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第43話 牛鬼の面の紐

 銃声がしたのは、その時の事だった。

 時生が目を見開き振り返ると、あやかし対策部隊に特別に支給されている軍銃――破魔の技倆の力を弾丸の代わりに放つ巨大な片手銃を手にした青波が、目を眇めて結櫻を見据えていた。結櫻と時生の間を貫通した力のこもる弾丸は、社の柱に命中している。


「時生」


 その時、灰野が駆け寄ってきて、時生の腕を引いた。


「これはこれは、お早い到着だ。あやかし対策部隊も、ただ愚かなだけではないようだ」


 牛鬼が嘲笑うようにそう言った時、周囲に強い風が舞った。その風が、場を覆うように吹き荒れる。そしてそのそれぞれが淡い緑の光を放つ刃に変化した時、牛鬼の後ろに着地した偲が軍刀を揮った。振り返った牛鬼が、金色の扇子でそれを受け止める。鉄製らしく、二つがぶつかると、激しく高い不協和音がその場に響いた。続けざまに偲が刀を振り上げる。


 すると牛鬼の面の紐が切れた。

 体への斬撃を躱した牛鬼は、片手で面を受け止めると、にやりと笑って偲を見る。

 その顔を目視し、時生は驚愕して息を呑んだ。


「鴻大さん……?」


 それを聞くと、時生に視線を流した牛鬼――鴻大が唇の両端を楽しそうに持ち上げる。


「いつ気づかれるかと楽しんでいたんだが、結局退屈な結果となったな」


 楽しくてたまらないというように、牛鬼が哄笑する。


「結櫻、先に行け。ここは俺が引き受ける」


 牛鬼の言葉に、偲と青波、灰野の視線が結櫻へと向く。いつもとは異なり無表情に変わっている結櫻は、顎で小さく頷くと、社の右手を見た。


「お任せしますね、牛鬼様」

「偲、俺が後を追う。牛鬼を必ず仕留めろ。灰野、お前は時生を」


 結櫻が地を蹴った時、そう言い放つと青波が同じ方向に走り出した。すぐに二人の影が見えなくなる。


 牛鬼がその時、金の扇子を振った。すると境内に落ちていたいくつもの枯れ葉や枝が、不意に宙へと浮かび、淡い光を放った直後、ゆらゆらと蠢く人型へと変わった。


「そこにいる裏切り者を仕留めろ。高圓寺の縁者は喰うかもしれないから、とりあえず生かしておけ」

「御意」


 すぐに異形の鬼に代わった枯れ枝や木の葉が、灰野と時生を取り囲んだ。

 偲がそちらを一瞥する。


「無理はするな。灰野、時生を連れて逃げろ」

「っ、それが出来る状況だとは……」


 囲まれ、退路を塞がれている状況だ。いつも冷静沈着で無表情の灰野だが、冷や汗を浮かべているのが時生には見て取れた。なにも出来ないまま守られることが不甲斐なく思えて、必死に己にできる事は無いかと、時生は考える。


 そのそばで、牛鬼は面を石畳に投げ捨てると、鴻大の顔で愉悦たっぷりに微笑んだ。


「部下を気にする優しさは度量が深いと、男としては買うが、そのような場合ではないと、敵としては忠告する。なぁ、礼瀬家のご当主様? ご挨拶がまだだったな。先に次代の澪様にはご挨拶させて頂いたが。ああ、安心しろ。ただ首に触れ、絞め殺そうとしただけで、まだ何もしていない」

「澪に!?」


 ぎょっとした顔をした偲に向かい、牛鬼が踏み込み、鉄扇を揮った。

 その光景を見聞きし、過去に鴻大に感じた違和感の正体に、漸く時生は気がついた。


「時生」


 灰野が腕を前に出し、時生を庇ったのはその時だ。


「ここは、お前だけでも逃げろ」

「っ」


 時生がそれを聞いて息を詰めた時だった。眼前にあやかしが迫る。


「何故人の子を庇う? 貴殿は、あやかしの血を引いているだろう? それも貴殿の母上は――」


 茶色い人型のあやかしが、嗄れた声を放つ。すると目に見えて灰野の瞳が険しくなった。時生は、軍刀を両手で構えている灰野の手が、僅かに震えているのを見て取る。


「……言うな」


 ぽつりと灰野が呟いた。その声も震えている。


「そうだよなぁ? 昴。お前は、俺の可愛い甥っ子だもんなぁ? ああ、妹も愚かだ。人間と恋に堕ちるとは。だがな、昴? 俺はお前を、俺の後継に迎える用意は、今もある。耄碌した礼瀬の先代に唆された愚かなお前を迎える用意は、いつでもあるというのを忘れるな」


 その時、牛鬼がせせら笑った。時生は虚を突かれたが、思わず鴻大を睨みつけた。


「灰野さんは僕達の仲間だ! 勝手なことを言うな!!」


 すると驚愕したように灰野が振り返った。そしてまじまじと時生を見てから、マスク越しではあったが、ほっとしたように笑ったのが分かった。時生は、灰野が笑ったところを初めて見た。苦笑が混じっているようだったが。


「そうだな。俺は、時生の――あやかし対策部隊の仲間だ。牛鬼もその配下のあやかしも、この命に代えても排除する」


 灰野の眼差しが再び険しく代わり、前方に切り込んだ。

 瞬間、刀の軌道にあわせて、その場に冷気を伴う鬼火が溢れた。広がっていくその焔は、そこにいた茶色の人ならざる者達を一瞬で凍りつかせていく。それらは、すぐに黒い靄となって宙に霧散した。





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