結局、一日かけて掃除した研究施設。かなり広いが、すぐに使えそうなのは施設中央部分のみだった。本来なら、そこから四方に分かれて、さらに上にも下にも階があるみたいだけど、そこまで手が回らない。
取りあえず、現状では中央部分を整理整頓してアンから貰ったダイブ装置やその他諸々の電化製品の搬入に費やした。まぁ、そもそも他の区画は厳重な防護扉で封鎖されてしまっているし、そこを開けるためにはシステムへのハッキングが必要らしい。
残念ながら……この施設全体を復旧させるような電力はないし、システムにハッキングする術も持たない。そこまでしなくても、中央部分だけで広さは十分ある。
「終わりましたね、師匠」
「ああ、なんとか1日で終わって良かったよ」
昨日の夕方から泊まり込みで作業をするのは、流石にちょっと疲れた。「ていうか……」俺は、ちらりとサナカの方を見る。今まで突っ込むつもりはなかったが――流石に我慢できない。
「その荷物は?」
「ここに住む用の荷物です!」
「……え」
「だって、自宅から辺獄って遠いんですよ? 毎日来ると思ったら……泊まった方が早いかなと!」
彼女の性格と行動を考えれば、そりゃそうなるか。
断っても強引に居座ろうとするだろうな、サナカは。だから言葉を飲み込んで、承諾した。俺の家に来ないだけマシとしよう。彼女が管理するという意味だろうし。
作業が一区切りしたので、ソファにもたれかかる。元は研究施設だったからか、天井がやけに高い。最低限の電力はアンが発電機を持ってきてくれたし、ソファにテーブルに椅子、冷蔵庫、テレビ、その他諸々……全部アンが用意した。
彼女には頭が上がらないけど、同時にどれほどの貸しになったかは考えたくもない。
「師匠、ウォーターサーバーもありますよ! 初めて見ました!」
なんて、サナカは純粋に喜んでいる。ああいうところを見ると、彼女も年相応だと強く思う。「よう、やってるかい?」そんな快活な声が響いたかと思えば、アンがズカズカと押し入ってきた。
「あ、アンさんだ。家具、ありがとうございます!」
「いいってことさ。今日は新居挨拶もかねて、最初の依頼人はアタシが案内しに来たのさ」
「依頼人?」
「そうだよ、ほら入ってきていいよ」
アンの言葉に引っ張られるように中へ入ってくるのは――紙袋を頭に被った、挙動不審な……見るからに怪しい人だった。
「は、はい……そ、その、わ、わたわた……」
すっぽりと被った紙袋にくり抜かれた二つの覗き穴が右往左往。「私を……つ、強くしてくださいっ!」か細い声で、彼女は語った。
「そういうことだ、後は任せたよ。アタシは忙しいからね」
依頼者が
アンさんと一緒にやってきたオペレーター代わりの黒士が、ぽつりと壁際に居座り続けていた。
「えーっと、そうだな……まずは、詳しく話を聞かせて貰おうかな」
「は、はひ!」
取りあえず、初めてのお客さんを出迎える準備を俺とサナカは整える。その間に、彼女も少しは落ち着いてくれたらいいけど……。
◆
「そ、その私は……えーっと、ユウリっていいます!」
「ユウリさんか、俺はアサヒでこっちは……」
「新狼サナカです!」
取りあえず、ソファにユウリを座らせて、俺たちは自己紹介をする。「わ、わぁ……ほ、本物だ……」サナカの姿を見て、ユウリは感動している様子だった。Sランク探索者、普通に考えれば探索者にとっての神に等しい存在だ。
――感覚がズレてきたけど。
「そ、その……アサヒさんってほ、本当に……サナカさんの……え、っとお師匠さん……なんですか?」
「そうですっ!」
「……!」
即答するサナカ。硬直するユウリは、相変わらず紙袋を被っているが驚いていることは一目見て分かった。「そ、そ、その!」食い気味にソファから身を乗り出すユウリ。
「私、どうしても強くなりてくて……それで、あのニュース見て……こ、ここに来たんです!」
「それでよくアンが俺を紹介したな……」
「た、多分それは……私が、極楽結社の名前を出したからだと……思います」
「極楽結社?」
聞いたことがない名前が出てきた。首を縦に振ったユウリは、極楽結社について説明を始めてくれた。
「最近、たまに探索者たちの間で噂になっている組織です。凄く……簡単に強くしてくれるって話でした」
「ユウリさんはそっちに行かなかったんだな」
「はい、その……ちょっと怪しくて。ともかく、私を強くしてください! すぐに!」
「す、すぐにか」
難しい依頼だ……というか、探索者の仕事ではない。俺がサナカを強くしたという触れ込みで来たコーチング依頼。実際のところ、俺は多分サナカを強くなんてしてないだろうに。
