆気にとられるしか無かった。どうやら、この依頼も一筋縄ではいかないらしい……。


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