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第26話 アサヒの戦い

 車内は酷く狭かった。

 それもそのはずである。何せ、この小さなボロ車に巨大な獣人であるゴロウが乗っているのだ。こうなることは分かっていたので、もう少し大きい車を借りてくるんだった。

 後悔は先に立たず。

 それに、今はそんな些細なことを考えている場合ではない。


「ここまで来れば十分だろう。俺はダイブする」

「アサヒ、ちゃっかり携帯ダイブマシンをパクってたよなぁ」

「人聞きが悪いなミユ。これは借りたんだ」


 残念ながら、ダイブマシンは持って来ていない。だから極楽結社の施設から出て行く時に近くにあったものを拝借した。事態が事態だ、いつか返すからこれくらいは許して欲しい。

 携帯ダイブマシンの設定を調整しつつ「連絡はできるようにしておくから、何かあったらすぐに教えて欲しい」とミユとゴロウの二人に話す。


「……サナカはSランクの探索者なんだろう? そんな奴がピンチになるとは信じがたいがな」

「けど、嘘を吐くような奴でもない。二人の手に余る何かが起きているに違いない」


 最も、ゴロウが言うようにサナカがピンチになるなんて思えない。もし、本当にピンチだとしてSランクを苦しめるような事態を俺が解決できるかは怪しい。

 ただ、彼女に応援を要請された以上――それに応えないわけにもいかない。曲がりなりにも、俺は彼女の師匠なのだから。「よし」調整を終えたダイブマシンを被る。


 サナカから送られてきた座標を確認。


 ――ダイブ。


 そのまま、惑いの森に入り込んで座標地点を目指す。

 十分ほど走れば、剣呑な音が遠くから聞こえ始めた。座標も近い、どうやら既に戦いは始まっているらしい。その音を頼りに霧の中を進んでいけば――見えた。


 視界の先に移るのは五人。

 木の根に腰掛ける魔労社の三人。槍を地面に突き立てるチヒロ――そして、倒れ込んでいるユウリだった。


「ユウリ!」


 サナカの姿がないことは気になるが――ひとまず、ユウリの状態を確認しないと。急いで駆け寄って、俺はユウリの顔を覗き込んだ。「せ、先生……」彼女はボロボロであり、トレードマークの紙袋も剥がれ落ちていた。

 状況を見るに――チヒロとタイマンで戦っていたのだろうか。

 いくら身体能力が違うといっても、一方的過ぎる。意図的にユウリが手を抜いたとしか思えない。


「何があったんだ?」

「そ、その……チーちゃんの電脳率が95%に……だから、チーちゃんを傷つけられなくて」

「……」


 まさか、80%からさらに引き上げるなんて思いもしなかった。「サナカさんは……他の敵に襲われて……」「そうか、分かった」俺は視線をチヒロへと移した。「先生……」ユウリは、まだ俺に何かを伝えたいようだった。


「チーちゃんを……助けてください」

「もちろんだ」


 こんな状況で、断れるわけもない。「剣、借りるぞ」俺はユウリから剣を借りて、チヒロと向き合った。


「やっぱり、私の方が強いじゃない。弱すぎて驚いちゃった」

「本当にそう思ってるのか? チヒロ」

「は? 何が言いたいわけ? おっさん」


 チヒロの鋭い眼光が俺を見据えた。「ユウリはお前を守るために反撃しなかったんだ」「反撃できなかったの間違いじゃない? っていうか、私を何から守るっていうのよ」肩をすくめるチヒロ、今の彼女には何を言っても通じなさそうだ。

 だから俺は剣を構えた。


「それが分からない内は弱いままだな」

「雑魚のDランク風情が調子に乗って――魔労社、手を出さないで!」

「元から助けるつもりなんてありませんわ~~だ!」


 あっかんべーと、舌を出して返事をするアスミ。どうやら、両者の関係はあまり良くないらしい。これは助かった。流石にチヒロを相手しながら魔労社と戦うのは無理だ。勝ち目がない。

 だから、チヒロとの戦いに専念できるのは助かる。

 目的の半分以上は既に達成している。あとはユウリの依頼であるチヒロを助ける、ということだけ。


 ――まぁ、それが一番難しいが。


「私はBランク! エリートなの!」

「ランクはあくまでもランクだ。それで探索者の価値が決まるわけじゃない」

「なっていない奴の言い訳じゃない!」


 駆け出したチヒロ。

 確かに何日か前よりも速度は格段に伸びている。けど――突かれた穂先を俺は剣でいなす。そのまま、踏み込んで槍の間合いを潰す。こうすれば、彼女は――「ちっ」そう、再び槍のリーチを活かすために引くしかない。

 だから俺は後退した先に向けて剣を投げる。どうせ、それを槍で弾くんだろう?


