『じゃあ、私がSランク辞めるよ』
「一触即発、Sランク探索者のサナカさんとBランク探索者のチヒロさんが10Fの探索者ギルド、酒場にて言い争いは予想外の方向に――」
「ははは! アンタ、本っ当にアタシを暇にさせないねぇ」
「……あはは」
アンがテレビに映るニュース番組を眺めて大爆笑。俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。本当、今の時代どこで誰が動画を撮ってるかなんて分からない。
一夜明ければ、探索者向けのニュース番組で昨日のやり取りが取り沙汰されていた。……最悪。「今回はアンタの特集はあまり組まれてないみたいだけどね」アンが言う通り、サナカとチヒロ……ランクは違えど期待の新人両名がぶつかったことのインパクトが先行しているようだった。
今の現実から、多少逃避するためアンの背後に広がる辺獄の景色へ目を移す。
「それで、サナカちゃんとアタシが紹介してやった依頼者は?」
「今、ダンジョンで鍛えて貰ってるところです」
「そりゃ残念だ。アタシゃあサナカちゃんを気に入ってんだけどねえ。アンタより見たいくらいさ」
「気が合ってましたからね」
「それで、大きく出たもんだね。Dランクの探索者をBランクと勝負させて――勝たせるなんざ」
アンの方から本題に入ってくれた。彼女が言う通りだ。DランクをBランクに勝たせるなんて――それこそ、本当にサナカをSランクに導くくらいの腕が必要になる。ただ、それはあくまでもランクの話。
相手はたった一人の個人。
となれば、つけいる隙はあるはずだ。
「アンさんの力を借りたい……です」
「そりゃそうだ。具体的には?」
「ガルシアの協力です」
「そりゃまたどうしてだ?」
「確か、ガルシアは元々腕の立つタンクだったかと。彼なら、ユウリさんに足りてない部分をより具体的に指摘してくれるかもしれません」
正直、俺はタンクとして素人だ。俺が指導するよりも、
アンは少し考える素振りを見せた後――「構わねぇ、が」と、条件を提示。まぁ、ここまでは分かっていた。問題はその条件だ。
「極楽結社、それについて調べてくれねぇか」
「そういえばユウリさんが言ってたな。極楽結社の名前を出したからアンさんが興味を持ったって」
「ハナの奴も極楽結社にそそのかされたみたいでね。住民をダンジョンに向かわせようっていう奴がそこそこいて、どいつもこいつも裏には極楽結社が関わってるっていうんだ」
「……それはまた不思議というか、なんというか」
「ああ、不思議なのさ。だから調べて欲しいんだよ。メールで言ってたろ、この依頼も極楽結社と関係があるかもしれないってな。チヒロって女のことだろ?」
「そうですね。彼女と相対すれば、極楽結社についてもおのずと分かるかも知れません」
「ああ“期待”してるよ。ガルシアにはアサヒの事務所に向かうように行っておく。ただ……あいつには、ダイブさせてやるなよ」
「もちろんです」
これで最初の関門はクリアだ。条件というのも、そう重くはなかった。丁度俺も、極楽結社について、調べようと思っていた。どうして、彼女があれほど強くなったのか……やっぱり、それには極楽結社が関わっているとしか思えない。
「だが、随分と肩入れするね」
「……どういうことですか?」
「弱くてPTを追い出された依頼者と、自分の過去を重ねてるのかい?」
「俺の話はもう終わったことです。それに、もし重ねているとしても……アンさんには関係のない話でしょう?」
「そうだねえ。だが、そういう入れ込みはあんまり良くはねぇ。アサヒ、アンタの過去は本当にもう終わったことなのかい?」
「――どちらにせよ、今は関係ない話ですね。ともかく、ありがとうございました」
礼を言って、部屋から出ようとする俺を「ちょっと待ちな」と、アンが呼び止めた。まだ過去について聞かれるのかと、うんざりしてしまうが……そうではなく、彼女は俺に向かって何かを投げてきた。それをキャッチすると、中にはUSBメモリが入っている。
「これは?」
