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第7話 アンの急用

「アンさんと師匠はどんな関係なんですか?」

「……まぁ、あの人はここの実質的な元締めみたいなもんだ。辺獄で過ごす以上、アンさんと関わるっていうのは避けられない」

「辺獄……」


 アンの事務所を目指して“辺獄”を闊歩する俺たち。サナカがきょろきょろと視線を街の景観へと向けた。「ここがどういう街かは知ってるか?」「はい……一応は」端切れが悪い。まぁ、それも仕方が無いことだと思う。


「ダンジョンが出来て、探索者をはじめとしたダンジョン関連の仕事は急激に増えた。そうした社会の変化についていけなかった奴や、そうした変化に伴って生まれた被害者たち……そういう人間が集まってできた。ダンジョン被害者の会、それが辺獄だ」

「師匠の街を悪く言うつもりはありませんが……あまり良い噂を聞く場所でもないですね」

「どれも事実だ。気にはしないさ」


 一種のスラム街みたくなってるし、その影響で半分無法地帯気味だ。

 ダンジョンの進出と、探索者の大量流入は様々な功罪を伴っている。その一つが、探索者の力を利用した治安の悪化だ。

 辺獄の治安は酷いの一言。警察は随分と前にここへの関与に消極的になった。だから、アンさんみたいな人が率先して元締めにならないといけない。


「アンさんは悪い人だけど、適切な関係性を築いている間は大丈夫だ。サナカ、あんまり失礼なことはするなよ」

「わ、分かりました!」


 そう話している間に到着だ。

 アンさんの事務所は辺獄の中央にある。この電波塔は辺獄が栄えていた頃の名残だった。アンは、そんな場所を根城にしている。

 天を突くような電波塔は、もう既にどこもかしこもボロボロで何かの拍子で崩れてもおかしくはない。少なくとも、俺だったらここを事務所にしようとは考えないだろうな。ただ、アンさんにとっては古びた電波塔以上の価値があるんだろう。


「アンさんに呼ばれた、アサヒだ」

「ああ、ご苦労さん。アン様はいつもの場所にいる」


 門番を任せられている牛の獣人ダンジョンを探索していると、トラップやアーティファクトの影響で不可逆的な獣人変化がままあるのガルシアに挨拶。黒いスーツに身を包んで、背中には大きな斧を背負った厳つい男だ。その見た目に反して、気の良い奴でもある。

 互いに会釈を交わして電波塔の中に入って、エレベーターへ乗り込む。


「ガルシアは元々、精力的に活動していた探索者だったんだよ」

「どうして探索者をやめちゃったんですか?」

「あるトラブルで獣人になってしまったんだ。それならよくある話だけど、当時は獣人差別も過激だった。自分の家族に縁を切られて、PTからも追い出された」

「そんな……」

「あいつも、ダンジョンの被害者と言えるだろうな」


 チン、という音と共に最上階へ到着。

 扉が開くと、左右に控えた黒服二名が俺を出迎えた。どちらも物騒な得物をぶら下げたアンの部下。彼らは、その黒服にちなんで“黒士”と呼ばれていた。


「アサヒさんお久しぶりです。お早い到着ですね、アン様もお喜びになるはずですよ。そちらの方は――Sランク探索者の新狼サナカさん!?」

「宗二か、ってうわ!」


 同じ黒服に身を包んだ青年が出迎えてくれたかと思えば、俺の横を通り過ぎてサナカに接近。「ほ、本物の現役探索者だ!」「わ、わわ! ど、どうしたの!」サナカの両手を握って、ぶんぶんと振り回す彼。

 さしものサナカもその勢いに少し驚いているようだった。ちょっと新鮮だな。


「あー、こいつは宗二。アンさん直属の治安維持部隊“黒士”の筆頭だ」

「興奮してしまって、申し訳ありません。ご紹介に預かりました、宗二です。未熟な身ながら、黒士筆頭を務めています」

「ご、ご丁寧にありがとう? 私は、知ってると思うけれど探索者の新狼サナカ……だよ、よろしくね!」

「はい。ぜひ、アン様のご用件が終わって時間に余裕があれば、サナカさんのご活躍を聞いても?」


 辺獄で生まれて、辺獄育ち。

 宗二は黒士になるために幼い頃から手ほどきを受けてきたエリートだ。探索者じゃないから実際のところは分からないが、シンプルな実力ならCやBに匹敵しうる。これは、彼の年齢を考えれば異常なことだ。