「小賢しい!」


 ほら、槍を振り上げて弾く。

 それが分かっているから、俺はその振り終わりの隙を狙う。振り上げた両手の肘――その内側に入って腕をあてがう。「なっ!」そうすると、もうこれ以上チヒロは腕を下げることができない。

 背伸びをしてスペックを伸ばしたところで、中身の経験値はDランク相当。戦い方の引き出しが少なければ、所詮はこんなものだ。


「Dランクのおっさんがなんでこんなに強いの……!」

「悪いな、そういうこともある」


 確かに俺は自分のPTでは実力不足も良い所だった。でも、それは俺のPTメンバーが強すぎるというのもある。少なくとも、見かけだけをBランクに整えたチヒロ相手に遅れを取ることはない。

そのまま間合いを詰めて、俺は肘打ちで彼女の胸を撃ち抜こうとしたところで――ある事実が頭を過って停止。


 ――彼女の電脳率は95%


 この肘打ちすら、彼女にとっては致命傷になり得るのではないか。俺自身、95%の電脳率を誇る相手と対面するのは初めてだ。一体、どれほどの威力が危険域なのか、全く分からない。


 だから、攻撃の手を緩めてしまった。その隙をついて、槍の持ち手を調整したチヒロの反撃が炸裂した。脇腹に、槍の横薙ぎが突き刺さる。そのまま弾き飛ばされて距離を離された。

 ぐるりと、槍を回して一息をつくチヒロ。「それが、強さって奴?」なんて、皮肉まで飛ばす余裕があるらしい。丁度、吹き飛ばされた先が剣の落ちていた場所だったので――剣を拾い上げて、構え直す。


「アサヒ! 大丈夫か?」


 デバイスを通して、ミユの声が響く。「実力的には問題なしだ。だが、サナカが匙を投げるのも頷けるな」そりゃSランクのサナカからすれば、ちょっと小突いただけでも致命傷になり得ない。

 彼女では対処を諦めるのは当然だと思う。

 ただ、問題なのは――俺もまともな対処ができるかは怪しい。


「そこで朗報だ。師匠がアサヒの得物を修理してくれるって! しかも――大急ぎだ!」

「俺の得物を――? っていうか、持って来てたのかミユ」

「何があっても良いように――な、つーわけだ完成次第納品するから時間を稼いでてくれ!」

「オーケー」


 これは光明が見えた。

 確かに俺の武器が届けば――チヒロを傷つけずにこの場を収めることができる。そうと決まれば――俺がすることはミユが言った通りの時間稼ぎだ。

 下手にダメージを与えずに、つかず離れずの間合いを維持する。チヒロが距離を詰めてこようとすれば、それに合わせて俺は後退する。そうしたやり取りが数度ほど続いたところで――「逃げてばかりじゃない!」と、苛立ちを隠せない様子だった。


「本当にBランク相当の探索者になりたいなら、ポーカーフェイスは維持した方がいいぞ」

「雑魚が偉そうに!」


 冷静さを欠いたチヒロの攻めは、より単純になっていく。ならば好都合。このまま、のらりくらりと攻撃をいなしつつ時間を稼いでいこうと考えたところで――視界の端に、嫌な影がチラリと映った。

 嫌な予感が俺を襲う。

 チヒロの槍を逸らして、俺は数歩後退。影へと視線を合わせれば。


「この私をコケにした、その報いを受けてもらいましょうか」


 現れたのはススキダだった。懲りない奴め。

 現実世界で見るよりも随分と豪勢な装備を身に着けたススキダは、ギラギラと嫌に輝く眼で俺を睨めつけていた。「――所詮は雑魚! 私とチヒロで囲めば。いいや、魔労社! お前たちも手伝え!」なんて、ススキダは叫び散らす。

