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第41話 妖力の痕跡

 険しい表情の偲が慌てたように足早に戻ってきた後、青波が先に特別執務室の扉を開けた。時生は偲と共に中へと入る。そこには難しい顔をして指を組んで肘をついている相樂の姿があった。偲と時生が席につくと、それぞれの前に、青波が持参した封筒から取り出した書類を並べていった。


 白い紙には、新聞でも目にする白黒の写真が載っている。

 印刷技術が相応に進んでいる近年では、軍の書類には写真が用いられることも珍しくない。


「この写真。これが澪くんの持っていた、礼瀬家のお守り袋だ。その布が、襲ってきた死神の消失残滓を吸収していた」

「消失残滓?」


 時生がぽつりと口にして首を傾げると、偲がそちらを見た。


「あやかしは、黒い靄となって存在がこの世から消える。その時に残る僅かな妖力の残滓だ。妖力というのは、あやかしが持つ人ならざる力の総称だ」


 端的な説明に、時生が頷く。


「その中から、指定妖力が検知された。間違いなく【牛鬼】のものだった」


 青波の声に、相樂が眉間に皺を寄せる。


「だとすると、今回も過去の第一級指定あやかし災害の時と同様に、多数のあやかしが、牛鬼の配下になっていたり、操られてその手先になっている可能性が高いな」


 相樂の声に、偲が腕を組む。


「自発的に配下になっているあやかしは兎も角、操られている怪異への対処はどうする? 区別は出来ないままだ」

「偲。殲滅する以外の方策があるという提案か?」


 いつもは快活な相樂の声が、低くなった。するとかぶりを振って、偲が答える。


「……ありません」

「操られている場合、浄化の力を使うしかない。破魔の技倆の範囲において、浄化は高圓寺家にのみ受け継がれていた技法だ。現在、使用可能な者は……」


 続けた相樂が、ちらりと時生を見た。時生は、高圓寺の名に小さく息を呑む。


「……いないと考えるべきだ。今後時生にその才能が開花する事はあるかもしれないが、現時点では、そうではない」


 相樂は冷静にそう続ける。すると青波が頷いた。


「現在の帝都のあやかし犯罪の中で、今回検出した【牛鬼】の妖力の痕跡と類似の力を纏っている存在に片っ端から張りつくのが、たどり着く近道だと俺は思います」


 青波の提案に、ゆっくりと相樂が頷いた。


「そうだな。【牛鬼】の仲間になると、あやかしは特定の妖力を得るらしいというのは分かっていることだからな」


 その後三人が、今後の打ち合わせをするのを、時生は見守っていた。

 二班に分かれて、【牛鬼】に接触した可能性があるあやかしを調べてまわるとの事だった。途中から時生は、議事録をとる係をしていた。今回の報告は、帝都各地のあやかし対策部隊にも共有されるのだという。


 それが終わり特別執務室を出ると、高い声がした。


「偲!」


 時生が顔を向けると、そこには殭屍の凛の姿があった。


「凛、どうかしたのか?」

「偲に恩を売りに来たアルヨ」

「どういう意味だ?」


 右側だけ半眼にした偲は、珈琲を淹れに向かいながら応対している。現在は結櫻の姿がない。まだ聴取室なのかもしれない。青波と相樂はまだ執務室で話をしている。


「灯台下暗しアルヨ!」


 そういえば忘れ物を届けに来た日も、同じ事を聞いたなと、時生は思い出した。あの時も、凛は偲に伝えようとしていた。


「凛、それは何についてだ?」

「……忠告はしたアルヨ」

「ところで、凛。【牛鬼】に関係がありそうなあやかし事件に心当たりはないか? ここ最近発生した事件の中で」


 単刀直入に偲が切り出したのを、時生は見守っていた。


「そんなのは簡単アルヨ。この前山手線やまのてせんが開通したアルネ?」

「ああ、それが?」

「おたくの軍が結界を各所に設置したあれアルヨ」

「――耳が早いな」

「あやかしはみんな噂してるアルヨ。帝都の結界がまた強化されたネ。その結界の要石をあの人面犬と透明人間が壊してまわっているアルヨ」

「なに?」


 偲が動きを止めた。すると凛が、ひょいと偲の手からカップを奪い、勝手に飲み始める。


「早く青波の家に連絡した方がいいアルヨ。今ならまだ直せるネ。でもそんなことは些末アルヨ。私、灯台下暗し伝えたアルからネ!」


 珈琲を飲み干した凛は、そういうとスッと宙に溶けるようにして消えていった。

 偲はその消えた方向を、暫くの間思案するように見ていた。

 時生が傍らに歩みより、新しい珈琲を用意しながら問う。


「大丈夫ですか?」

「ああ」

「難しい顔をしているけど、その……どうかしましたか?」

「――いや」


 気を取り直したように首を振った偲に、新しく淹れた珈琲を時生は差し出した。





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