「というか、私の話を聞くよりも師匠の話を聞いた方がぜーったい良いよ!」

「師匠……どなたですか?」

「決まってるでしょ!!」

「……」


 視線で俺を示すサナカに、その視線につられて俺を見る宗二。「アサヒさん、そんなに凄い人だったんですか?」疑念の目が向けられている。これは不味い……。


「もっちろん! 師匠は私よりもうんと優秀な探索者なんだから!」

「そ、そうなんですか……確かに、アサヒさんが元いたPTって今はSランクの――」

「え、師匠の元いたPTを知ってるんですか?」


 最悪な組み合わせだ。まさか、宗二から俺の話がバレるとは。これ以上話すな――という念を送るが……。「もちろんです。アサヒさんが昔居たPTは――」と、完全に無駄。

 諦めかけたその時……。


「宗二! 余計な話をするように言った覚えはねぇ。さっさと客人を連れてくるんだね!」

「――はい、ただいま!」


 ドスの利いた声が響いたかと思えば、宗二の背筋が伸びる。まさか、アンに助けられるとは思わなかった。

 そのまま、少し名残惜しそうな様子は見せつつも宗二は俺たち二人を奥の部屋へと通した。「じゃあ、宗二君またねーっ! 次は師匠の話聞きたいな!」と、元気に手を振るサナカ。


「はい、もちろんです。その代わりに、サナカさんの探索者の話も教えてください!」

「もっちろん!」


 最悪の約束が交わされた。

 俺としてはあの二人をあんまり近づけたくないな。変なこと(本当のこと)を吹き込まれちゃ敵わない。


 剥製となったライオンが、大きく口を開けてアンの部屋へと続く扉を飾り立てていた。そんなのが左右にあるんだから、アンの悪趣味には辟易とする。扉をノック「入りな」という声が帰って来たので、遠慮なく入らせて貰った。

 堂々と中央の大きなソファに鎮座するのは、当然――アンだ。背後の壁面は辺獄を一望できるようにガラス張りだ。


「昨日ぶりですね、アンさん!」

「おぉ、サナカちゃんか。元気そうだねぇ、インタビューも可愛く映ってたよ」

「えへへ、ありがとうございます!」


 なんて挨拶を交わしつつ、俺とサナカはアンの対面に座った。「それで、急用ってのは?」「はっ、アサヒ。アンタはアタシの言葉の意味をよく分かってるねえ」嬉しくない褒め言葉だ。

 それだけ、俺もアンの御用聞きが板についてきたってだけだからな。とはいえ、辺獄じゃ彼女に気に入られて得をすることはあれど、損はない。


 相変わらず、どれだけ高く見積もっても三十代にしか見えない彼女の姿に違和感を覚えてしまう。一体、どんなアーティファクトか魔法を使ったんだろうか。


「だが、今回は別に面倒事じゃねぇさ。まずは礼をと思ってよ」

「礼?」

「そうさ。ハナの奴を助けてくれただろう。アタシゃ義理堅くてねえ。こういうのは面と向かって言わねえと気が済まねえのさ。それに、報酬の話もある」

「報酬……? 驚いた、アンさんは俺たちをタダでこき使ってるもんだと思ってました」

「辺獄じゃアタシほどクレジットのある雇い主はいないだろうさ」


 その言葉に偽りはない。実際、彼女ほど金も信用もある人間は、この辺獄にいないだろう。「それで、報酬というのは?」貰えるものは貰っておこう。彼女がいくら俺に支払うかは分からないが……。


「アンタ、探索者に復帰したんだろ?」

「そうですよ」

「拠点をやるよ。その方が安全だろ? 色々な」


 ダイブをするということは現実世界から意識を手放すことを意味する。それはつまり――外で何が起きても分からないということだ。

 だからこそ、ダイブする場所は安全な場所でなければならない。普通は信頼のできるオペレーターだって立ち会う。少なくとも、自宅の狭いマンションでやっていい内容ではない。


