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第59話 布袋の秘珠

 扉を開け、外から鍵を閉めてから、時生は走った。

 階段を目指して、不気味な廊下を走って行く。油絵に描かれた人々の目はぎょろぎょろと動いており、皆楽しそうに唇を動かしている。


『間に合うわけがない』

『牛鬼様に勝てるわけがない』

『牛鬼様を倒すのが悲願だのと実に愚かなこと』

『牛鬼様こそ、今宵忌々しい血統の持ち主を根絶やしにする計画なのだ』

『鬼月家とてもう配下におさめて長い』

『ああ、ここは蠱毒だ』


 嘲笑が回廊には響き渡り、銀の甲冑達は動いている。その合間をすり抜け、ひたすら時生は走る。そして角を曲がろうとした。


「時生!!」


 すると陰から誰かが飛び出してきた。


「裕介様……」


 呆気にとられた時生が立ち止まった時、その手首をギリギリと裕介が握った。


「行くな」

「なっ」


 刀をもう一方の手で持っている時生が、目を見開く。


「この奥に、火災に備えた脱出口を見つけた。行くぞ!」

「な、何を言って……僕は、この刀を届けに行くんです。離して下さい! 離して!」

「駄目だ。これは高圓寺家当主としての命令だ! 俺の命令が聞けないというのか!?」


 裕介が時生の首元の服を捻じり上げる。そして空いていた手で、時生の頬を打った。

 バシンと大きな音がする。それでもやはり、痛みは少なく、いつもの通りに手加減されたのだという事が、時生には分かった。裕介の瞳には怒りと……焦燥と怯えが浮かんでいる。


「行くと言っているんだ!」

「離して! 一人で行けばいいだろう!? どうして、どうして!?」

「もう止めてくれ。止めろ、頼むから!」


 いつもと違う裕介の切実そうな様子に、時生は困惑し、目を疑った。


「俺にはもう、お前しか、家族がいないんだよ!!」

「!」

「お母様もお父様も、もういないに等しいんだよ!! 俺を一人にしないでくれ。怖いんだよ! 頼むから、お前だけでもいてくれよ! いやなんだよ、一人は怖いんだよ!」


 涙ぐんだ裕介の声に、時生は驚愕して目を見開いた。

 裕介に家族だと思われていたことに、最初は一番驚いた。そして、なにより裕介が、あのいつも傲慢な裕介が泣いている姿に、思わず立ち尽くす。


 ――孤独は、時生にはとても馴染みが深いものだ。それがどんなに恐ろしいかだって、よく分かっている。けれど、今はそれだけではない。


「裕介様」

「なんだよ、笑え。笑えばいい。でも、俺は怖いんだよ、頼むから――」

「居場所は、自分の手で作れます」

「……え?」

「必ず僕は、この刀を届けるから、そうしたら……今の僕の居場所のみんなが、きっと平和を取り戻してくれる! それを信じてる。そうしたら、そうしたら、裕介様だって見つけられる。僕は……死なない、どこにもいかない。だから、僕を家族だと思うなら、行かせて下さい! 僕を信じて下さい! 今、僕に出来る事は、逃げる事なんかじゃない。家族が欲しい? それなら、それこそ平和を取り戻して、一緒に作りましょう!」


 思わず時生が叫ぶように告げると、裕介が虚を突かれた顔をした。

 それから苦笑するように笑って、時生から手を離すと目元の涙を拭った。


「……っ、何を偉そうに。す、少し俺にも気の迷いがあっただけだ。お前なんか、その……俺の家族なんかじゃない! だが、仮にも高圓寺の血を引くものだ。ならば、当主として……俺も行く。愚弟が、きちんと役目を果たすか見届けてやる。行くぞ!」


 裕介がいつもの通りに、全てを蔑んでいるような侮蔑的な笑みを浮かべた。

 だが、その姿が、今は心強く見えるから不思議だった。


「高圓寺家の当主はこの俺だ。行かないと示しがつかないからな」


 裕介が口角を持ち上げる。危険だから残るべきだと、逆に進言しようか迷い、時生は視線を下げる。すると裕介の指先が震えているのが見えた。


「行くぞ、何をしている! 行くとお前が言ったんだろうが!」


 しかし裕介が、時生の袖を強く引いた。そして裕介は唾液を嚥下した後、懐から小さな桃色の布袋を取り出した。


「渡しておく」

「これは?」

「……俺が生まれた時、そしてお前が生まれた時、祖父が用意したという、高圓寺家の秘珠だ。中には、その……今日渡しておこうと考えた、お前の分が入っている。力が顕現するかは分からなくとも、高圓寺では子が生まれた時、必ず作る品だ。これは……浄化の技法の威力を高めると言われている。持っていろ。気休めにはなるかもしれないからな!」


 裕介に押しつけられた袋を、時生は目を丸くして受け取る。

 そして小さく頬を持ち上げて、しっかりと頷いた。


「ありがとうございます」

「礼など言っている場合か! ついてこい!」


 こうして裕介が足早に歩き出し、すぐに走り出したので、刀を抱え直し、時生もその後に続いた。





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