よし、ここは断ろう。
彼女がどうして強くなりたいかは分からないけれど、真剣に悩んでいるように見えた。俺に師事するよりも、もっと確かな方法があるはずだ。それこそ、極楽結社とか。
「ユウリさんの話は分かった。けれど――」
「もちろん、任せてください! 師匠なら、ユウリちゃんを今よりも確実に強くしてくれます! すぐに!」
「ほ、本当ですか! や、やったぁ!」
目の前で大喜びするユウリ。そして、一緒に盛り上がるサナカ。「……」今更、無理だ何だと言えるような雰囲気ではなかった。残念ながら、ここで断れるほど俺の心は強くない。
仕方ない、適当にやって適当に理由をつけて強くならなかったと断ろう。
「じゃあ、まずはユウリさんの基礎的な情報を教えてくれるか? そうだな……確か、まだ用紙が……」
部屋から持って来た荷物を漁って、商売道具を一つ取り出した。「あ、私も記入した奴だ!」それを見て、サナカが反応した。俺が自作した、探索者基礎情報シートだ。まぁ、こういうのは形式がそれっぽいならいい。
別に、ちゃんと眺めるつもりはない。ともかく、その紙をユウリさんに渡して記入して貰う。
【名前:粟生 ユウリ(あお ゆうり)
・電脳率:15%
・スキル:なし
・アーティファクト:なし
・主な功績:なし
・探索者ランク:D】
「か、書きました。これで……いいでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
記入されたシートを眺める。
Dランク探索者か。少なくとも、一人前ではあるようだ。他は……なしばっかりだな。
アーティファクトというのは、ダンジョン内で見つかった特殊な道具やダンジョン関連企業の作った人工的な装備を含めた言葉だ。多くの場合は装備品という言葉で一纏めにされるが、必ずしも武器や防具を指す言葉ではない。
スキルは探索者が持ちうる特別な能力を指す言葉だ。これは本人の努力ではどうしようもない。
最初から持っているか、後天的に獲得するか、くらいしか与えられないものだ。
功績もなし。Dランクなら当然ではあるか。
探索者としての格は、多くの場合この“功績”で決まる。どのような活躍をして、どれほどギルドの役に立てたか。もちろん、大きな功績を打ち立てるために強さは必要だが、強いだけでも意味がない。(Sランクという例外を除いて)
つまり、彼女が楽に強くなろうと思ったら――手を加えるべきなのはここ。
「電脳率だな」
「は、はい。で、電脳率……ですか?」
「ああ、探索者として最も重要なステータスだ」
電脳率――現実世界の肉体が、どれだけ電脳世界に順応できるかを示す指標だ。「電脳率は最低10%から最高50%までの制限が設けられている」つまり、探索者をするなら、最低でも10%は超えなければならない。ただ、探索者ギルドは50%以上の電脳率も制限している。
「電脳率は最低の10%さえあれば現実世界そのままのスペックで過ごすことができる。そこから上がっていけば?」
「……その分、電脳世界での肉体が強くなります。じょ、常識ですよね」
「ああ、そうだな。一般的に1%で現実世界の10%に相当する強化が入る」
ただし、良いことばかりという訳でもない。電脳率が上がれば上がるほど、フィードバックもキツくなる。つまり、本来なら抑制されている電脳世界での痛みや苦しみがダイレクトに伝わるということだ。
50%を超えると、探索中の痛みなどによるショック死のリスクが跳ね上がる。それを重く見たギルドは探索者たちの安全を鑑みて、50%という上限を作った。
「電脳率の引き上げと、現実世界での肉体強化。これが探索者で強くなる1番の近道だ。15%はまだまだ伸びしろがある、まずは電脳率から引き上げるのが――」
「そ、それは知ってます! で、でも……それじゃ、ま、間に合わないんです!」
ユウリの真剣な声が響いた。サナカが、俺の方を見た。まるで「そんな当たり前のことを……?」とでも言うような感じだ。
俺は彼女の勢いとサナカの視線に押されて――「と、普通のアドバイザーなら言うだろう」なんて、後先も考えずに言ってしまった。
「だが、俺は普通のアドバイザーとは違う。情報は分かった。次はユウリさんが実際にダンジョンでどのように振る舞っているのか――見てみようと思う」
「は、はい! お、お願いします!」
と、いうことで俺たちはダンジョンへ向かうことになった。なんで俺って、こういうところで見栄を張っちゃうんだろうか。つい数秒前に吐いた言葉を、今から後悔している。なんともすっきりとしない心持ちで、ダイブ装置の起動に取りかかった。