 昨日と今日は緊急だったので仕方ないが、今後定期的にダンジョンへ向かうならその部分をどうにかしなければならないとは感じていたのだ。


 渡りに船だが――「ちょっとした行方不明の捜索が拠点……魂胆はなんですか?」アンは遣り手だ。

 100%の善意でそんなことを言っているわけがない。彼女が何を考えているかは、よく見極める必要があるだろう。


「人聞きが悪いねえ。まぁ、確かにやって欲しいことはある。ウチは腕利きの探索者は少ないだろ? ダンジョンに関わりることを嫌がるような奴ばっかだからねえ。だが、最近ダンジョン関連の面倒事が増えてきやがった」

「……それで?」

「黒士は辺獄の世話で手一杯だ。そこでだ、アサヒ。アンタにゃひとまずウチで起きてる面倒事の解決に専念して欲しい。仕事が入ってハッピー、アタシも手間が省けてハッピー、いい話だろ?」

「……はぁ、そういうことだろうと思いましたよ」


 結局、アンさんの御用聞きになるっていうことに違いはないようだった。とはいえ、アンさんが言うように、これは悪い話じゃない。それに、なんだかんだ言っても俺だって辺獄という街には世話になっている。

 最低で最悪の地域だが、これ以上最悪になることを見逃したくはない。


「性能のいいダイブマシーンは用意してやったし、本命のサポーターが見つかるまではウチの黒士を交代で見張りにつけてやる。アタシに金はつけなくていいぜ。破格だろ」

「……確かに、文句のつけようがないくらいには良い内容ですね」

「ああ、未来ある若人に投資は惜しまない趣味なのさ。サナカちゃんにも、アサヒにもね」

「えへへ、師匠と一緒に褒められるなんて嬉しいですっ!」

「これくらいアンタも素直になればいいのにねえ」


 なんて、嫌味を言われるがそこは無視。ともかく、この話を受けることにした。断る理由がないくらいには好条件だ。

 まぁ、アンという人間の性質を考えれば――彼女はもちろん、足長ダンジョンおじさんというわけではない。シンプルに、今の俺たちには彼女が飴を与えるほどの利用価値があるということだろう。飼い慣らされないように注意はしておく必要がある。


「住所はもう送っといたよ。いい施設だ、腰を抜かさないか心配だねえ」

「楽しみです! ありがとうございます、アンさん!」

「ありがとうございます。期待には応えられるよう、励みます」

「当然さ。アタシの期待を裏切って生きてる奴はもういねえよ」


 底冷えするような声が返ってきた。彼女のこういうところが、俺がアンを信頼しない理由の一つだった。


「じゃあ、早速向かおうかサナカ」

「はい、師匠! じゃあ、また会いましょう――あ、そうだ、師匠と仲が良さそうなので、今度話を聞かせてくださいね!」

「ああ、もちろん。行きつけの店があるんだ、酒でも飲みながら話そうや」

「あ、私まだ未成年なので!」

「はっはっ、そうだったか。残念だねえ」


 なんて二人のやり取りを聞いて、俺はアンの部屋から出て行った。彼女は気さくだが、それ以上に恐ろしい。一つでも返答を間違えれば、取って食われてしまうような恐ろしさがあった。

 まぁ、気を取り直して“拠点”とやらに行こうか……。ちゃんとした場所だったなら良いけど。


 ◆


「……アンの奴、何が良い施設だ。最っ悪の施設を用意しやがって」

「師匠これって……」


 目の前にあるのは、辺獄が辺獄と呼ばれる所以となった施設だった。住所を見た時、まさかとは思った……その疑念が確信に変わったのは周囲に人通りが消えて、廃墟がちらほらと目につき始めて来た頃だった。


「当時、最新設備で作られたダンジョン研究施設だ。ダイブ試験をしていた被験者48名が全員死んだ、最悪の事件。その舞台となった場所だ」


 確かに、ここなら設備も十分だろう。時が経ったとはいえ、ここの設備は十分に使用できるはずだ。周囲が廃墟だというのも、悪くはない。ただ縁起は悪い。それに、荒れ果てた場所を整える手間も必要だ。


 まずは掃除からか……。沈みかけた夕日を眺めて、俺は大きくため息をついた。


「サナカ……今日はこれから、掃除だな」

「はい! 一緒に頑張りましょう!」


 こういう時、サナカの従順さは本当に助かる。

 腹をくくって、俺は埃を被った扉に触れて、押し開いた。さぁ、新しい拠点を使えるようにしよう。


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