ゆっくりと起き上がるチヒロ。試合開始時とはかけ離れた険しい表情は、それだけこの試合が彼女の思い通りに行っていないことを示していた。「チッ」舌打ちと共に、槍を地面に突き刺すチヒロ。甲高い金属音が響く。
喧噪が膨れ上がりつつあった観客たちは、それによって静まりかえった。
外野が黙ったことに満足したのか、チヒロは槍を引き抜いてユウリを真っ直ぐと見据えた。相も変わらず顔を隠すユウリだが、剣の切っ先を真っ直ぐ彼女に向ける姿からは堂々とした雰囲気を感じさせる。
「私が開始の合図を告げる前に始まってしまいましたが……驚きの光景が広がっています。このDランク――強いです!」
いつの間にか実況席に移動していたリンテリアの言葉がこだました。
最初と同じ構え――少しだけ、腰を落として前傾姿勢に移っているか。その構えをとったチヒロはスゥーと口から息を吐いた。
「ただのラッキーパンチの癖に」
「つ、次もできるよ……!」
上ずった声で返事をするユウリ。胸を張るほどの自信がないというのは明らかだった。
「なら、試してあげる!」
地面を蹴り、加速。
――速い。
少し前までDランクだったとは思えない身体スペックだ。瞬く間にユウリとの距離を止めて、突き、突き、突き。
三度、穂先が煌めいた。
ユウリはその全てを防いで見せた。そして、返し手の剣の一撃――「そこ!」をチヒロが槍を回転させ剣を弾き「吹き飛べ!」石突での突き。流石のユウリも防ぎきれずクリーンヒット。
チヒロが宣言した通り、大きく吹き飛ばされた。
しかし、倒れ込むわけではなく。ちゃんと、視界にチヒロを収めたままだった。
「師匠、やっぱり身体能力が違いすぎますね」
「ああ、そうだな。だけどサナカ、少し違和感がないか?」
「違和感ですか……?」
「ああ、次の攻防戦をよく見た方がいい」
「分かりましたっ!」
極楽結社が言う“奇跡”とやら。その正体について、俺は確信に近い仮説がある。サナカも俺と同じ違和感に気がついたなら、その仮説の正しさは増すはずだ。
間髪入れずにチヒロがユウリに迫る。鋭く眼光を光らせて、瞬く間に間合いを詰めてみせた。その表情は、ここで勝負を決める……と言わんばかりの物で鬼気迫っている。
槍の間合いに入ったことに合わせて、チヒロは槍を鋭く横薙ぎ。風を斬る音が遅れて耳を打つ。素早い一撃だ、モロに入れば試合を一気に勝負を持って行かれてしまう程に。
一方のユウリの防御技術も冴えていた。的確にチヒロの攻撃を盾で受ける。しかし、彼女が反撃をしようとすれば――その隙をついてチヒロの一撃が入る。そうしてチヒロの攻撃をモロに受ける。
間合いも速度もチヒロが上。辛いイタチごっこが続く。
またも、ユウリが吹き飛ばされる形でチヒロの突きが刺さった。唯一、違うのはユウリが地面に倒れてしまったこと。
「流石にダメージも蓄積してるでしょ。これで分かったでしょ、ユウリ。私には勝てないって」
「ぜんっぜん、分からない」
普段のユウリからは想像もできないほどにハッキリとした声で、彼女はチヒロに反論。
そのまま、ゆっくりと立ち上がるユウリ。チヒロは苛立ちを隠しきれない様子で舌打ち。彼女に焦りが見え始めた。
「あ、分かりました師匠!」
「違和感か?」
「はい。チヒロちゃんの戦いは……ただ“スペックが高いだけ”です!」
「ああ、多分正解だ」
そう。サナカが言った通り、チヒロの身体能力は高い。Bランクと言われても違和感がない程に。ただ、チヒロにはBランク相当の技量はなかった。
本来であれば身体の成長に伴って、それを支える技量も上昇するはず。だというのに、それが一切ない。それが極楽結社の“奇跡”の正体を見破る重要な手がかりだ。
「身体能力だけ鍛えた、ということでしょうか?」
「いや、多分違う。極楽結社の奇跡じゃ、技量を育てることはできなかったんだ」
「それが奇跡の正体何ですねっ!」
そうして話していれば、視界の端に収めていたススキダが動き始めた。当然、この一大イベントに出席しない訳がない。焦って裏へ引き上げている様子を見るに、ユウリの健闘は予想外だったんだろうな。
「そうだな、その奇跡とやらについて“本人”に聞いてみよう」
俺も立ち上がり、ススキダの後を追った。
多分、彼はよからぬことを考えている。極楽結社の尻尾を掴むためにも、ユウリの勝利のためにもススキダは抑えておく必要があるからだ。「私も行きます!」