「アサヒ、アンタが手放した武器だ。たまたま拾ったから、返してやるよ。まぁ、中身はぐっちゃぐちゃで、データ破損しまくりだけどな。それを直すのは、余程腕がいい整備士が必要だろうね」
「……ありがとう、まさか手元に戻ってくるなんて思いもしなかったですよ」
「そうだろ。ま、探索者続けるなら必要だろう。頑張って修理しな」
と、思わぬ選別と見送りを受けて俺はアンの部屋を後にした。当時、俺が探索者をやめてすぐに売り払った得物。もう二度と俺の手に戻ってこないと思ったけれど――まさか、返って来るなんてな。
余り、見たいものではない。けれど、今の俺には武器がないことは事実。今後のこと考えて、昔使用していた武器を持つということは合理的だ。
自分に折り合いをつけて――サナカへ連絡。現実世界から帰って来て貰おう。これからの予定について、しっかりと話しておく必要がある。
俺はUSBメモリを握り絞めて、帰路についた。
◆
「えーっと、その……隣にいる、牛の怖い人は……一体」
「今日からみっちり、ユウリさんに稽古をつけてくれるガルシアだ」
事務所のソファにちょこんと座ったユウリは俺の背後にいる立ちっぱなしの大男を見て、ぷるぷると声を震わせた。ガルシアはちょっと――いや、かなりの強面なので、彼女がビビるのも無理はない。
「ああ、アン様に頼まれた。タンクなんだってな、俺の腕が錆びてなけりゃあ教えられることはあるはずだ」
「っていうことだ。ユウリさん、これから3日間は毎日筋トレとダンジョンでのサナカとの修練、そしてガルシアさんとの修練をずっとして貰う」
「じゃ、じゃあ残りの3日間は何をすれば……」
「そこからはまた少しメニューを変える。取りあえず、3日で基礎能力を大きく上げる――ことはできないから6日間で何とかなりそうな部分をガルシアさんに見て貰おうと思う」
「やるだけやってみる」
という返事を受けて、取りあえずユウリのトレーニングメニューは決定した。取りあえず、ガルシアには今日のトレーニングを初めて貰う。幸い、ここは廃墟地帯なのでトレーニングをする場所には困らない。
外に出て行く二人を見送って、俺はサナカに今後のことを話す。つもりだったけど、その前に確認をしておかないとならないことがある。
「なぁサナカ。本当にSランクの立場を賭けて良かったのか? しかも、かなり分の悪い賭けに」
「もちろんです。師匠ができるって言った、それだけで十分ですから。それに――チヒロちゃんの態度はちょっとムカつきましたっ、ぎゃふんって言わせたいです!」
拳を握りしめて、サナカはシャドウボクシングを始める。彼女が俺を信頼していることは分かった。それこそ、Sランクの立場を賭けても惜しくはないほどに。「なぁ、サナカ――」そんな信頼を向けられるほど、俺は彼女に何をしたのか。
それを問おうとして……やめた。
聞かない方がいい。そんなことを感じたから。
「どうしました?」
「いや、極楽結社について調べるようにアンさんに言われたんだ。サナカにはこっちも手伝って欲しくてな、ちょっと忙しくなるけど大丈夫か?」
「もちろんです! 私にできることで師匠の役に立つことなら何だってしますよっ!」
どん、と胸を張ったサナカ。なら、彼女の言葉に甘えて力を借り続けるとしよう。これで、3日間の行動指針は定まった。
肝心の俺がするべきことは極楽結社の調査と――チヒロの情報を集めること。3日間のトレーニングが終わったら、それらを継続しつつチヒロに勝つための戦い方を考えて行く……予定だ。
そのために、集められる情報は集めておこう。
善は急げ、まずは極楽結社についての聞き込みを開始だ。アンさんから貰った追加の情報によると、極楽結社の本拠地はダンジョンの3階層――電京にあるらしい。時刻はまだ昼過ぎ、今から行っても十分間に合うだろう。
ユウリをガルシアに預けて、俺とサナカは極楽結社の本拠地に早速向かうことにした。
◆
ごうごうと、炎が燃えていた。
視界は紅く染まっていた。
そして、彼がいた。
「アサヒ――どうして大して強くもないお前をPTに入れていたと思う?」
「……それは俺もずっと気になってたよ」
俺の胸ぐらをがっしりと掴んで、ユウトは吐き捨てるように言葉を連ねた。熱も相まって、頭が回らない。「どんなに優れた人間も、引き立て役が必要だ」