 ――これは不味い。

 もし、彼が言うようにススキダとチヒロが協力すれば……さらに魔労社も加われば、俺は勝てない。


「……」


 チヒロの表情は不満気だった。しかし、直接の上司であるススキダにそう命令されてしまったのだ。従わざるを得ないようだった。嫌な流れだ、本当に。ススキダが動いても良いように、俺は二人が視界に入るような立ち位置に変更。

 魔労社は――どういうつもりか静観を決め込んでいる。ひとまずは、あの二人に注意を払わないと。


「……先生の邪魔は、させません」


 でも、俺とススキダの間に立ちはだかるのは――ボロボロのユウリだった。「なんだ、チヒロのオマケのゴミか。案の定、先日の勝利はまぐれだったようだな」ユウリを見下して、ススキダは言った。

 ユウリの気持ちは嬉しい。

 けど、ススキダと戦うのは余りにも無謀だ。


 腐っても彼は正真正銘のBランク探索者。身体能力だけじゃなく、その経験値や技術だってBランク相当のはず。今のユウリにはススキダと戦えるだけの実力はない。


「やめろ、ユウリ!」

「お前の先生とやらも止めているようだが?」

「やめません!」

「……がっはっは! やはりDランク。実力もなければ頭も悪い!」


 ゆっくりとユウリとの距離を詰めながら、ススキダは大笑い。「教えてくれ、どうしてお前は絶対に勝てない私に立ちはだかるんだ」がきん、がきんと装着した金属製のナックルダスターを打ち鳴らして威圧する。


 負けじと、ユウリが声を張り上げた。


「友達を――救うため!」


 やっぱりユウリは普段は頼りないし、ハッキリもしない。声も小さいし、人見知りだし、引っ込み思案だ。

 でも――こういう時のユウリは誰よりも強くて、その芯の強さがハッキリと表れていた。


「下らんことに囚われる、雑魚らしい理屈だな」


 ユウリの眼前に迫ったススキダ。「不味い!」俺は踏み込み、ユウリの元へ駆けつけようとするものの――「私からよそ見するんじゃないわよ、おっさん!」チヒロが俺の前に割って入る。

 チヒロを退かしていたら間に合わない。


「弱いまま、探索者として消えていけ」


 振り上げた拳が――振り下ろされた。

 ナックルダスターが何かを殴る音が、重く響いた。あの堅いナックルダスターに撃ち抜かれれば、どんなものだってタダじゃ済まないはずだ。

 でも――撃ち抜いたのはユウリの身体ではない。ススキダが殴ったのは――氷塊である。「どういうつもりだ? 魔労社」ギラリと、ススキダの目線がアスミに移った。

 彼女は自分の雇用主に反旗を翻した。どういった意図があるのかは分からないが……。


「私たちは義侠ですの。ユウリ……と、言いましたか? あなたの生き様、かっこよかったですわ。それほどのハードボイルドさを見せつけられたら――私たち魔労社が、それに応えないわけにもいきませんことよ!」


 立ち上がったアスミは人差し指をススキダに突き刺した。「それに、極楽結社――あなたたちが義侠の“ぎ”の字も知らないような組織であることが分かりましたもの!」彼女の宣言に合わせて、アスミの両隣から二人の従業員が前へと歩み出る。


「お前たち、何を言ってるか分かってるのか! これは重大な契約違反だぞ!」


 欠伸と共に「まぁ、ぶっちゃけ……老い先短そうだしな、アンタたちから鞍替えってのを社長はかっこよく言ってんだよ。ウチの社長が、あんななげぇ契約書を読めると思うなよ馬鹿が」ナルカが拳銃の銃口を二つ揃えてススキダへと向けた。「一言余計ですわよ!」

 アスミの言葉が少し遅れて響く。


「それで、アサヒ。今なら特別サービスです、お安くしますけどどうします?」


 アスミは金の髪をかき上げて、俺へ目線を合わせた。

 ――考えるまでもない。「買った!」「良い返事ですわ!」

 ユウリを守るように、三人がススキダの前に立ちはだかった。


「オーダーは?」

「ススキダも電脳率を違法に引き上げてるかもしれない。殺さないようにして欲しい」

「難しいですけれど――魔労社に不可能はありませんもの。引き受けましたわ」


 状況が変わった、それをハッキリと感じる。最も大きな懸念点も払拭された今、俺はチヒロだけに集中できる。後は簡単だ――ゴロウたちの得物が届くまで俺が時間を稼ぐだけ。

 つまり……勝負の結果は俺に委ねられたのだ。



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