今日は良い日だ。久しぶりの休日、うるさいサナカも面倒な仕事もない。探索者家業を再開して良かったと思う数すくないことに、この事務所を持ったことがある。
最初は最悪な場所と思ったが、狭くて汚くて隣人が煩い自宅と比べれば――ここは高級ホテルみたいだった。
暖かいシャワーが疲れ諸共汚れを流していく。俺は静かに目を閉じて、深く息を吐いた。
「極楽結社の一見が落ち着く気配はないな」
カビの生えた壁を眺めて、俺は愚痴をこぼす。サナカに塗りたくられたメッキに合わせるのは苦労する。そんな俺が、唯一気苦労しないのがこうした一人の時間だ。
「英気を養わないと、勝てる戦も勝てない……か、よく言ったものだな」
シャワーを止めて、俺は息を吐くように呟いた。頭を過るのは、数々の心配事だ。ススキダ、極楽結社、チヒロにアン。思わず色々と思い浮かべたくなるけど、今はその思考に蓋をする。
休む時はしっかり休む。そうしないと意味がない。
「はぁ、こういう穏やかな日を毎日すごせればいいんだけどなぁ……」
「師匠―っ! お邪魔しまーす!!」
ガチャりと、事務所の扉が開く凶音が聞こえてきたかと思えば――けたたましい声が響く。誰か、なんて確認する必要もない。俺を師匠と呼ぶ奇特な人間なんて、この世界で唯一人しかいない。
Sランク探索者のサナカだ。「ああ……分かった……今行く」せっかく流れ落ちた疲れが戻ってくるように思えた。急いでタオルを取ろうとして「あっ」
そのまま、バスマットで足を滑らせた俺は勢いよくひっくり返ってしまった。
ひらりひらりと、俺の顔を覆うようにバスタオルが落ちてきた。――最悪だ。
「サナカ、あのなぁ……今日は休みって話だったろう」ソファから身体を起こして、俺はため息交じりに彼女へ視線を送った。
風呂から出て、俺はサナカに口頭で注意する。しかし、サナカの表情がイマイチ優れない。さらに嫌な予感が、俺の背を撫ぜていった。
「はい、なので師匠と一緒に休みを過ごすのに最適なグッズを持って来たんですが……」
どうして俺と一緒に休みを過ごそうとするのか。そんな問いかけすら無に帰す、ですが、という不吉な接続詞。耳を澄ませば、聞こえてくるはずのない足音がサナカの後ろから聞こえてくる。「おっじゃまー! 依頼しに来た!」と、サナカにも負けない声量で声を張り上げる誰か。
黄色い作業服を着込んだ少女。額につけたゴーグルがトレードマークなのだろう、短く切りそろえた黒髪に茶色の瞳がなんとも日本人らしい顔立ちである。サナカに負けず劣らずの活発そうな外見で、もう辟易とした。
ばつの悪そうな顔をして、サナカが少女の紹介を行う。「えーっと、彼女はミユちゃん。その……依頼したいみたいです」俺の不機嫌を察知したらしいサナカの声はどんどんと小さくなっていった。
「その通り! この辺獄にいる伝説の加工屋を探して欲しいんだ!」
「いや、悪いな……今日は休日で……って、今伝説の加工屋って言ったか?」
「そう! ウチはどうしても弟子入りしたいんだ! もう何年も何年も探し回って……やっと、この町にいるっていう情報をゲットしたんだ――けど、そこからが大変で」
「それで道に迷ってるミユちゃんとバッタリ会った私が話を聞いてみたら――依頼したいって話になったんです、師匠助けてあげてください!」
ぐい、ぐいとサナカとミユの二人が俺に詰め寄った。ソファを壁にしてにじり寄る二人から距離を取る。「もう少し、その伝説の加工屋について教えてくれ」と、ミユに話を振る。
彼女は待ってましたと言わんばかりに胸を張って、つらつらと語り始める。「ゴロウっていう人なんだけど、この人の作るアーティファクトは芸術そのもの! 美しくて、綺麗で、何より機能も優れてる!」
凄まじい早口でまくし立てられた。なるほど……ミユはこういうタイプか。俺はその圧に負けないように「そういうことじゃなくて、どういう経歴か……とか。そっちの方をだな……」と、方向転換。
それを受けたミユは咳払いをして、俺の要請に応じてくれた。
「えーっと、元々フリーランスで活動してたんだけどその腕が認められて六英重工業に所属するようになったんだ」
「えー! あの中ギルドの!」
「そう! でも……ちょっとしたスキャンダルがあって表舞台から姿を消しちゃったんだ」
「その、ちょっとしたスキャンダルっていうのは?」
「それは……その、ウチは言いたくないかな」
六英重工業、日本を代表する大企業の一つで六つしか存在しない中ギルドの一角を担っている探索者たちにとっても重要な組織だ。そんな企業に声をかけられ、所属するというのだから……確かに、伝説とミユが言うだけの実力はありそうだった。
もし、本当に辺獄にそれほどの腕を持つ加工屋がいるのなら――俺の得物の修理だって頼めるかもしれない。
「……分かった。探してみよう」
「え、本当!?」
ミユがソファに身を乗り出して迫ってきた。俺はそれを避けて、ホログラムを立ち上げた。急ぎ、アンにメールを打ち込んでいく。
――この辺獄で、アンが知らないことはない。彼女に聞けば、大抵の情報は引き出せる。まぁ、彼女を使うということは彼女に使われることと同じことを意味するのだが……。
