【時は少し遡り――】
惑いの森には、今日も深い霧が立ちこめていた。
木々は相変わらず生い茂り、遮られた日光がより陰鬱とした雰囲気を惑いの森に漂わせていた。
だからだろうか、ひんやりとした空気が二人の肌を撫でていく。
ユウリとはぐれてしまわないように、サナカは彼女の手を握りながら先導。急いでいたために、対策アイテムを買い込むような時間はなかった。
「まさかダンジョンの中に別の拠点を持っているなんて……」
「惑いの森――隠れるには最適な場所だよね。魔労社さんがちょっと抜けた人たちで助かったよっ」
二人の目的地は極楽結社の拠点、その一つだ。魔労社のオフィスを調べた結果、拠点が惑いの森内部にあることが判明した。(ご丁寧に、その座標も含めて)
極楽結社の情報を集める必要がある。
ただ、それ以外にもチヒロを探し出して説得する必要もあった。
どちらにせよ、極楽結社の拠点へ向かうのは必要不可欠。
方向感覚を物理的にも魔法的にも惑わせる霧を踏み越えながら、サナカたちは目的地の程近くにたどり着いた。
霧越しでも分かるほどに、周囲の気配が変じた。ダンジョンというには、些か人工的すぎる雰囲気が辺りに漂い始めたのだ。そうなれば、サナカだけじゃなくユウリだって違和感に気付く。
「何とかなるもんだねっ!」
「は、はい……最初は不安でしたけれど」
きょろきょろと不安そうに視線を周囲へと右往左往させながら、ユウリが話した。「よし、じゃあ行こっか!」サナカの言葉と共に、目と鼻の先にあるであろう座標地点を目指すが――。
「それ以上こっちへ来ることは許しませんわ!」
「誰っ!」
霧の中から声が響いた。すぐに鎌を構えて、声の方向へ切っ先を向けるサナカ。
サナカの問いかけに対して――響くのは高笑い。
「おーっほっほっほ! 誰と聞かれれば、答えないわけにもいきませんわね! さぁ、よく聞いておきなさい――」
「まさか……」
調子の良い声と、霧から姿を見せるのはツインテールの美女。ユウリの声色が落ちる、ロクな相手ではないと気がついたからだ。
「どんな問題もパパっと解決。義侠に生きる、名探偵。このアスミが率いる魔労社ですわっ!」
「……こ、この人たちが魔労社」
ノリノリでポーズをつけたアスミ。彼女の名乗り口上が、惑いの森に空しくこだました。そのノリについていけないユウリは、至って真面目に彼女たちの組織名を反すうする。
アスミが姿を見せた場所とは逆の、丁度二人に取っては背後になるような場所から「よくここが分かったなァ?」と、粗暴さを隠しきれない声が聞こえた。それを聞いたユウリは、ポリポリと被った紙袋を掻いた。少し、ばつが悪い。
「流石はSランクというところでしょう。我々の知り得ないような秘密の情報ネットワークがあるのでしょう」
「秘密の情報ネットワークじゃなくて――君たちのオフィスに書類が置いてあったからねっ!」
「あ、言っちゃうんですね……」
ぶっちゃけるサナカに少し引き気味のユウリ。「アスミ! お前、だから言っただろうが、ちゃんと書類は管理しとけって!」「しっかりフォルダーに入れて整理しましたわ!」「誰が整理しろっていってんだよ! 重要書類はちゃんと鍵付きの場所とかにだなァ……!」
二人を挟んで、熱い口喧嘩が繰り広げられた。サナカもユウリも二人の会話に合わせて、首を右往左往。
「そ・れ・に! おかしいのは私有地に不法侵入した挙げ句に情報を盗んでいく人たちの方ですわっ!」
「なんだか急に罪悪感が湧いてきました……」
「ユウリちゃん、騙されたらダメだよ。あの人たちだって犯罪者なんだからっ!」
ピシッと人差し指をアスミに突き立てるサナカ。「違いますー! 魔労社はハードボイルドな義侠なんですの!」アスミも人差し指で応戦。彼女の白く長い指がユウリを指し示した。
そして――「隙あり。レヒト・ツヴァイ」その短い詠唱の後に放たれるのは雷撃。
稲妻が走る。
真っ直ぐとユウリへ向かうそれを、サナカが鎌にて迎撃。切り裂かれて、胡散する雷撃だが――。「今度はこっちだぜ!」銃声が響く。ダン、ダンダン。特徴的なリズムにて打ち込まれた三つ。
背後から迫るそれに対して、サナカは片足を軸に回転。その動きに合わせて鎌を振るうことで一発を弾き、そのまま鎌の刀身にて二発目をいなす。そして踏み込み身体を動かす動きと共に三発目を回避。
――丁度、霧の中から姿を現したナルカと対面する形となった。
