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第42話 社

 次の時生の休暇日、この日は時間外労働――と、言うわけではないが、結櫻と約束をしていたので、時生は本部の前へと向かった。そこで高東に会釈をしていると、結櫻が姿を現した。目に見えて高東はビクリとしてから敬礼をし、微笑した結櫻は気にした様子もなく頷いていた。


「さぁ、行こうか」


 歩きはじめた結櫻の横に、慌てて時生は並ぶ。

 本日はちらちらと白い雪が舞い降りているが、傘を差すほどではない。本部の門を出て左に二度曲がり、二人は商店街に出た。


「どこも年末年始の仕度品を売っているね」

「そうですね」

「時生くん、そういえば、西洋から入ってきたクリスマスという日があるのを知ってる?」

「え? いえ」


 時生が首を傾げると、結櫻がにこりと笑ってから、遠方を指さした。そこには新迎賓館の屋根が見える。


「あそこで前夜から当日にかけて、貴族を招待して夜会を開くそうだよ」

「そうなんですか」

「うん。毎年年末か年始に、あやかしに関連する家柄――爵位持ちの会合というのはあったんだけど、今年は政府から貸し切りにして、鬼月ほおづき家が主催するという話だよ。四将ほどではないけど、破魔の技倆の使い手としては、鬼月家も高名なんだ」


 そういった行事があることすら知らなかった時生は、驚きながら頷いた。


「さて、買い物は後回しにして、先に社に行こうか。そこね、本当に御利益があるという話で、灰野が来た時も連れて行ったんだよ」

「御利益」

「うん。牛頭天王を奉っているんだって。病気にかからなくなるみたいだよ。病気をしてたら、仕事どころじゃないからね」


 喉で笑った優しげな結櫻の表情に、胸が温かくなって時生は頷いた。

 そうして進んでいくと石段があり、花も葉もない冬の桜が並ぶ境内が視界に入った。中央に木の社があり、その向こうにしめ縄がかけられた黒い岩が見える。


「ここは落ち着くから、疲れた時なんかも休憩に来るんだよね」

「休憩……」

「うん、そう。ああ、それと。時生くんに会わせたい人がいるんだった」


 笑顔の結櫻に時生が顔を向ける。その時、じゃりと、砂と枝を踏む音がその場に響いた。


「それは、俺か?」


 その場に明るい声が谺した。

 時生は驚いて、声がした方を見る。すると社の裏側から、長身の男――牛面をつけた者が姿を現したところだった。どこかで聞いた覚えのあるような快活な声に首を傾げそうになったが、それよりも異様な風貌に、相手を凝視してしまう。


「――これは、これは。これからお招きしようと思っておりましたのに」

「何事も先を読む癖があってな」

「時生くん、こちらはね」


 結櫻は笑顔を相手に向けた後、そのままの表情で視線を流すように時生に向けた。


「【牛鬼】様だよ」

「え……?」

「名だたるあやかしを統べる、この帝都のあやかしの王たる存在だ。僕が崇拝してやまないお方でね、きっと時生くんなら、美味しい餌になってくれると考えてね」


 いつもと全く変化のない調子で、表情も穏やかな笑みで、つらつらと結櫻が述べた。しかしその言葉の内容を、時生の意識は理解するのを拒む。


「結櫻さ……ん……?」

「ん? なに?」

「牛鬼って……この前の慰霊祭の時の……」

「うん、そうだね。同じ人間として、まったく恥ずかしくなってしまうよ。牛鬼様に勝てるわけがないのにね」

「結櫻さんのお父様とお祖父様も……」

「うん。僕は父や祖父のような愚は犯さないつもりだ」


 唇の両端を持ち上げて、結櫻が笑っている。右手の親指で、人差し指の指輪を内側から撫でるような仕草で、手を動かしながら結櫻はいつもと同じように穏やかな目をしている。


「時生くんも幸せだろう? 牛鬼様の血肉の一部となって、この帝都をあやかしが支配する場所にする手伝いが出来るのならば」


 恍惚としたような表情の結櫻を見て、時生は青ざめ、一歩二歩と後退る。

 すると正面からは、牛面の大男が近寄ってきた。

 狼狽えながらそちらを見上げれば、白地の狩衣姿の牛鬼が手を伸ばそうとしていた。


 最初はなんの気配もなく現れたその存在だったが、近づいてくるにつれ、ある種異様な威圧感を放っていることに時生は気づいた。逃げようと思うのに、足の裏が地面に凍りついてしまったかのように、体を動かせなくなる。


 ――この感覚も、ごく最近、何処かで感じた記憶がある。


 けれどそれが何処なのかは、咄嗟には思い出せない。


「結櫻さん……どうしてこんな……」

「なにが?」


 結櫻が吐き捨てるように笑うと、小石をブーツのつま先で蹴った。それがコロコロと牛鬼の方へと向かっていく。一瞬だけ立ち止まった牛鬼が、面をつけた顔を結櫻に向ける。すると結櫻は笑みを濃くしてから、両手を広げた。


「勝てない矮小な人間につく事がいかに愚かか、僕は気づいただけだよ。ああ、みんなに教えてあげたいほどだ」





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