とはいえ、砂漠で一粒の金を探すよりはマシだ。ホログラムを閉じて、俺は落ち着いたミユに視線を移して、首を縦に振った。
「ああ、俺も少し腕の良い加工屋に用があるのを思い出した」
後は返事を待つだけだ。さて、本当にゴロウという加工屋はここにいるんだろうか……。
◆
「本当に、本当に、ここにゴロウさんが!?」
ワクワクとした様子でミユが叫ぶ。「アンさんの情報が正しければ……な」あの後、すぐにアンから返事が来た。やはりというべきか、何かしらの技能やら力やらを持った人間には目敏いようで、ゴロウの居場所についても控えていたらしい。
彼女からその情報を引き出した代償が何になるかは……まぁ考えるのをやめておこう。不幸になるだけだ。「うーん、伝説の加工屋っていう割には質素な家に住んでるんですね」アンから送られてきたゴロウの居場所は、辺獄の商店街からほど近く。
寂れた木造建築の一軒家だ。錆びだらけの看板には『修理・廃品回収』と書かれていた。どうやら、アーティファクトの製造は止めた物の、その技術を使って身を立てているらしい。
扉が少し開いていることから、丁度今は営業中であることが分かった。「ど、どうしよう……緊張して、扉に触れない……!」なんて、ぷるぷると震える手を押さえるミユを横目に、俺が率先して扉に手をかけた。
小気味良い鈴の音が扉の動作に合わせて聞こえてきた。店内には古びた玩具やガラクタが所狭しと飾られており、高いんだか安いんだか分からない値段がそれぞれにつけられている。
「お邪魔します。店主さんは……?」
と、辺りを伺えば薄暗い部屋の最奥に大きな何かがいた。宝石のように光る紅い二つの何か。それが瞳であると気がついたのは「何の用だ?」と、それが喋ってからだった。その声からは、声の主が今まで過ごしてきたであろう年月が十分に感じられた。
「客じゃねぇだろ、テメェら」
「まぁ、そうですね。用があるのは――」
「う、ウチ! ミユです! 弟子にして! 何でもするから!」
と、上ずったミユの声が室内にこだました。「あァ?」それを聞いた(推定)ゴロウは、ゆっくりと立ち上がり、カウンターを超えて俺たちの前に姿を見せた。「獣人か……」獅子の獣人だったゴロウは、俺たちを見下ろした。鋭い眼光が、頭上に刺さる。
「弟子は取らん。さっさと帰れ」
「そ、そこを何とか!」
「黙れ!」
ゴロウの咆哮に合わせて、空気が震えた。凄まじい迫力だ。「弟子はともかく、武器を修理して――」俺の目的を果たそうとしたところで「いいか! これ以上儂の前でアーティファクトに関わることをほざくな!」
怒髪天を衝くという勢いで、怒鳴られてしまった。俺たちを強引に閉め出して、バタン! という派手な音と共に玄関は閉ざされてしまう。
「ダメそうだな。ミユさんも、諦めがつい――てないな、これは」
ミユに視線を向ければ、さっきの圧に気圧されるどころかメラメラとやる気をたぎらせているようだった。「ウチに考えがあるんだ、その為にダンジョンからある物を取ってきてくれない?」
懐の鞄からメモ帳を取り出して、さらさらと何かを書いていくミユ。まだこっちがやるとも言っていないのに……「依頼は探し出すまでで、俺はもう」「でも、アサヒだって武器の修理が必要って話だし、ウチの作戦が成功すれば万事解決するはずだから!」と、押し切られてしまう。
まぁ、乗りかかって船って奴だ。
仕方ないと腹をくくり、俺はミユからのメモを受け取って確認。
「金属樹木、惑い蜘蛛の糸、アルキノコ。素材か……」
「そう、それを持って来てくれたら多分解決するはず!」
ミユから依頼された素材はどれも21階~25階までのエリア『惑いの森』で入手することのできる素材だ。Dランクの駆け出し探索者であれば入手に苦労する素材だが、それなり以上の実力があれば……そう面倒な素材でもない。
ただ、ダンジョンでの活動を増やせば増やすほど……メッキが剥がれる。その可能性が上がってしまう。それはあんまり望ましくなかった。「師匠、何か考えごとですか?」サナカがいきなり俺の顔を覗き込んだ。
慌てて後ろへ下がる俺、もしかして……俺の考えが見透かされているのだろうか。いや、多分違う。ただの勘だろう。それを示すように、サナカは天真爛漫な様子で拳を握りしめた。
「ミユちゃんのためにも、師匠の武器のためにも、私が頑張ります!」
そんな弱気な俺の隣で、握りこぶしを二つ作り天へと突き上げるサナカ。
俺の武器のために、こうも頑張ってくれるとは思わなかった。彼女の信頼……というか勘違いに応えるためにも、弱気になってちゃダメか。
「そうだな、乗りかかった船だ。俺も最後まで乗るとするか」
「ありがとう! アサヒ! サナカ!」
まるで命でも救われたかのように、キラキラと目を輝かせたミユ。俺たちに迫って感謝を述べた。
まぁ、所詮は惑いの森の素材だ。そう恐れなくてもいいはず。
それに、サナカがいれば武器がなくても問題ない。こういう時ほど、彼女は頼もしいのだ。さて、そうと決まれば話は早い。
ダイブの準備をするためにも、俺たちは一度事務所に戻った。