「ひゅー! 見せてくれるじゃねぇか!」
「ユウリちゃん、自衛できるよねっ!」
「え、あ――は、はい!」
戸惑うユウリ。サナカの能力を考えればユウリを守りながら魔労社と戦うことも不可能ではない。しかし、それ以上に彼女はユウリを信頼していたのだ。
故に、ある程度の対処を任せていた。
サナカとナルカの二人は互いに迫り間合いを詰め合った。先手を取ったのはナルカ。
まずは右――銃口がフラッシュ。ダン、という音と共に放たれた銃弾。
サナカは僅かに身体を傾け、迫る銃弾を紙一重で回避。そのまま一歩詰めようとするも、すぐに差し向けられるのは左の銃口。まるで、避けられることが分かっていたようにナルカは間髪入れずに二発目を放った。
鎌を振り上げて、銃弾を弾くサナカ。「はっ!」得物を振った動きに合わせて、ナルカが踏み込み、横腹を狙った蹴りを放った。見事にそれはサナカの横腹を穿つ。
「ヒット!」
「いい動きだね!」
「は?」
しかし、サナカは怯むことなく返し手で鎌を横に薙ぐ。腕を十字に重ねて受けるナルカだが――威力を逃がしきることはできずにそのまま吹き飛んでいってしまう。
「ナルカちゃんだったっけ? 君――強いね」
「嫌味かテメェ!」
受け身を取ったナルカは、真っ直ぐとサナカを見据えて舌打ち。調子を戻すように、両手に握った拳銃をぐるりと回して、サナカに向かって掃射。
――ダン、ダン、ダン、ダン。
景気よく、小気味良く放たれる銃声に従って動くサナカ。まるで、彼女がそう動くことを狙っているようにやり取りを続ければ――「おっと、そっちには」ナルカは含み気のある笑みを見せた。
その答え合わせをするように、ギュルンギュルンと駆動音がサナカの耳を打った。「――!」すぐに前方へサナカが飛び退けば――その後を追うように巨大な円形チェーンソーが虚空を薙いだ。
「一手遅刻――か」
狼の獣人が、物静かな様子でぬらりと霧より現れた。
「Sランクもこうやって囲めば――! 怖くありませんの! レヒト・ツヴァイ、ドライ!」
そうして、さらにサナカに向けられて放たれる雷撃。
しかし、それを間にいたユウリが盾を以て受けた。「ううっ! この威力――高い!」盾を地面につけて、吹き飛ぶ身体をどうにか制動するユウリ。
「ユウリちゃん!」
「当然ですの。私はあなたが戦った身体能力のみでBランクに入り込んだような探索者とは違う、しっかりと技術も能力も磨き上げた探索者ですわよ?」
おーほっほっほ、と高笑いをするアスミ。その自慢気な彼女の振るまいに合わせて、トレードマークのツインテールが上下する。彼女の髪もまた、その主張が十分に強い。
「これが――本物の、Bランク」
「その中でも“エリート”ですけれどね」
ゆっくりと歩を進めながらユウリとの間合いを詰めるアスミ。
彼女が言ったように、強引にBランク相当の力を手に入れたチヒロとは違いアスミは全ての能力値がBランク以上は確実の実力者である。ともすれば、彼女の放つ攻撃の一つをとっても、重みは全く違う。
いくらユウリがチヒロに勝利したとしても――Bランク以上の探索者には通じると決まったわけではない。そんな当たり前だが残酷な現実を……ユウリは突きつけられていた。
「けれど――チーちゃんのためにも、私が諦めるわけには……!」
体勢を整えて、ユウリは剣を前方に向かって横振り。アスミは足を止めて、それを見過ごした。「胆力は凄まじいようですが……それだけでどうにかなるほど人生は甘くないですわ?」振り終わりの隙を狙っての――ブローが、ユウリに炸裂した。
僅かに、ユウリの両足が浮かび上がる。
そのまま、流れるような動作でアスミはユウリを地面に叩きつけては――左手をユウリへと向けた。
「ユウリちゃん!」
「おっとォ! よそ見すんじゃねぇよ妬いちまうだろ!」
サナカが前に踏み出そうとしたところで――差し込まれるのはナルカの妨害。鎌で振り払いながら前進しようとするが、今度はジェによる隙潰し。ユウリはもうダメだ。そう諦めるしかないと思ったが――。
「魔労社全員、止まれ」
揺らめく霧が彼女の輪郭を包み、幻影のように現実との境界をぼかしていた。ゆっくりと、姿を見せたチヒロは鋭い視線をユウリへと向けており……その視線には、一言では言い表せないほどの複雑な感情が込められている。
さっきまであれほど騒がしかった戦場だが、風さえも止んでしまい――ただ重苦しい空気だけが霧と共に漂っていた。