燃え盛る火炎の中で、ユウトは続けた。
「役にも立たない、実力もない、雑用係のお前がいることで……この俺の凄さがより引き立てられる。その役割が、不服だったとは言わせねぇ。お前だって、俺たちの名声を受けてたし、金だって十分にやってやった」
「ああ……そうだな」
ユウトの言う通りだ。俺は自分の扱いに不服はない。引き立て役になることで、役に立つのなら、それも1つの仕事だとも思うからだ。「実際、引き立て役としちゃあお前は優秀だった。だから惜しいな」
剣を、俺の首へと突き立てるユウト。だが、探索者なら誰だって分かるはずだ。デジタル空間において、そんなものは何の脅しにもならない。だって、ここで死んだとしても……実際に死ぬわけじゃないんだから。
「首を落としてクビか、洒落が効いてるな」
「まだ事態を理解してねぇようだな」
そう言って、ユウトは俺を地面に叩きつけた。「ぐっ!」衝撃が身体に走る。揺れる視界でユウトを見る。さっきまで俺を掴んでいた手には注射器のような……何かがあった。ギラリと、炎に照らされた刀身が眼前に添えられる。
「デジタル空間だから……死なないとでも思ったか? 俺の秘密を知ったお前を、生かして帰す訳がないだろ」
「……どうやって?」
「それを知る必要はない」
あの注射器が要なのは間違いがない。でも、ユウト相手に逃げることなんて不可能だ。俺はもう諦めて――ただ、その瞬間が来るのを受け入れるしかなかった。もう全てを諦めた時――水が、燃え盛る火炎ごと、一体を飲み込んだ。
「クソ!」
「なっ」
水に飲まれて押し流される俺とは違い、ユウトはしっかりと回避している様子だった――しかし、その回避こそが彼女の狙いらしい。「ダメでしょ!」空中に飛び上がり、無防備になったユウトにセレナの跳び蹴りが刺さった。
ぐるりとその場で回転し、着地するユウト。そんな彼を見下ろして、得物である傘を広げたセレナはふわふわと自由落下。
「ちっ、お前まで失いたくはないぞ――セレナ!」
「流石に一線を越すのは見過ごせないな、アタシは」
「どいつもこいつも、俺の邪魔ばかり――」
俺を押し流し続ける水流――この場から、俺を逃がすためにそうしていることは明白だった。ユウトの刀身に――焔が灯った。やっぱりアイツは本気で俺たちを排除しようとしている。
「アサヒ君、逃げて!」
「う、く……」
セレナを置いて逃げたくはなかった。
けれど、もしこの場で俺が残っていたとしても、彼女の足手まといになるのは確実。だから……最適な行動は――。
「……」
強制ログアウト。
意識がデジタル空間から剥離し、現実へと戻ってきた。それが、俺が最後にあのPTで過ごした思い出だ。
この一件があって、俺は探索者をやめた。最悪の思い出だ。俺が、ユウトの秘密を知らなければ――あるいは、俺があの時逃げなければ――俺が、あそこで殺されていれば……もしかしたら。
セレナは、まだ生きていたかもしれないのに。
◆
「し……う」
「師匠~! 着きましたよ!」
「ん」
サナカに起こされて、俺は目覚めた。探索者に戻ってからというもの、嫌な夢ばかり見る。ようやく……忘れかけてきたと思ったのに。「ああ、ありがとう」サナカに礼を言って、タクシーの運転手に料金を渡す。そして、降車。
「師匠、顔色が悪いように見えますが……具合でも悪いんでしょうか?」
「疲れてるのかもな。今寝たから良くなると思うよ」
「そうですか! うーん、極楽結社の本拠地……なんだか普通ですね」
ブロロロ、とタクシーが走っていく音をBGMに、俺は目の前のビルを見据えた。電京はダンジョンとは思えないほどに都市が造られている。ビルが密集している地域が多いのだが、この極楽結社も数あるビルの1つを所有しているようだった。
どこからそんなお金が出てくるんだか――不思議ではあるが、まぁ実際に中へ入って確かめるとしよう。
「師匠、そういえばアポとか必要なんじゃ?」
「普通はな、まぁ俺に任せておけ」
「流石師匠です! その技、盗みますね!」
なんて、調子のいいサナカと共に俺たちはビルの中へと入っていく。