裕介の来訪から、二日後。
時生は鍛錬場の中央に座り、きつく目を伏せていた。艶やかな髪が、びっしりと汗をかいた肌に張り付いている。そして目をしっかりと開いた時、その場に風が舞った。
正面に擬似的に展開されていた、禍々しいあやかしを模した式神が次々と消失していく。
「成功だ」
後ろで見守っていた相樂の声がした時、時生の全身から力が抜けた。
「短期間で、ここまで浄化の技法を使えるようになったのは、本当に凄いな」
歩みよってきた相樂に、時生はぽんと肩を叩かれた。
反射的に首だけで振り返り、時生は思わず微笑する。
まだまだ発動率が高いわけではないが、訓練の成果もあり、十回に一度程度は破魔の技倆を用いた浄化の技法を発動できるようになった。それが己の中に流れる高圓寺家の血に宿る力のなせる業だと思うと、少しだけ複雑ではある。高圓寺は決して、己にとって快い思い出の場所ではないからだ。けれどこの力で誰かの役に立てるならばと思うと、強い決意が生まれる。
「頑張ります」
「ああ。その意気だ。無理をするなと言いたいところだが、今の帝都では何があるか分からないのが実情だからな。力ある者は少しでも多い方がいい」
そう言って笑って見せた相樂の横で、時生は立ち上がる。
すると相樂が思い出した顔になる。
「そういえば、鬼月家の夜会に行くんだろう? 当日は俺と姪も行くから、よろしくな」
その声に、先日現れたくせ毛の女の子のことを思い出し、時生は小さく頷く。
あと数日でクリスマスが訪れる。
「宜しくお願いします」
「次に会うのは夜会の日だな。来年からは、少し軍に来る頻度を増やしてもいいかもしれない。訓練は継続が大切だぞ!」
そう言って快活に笑ってから、相樂は鍛錬場の上部にかかる丸い時計を見た。
「とはいえ、体を休めるのも肝要だ。今日はゆっくり休め」
「はい」
大きく頷き、この日は時生は帰宅することにした。
首には、小春から貰った薄紅色のマフラーを巻き、雪道を歩く。本当は軍規定の品や、以前偲に買って貰った品もあるが、小春の気持ちが嬉しくて、ここ数日はこの毛糸のマフラーを身につけている。よく見れば、細かく桜の花びらの模様がある。
白い手袋を嵌めた手でマフラーに触れてから、ゆっくりと歩いて時生は帰宅した。
「おかえり!」
すると本日も澪が抱きついてきた。
「ただ今戻りました」
その後ろには、黒い台座に立った静子の姿もある。
今日の澪は珍しく、黒い紋付き姿だ。子供用の大きさで、普段は洋装が多い澪が身につけていると、行事のようで愛らしい。
「クリスマスは、これを着ていくんだぞ!」
澪の声に、かろやかな声で静子が後ろから声をかけた。
「時生さんに見せたいと、もうずっとこの子は、ここで待っていたのですよ」
響いてきた声に温かな気持ちになり、時生は澪のやわらかな髪を撫でた。
「とっても似合ってる」
「うん! お父様とおそろいなんだぞ!」
「そうなんだ」
「時生の服も、さっき呉服屋が着て、注文したものをおいていった。お母様が選んだんだ」
それを聞いて時生が目を丸くすると、またかろやかな声が響いてきた。
「僭越ながら。よかったら身につけて下さいね。時生さん、当日はこの子達を宜しくお願いします」
「は、はい……! ありがとうございます」
戻ってきてから、己をすぐに受け入れてくれた静子の優しさが、時生は嬉しかった。
鶴である外見にも、今では慣れてきた。
静子がありのままの姿でいたいと願う気持ちが、なんとなく分かるようになったし、この礼瀬家の人々は、誰もそれを蔑ろにはしない。
「さぁさぁ、中へ入りましょう。今日は私の実家でよく作る水飴を、小春達に用意してもらったのですよ。味わってもらえたら嬉しいです」
「水飴ですか?」
「ええ。もやしで作るのよ」
そう言って楽しげな声を放った静子に頷いてから、時生は澪と手を繋いで、邸宅の中へと入った。