と、やる気満々のサナカを連れて離席。俺たちが見守っていなくても、ユウリはもう大丈夫だろう。
◆
「ええい、何をしているさっさと出力を――!」
「奇跡の話ですか? ススキダさん」
闘技場の控え室。その端っこで壁と話しているススキダに俺は声をかけた。肩をビクりと震わせて、こちらへ振り返るススキダ。「おや、試合を見ていなくていいのですか?」「それはススキダさんも同じでしょう?」
あくまでも余裕綽々とした態度は崩さない。だが、その仮面は前回会った時よりも随分と薄っぺらいものになってしまった。心なしか、頭部の輝きも褪せているように思える。
「結局、チヒロの勝ちに違いはないのですから。ほら、今だってチヒロが押しているようです」
ススキダはチラリと視線を、モニターに移した。大きなモニターには、チヒロの攻撃を一身に受けて劣勢に立たされているチヒロの姿が映し出されている。「ですが、イマイチ決定打に欠けているようですね」
俺がそう指摘をすれば、僅かにススキダの表情に陰が。
「そう見えるならセンスがないのでしょうね」
「どうでしょうか? 少なくとも特製ダイブマシンの出力をあげた程度じゃ勝てませんよ」
「ッ――!」
「図星のようですね」
「な、何のことだか……!」
ススキダの表情が更に曇ったところで、闘技場から歓声が響き渡った。モニターには、ユウリの攻撃がチヒロにヒットしている様子が丁度映し出されている。「く……」「当ててあげましょうか、時間がかかるほどチヒロさんにとっては不利になる。だから、ススキダさんは焦っていると」
徐々にススキダとの間合いを詰めながら、俺はススキダの焦りについての憶測を話した。「何を根拠に――そんなことを」その反応でもうバレバレ……だとはわざわざ言わないが、その反応も十分根拠だった。
「ダイブマシンが必要であること、身体能力だけが異常なまでに強化されていること、技量は大して変わっていないこと、そして長期戦を嫌うこと。ある一つの仮説を踏まえれば全てに説明がつく」
さらに俺が続けようとしたところで、ススキダはまくし立てるように口を挟み込んだ。余裕綽々とした態度だが、物寂しい頭頂から汗がたらりと流れている。その態度はメッキでしかない。
「いいですか? これは極楽結社の“奇跡”なのです! 理屈も、理由も、そこにはありません!」
両手を天井へと突き上げて叫ぶススキダ。演者のような大立ち回り、悲しいことだが彼がそのような虚勢を張って、言葉巧みに真実だと主張すればするほどに……奇跡の薄っぺらさが露呈していた。
「その説明も不思議でした。事実としてチヒロさんは強くなっている。奇跡なんていう不自然で怪しい言葉を使わずとも、キチンと原理を説明すればいい。でも、そうしない。それは、この強化方法には大きなデメリットがあるからじゃないですか?」
そこまで言って、俺は一度……息を整える。「それこそ――奇跡という言葉で誤魔化さなければならないほどの」自分で言うのもなんだけど、俺の憶測は的を射ていると思う。
もう我慢ならないというように、ススキダがヤケに広い額に青筋を浮かべて声を荒げた。
「ゴタゴタと、結局何が言いたいっ!」
「俺は探偵でもないから、この憶測が当たっているか本人に確かめたかったんです」
アンに報告するために、極楽結社が扱っている“奇跡”については必要不可欠だ。それが俺の憶測では意味がない。だからこそ、ススキダ本人が言っていたように根拠となる確証が欲しい。
「極楽結社の“奇跡”の正体は――電脳率を違法に引き上げて、身体能力をブーストしているだけの危険行為だ」
俺はススキダに奇跡の正体を突きつけた。奇跡というには余りにも烏滸がましい小細工。それが正体だ。
ススキダの表情から笑顔が消えた。今までのある意味で教祖的な穏やかさは消え、そこにあるのはススキダ本人の――悪人の顔。
「……ほう、取るに足らないガキだと思ったが。侮れんものだ」
さっきまでの“教祖”らしい振る舞いが一瞬にしてなくなった。今まで、取り繕われていたススキダ本人の、粘っこい我欲が彼のあらゆる仕草からあふれ出した。目つきも鋭く変じ、俺の顔を真っ直ぐ見据えている。
実力者が醸し出す特有の雰囲気で、室内が満たされていく。俺は身動ぎしたくなる気持ちをグッと堪える。
ここからが本番だ。
――俺も、ユウリも。