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第36話 慰霊祭

 灰野の言葉を忘れないようにしようと思ってから、二日。

 時生は、ビシリと糊のきいたワイシャツを着て、首元のネクタイを締めていた。

 本日は偲が先に出たので、一人で軍本部へと向かう。

 軍服はまだ慣れないが、これもまた新しい自分の居場所の一つだと、それが出来たのだとそう感じ始めていた。これまでの人生において、己が外部で働くという未来を考えたことがなかったので、やれる事があるのも嬉しい。


 本日の慰霊祭は、帝都中央あやかし対策会館で行われると聞いていた。

 馬車の御者には、既に偲が行き先を指示してくれていたので、時生は車窓から街並みを眺めながら、進むに任せた。


 昨日までに学んだこととして、【牛鬼】という危険なあやかしに殺められた軍人や、その遺族のための慰霊祭なのだという。


 馬車から降りた時生が視線を彷徨わせると、近くに結櫻の姿が見えた。茶色いコートを上に着ている結櫻は、時生に気づくと微笑して、手招きをした。本日も右手には指輪が輝いている。


「おはよう、時生くん」

「おはようございます」

「いやぁ、寒いね」


 肩を竦めた結櫻は、それから会館に振り返った。


「さぁ、入ろうか」

「はい」


 時生が頷いたのを確認してから、結櫻が歩き出す。時生はその横顔を見ながら、何気なく尋ねた。


「今日は、【牛鬼】というあやかしの被害者の慰霊祭なんですよね?」

「そうだよ。たとえば、僕の父や祖父のことだね」

「え?」

「結櫻の血筋は、もう僕しか残っていない。【牛鬼】にみんな殺されちゃってね」


 結櫻の声は明るく、なんでもない世間話のような調子だったが、時生は顔を強ばらせた。


「ご、ごめんなさい……」

「どうして謝るの? あやかし対策部隊に所属していたら、殉職することなんて珍しくはないよ。気にしないで」

「……でも」

「うん?」

「……僕は、母が亡くなった時、とても悲しかったから、こんな風に聞いてよかったことだとは思いません。結櫻さんのことを何も知らないで、こんな風に聞いてしまったの……その……謝りたくて」

「ふぅん。優しいのはいいことだけど、それは時生くんの自己満足だ。謝って君の気が楽になるならそれはそれでいいのかもしれないけどね」


 結櫻の口調はいつもの通り優しげなままだったが、厳しい一言に時生の胸が苦しくなった。するとそれを見ていた結櫻がクスクスと笑った。


「ごめんごめん、ちょっと虐めすぎちゃったね。本当に気にしていないだけだから」


 結櫻はそういうと、時生の頭をポンポンと叩いて会館の中へと入っていった。

 時生もその後を追うと、玄関を抜けてすぐの広間に、深珠駐屯地あやかし対策部隊の人々が集まっていた。


「連れてきたよ」

「ああ、悪いな。迎えに行ってもらって」


 偲が結櫻にそう返したのを聞いて、待っていてくれたのだと時生は気づいた。


「僕が行くと言ったんだからいいんだよ」


 結櫻が振り返り、にこやかに時生へと笑みを向けた。優しい人なのだなと、時生は考えた。


 その後一同を相樂がまとめてから、改めて会館の庭へと移動することになった。

 そこには縄がつけられた、巨大な黒い石があった。

 墓石のようで、表面には多くの名が刻まれている。それを見ていると、偲がぽつりと言った。


「あそこには、殉職した者の名が追加されていく。今後、そのような事が無いように、必ず【牛鬼】は捕まえなければならないあやかしだ」


 偲の説明に、その隣にいた青波が言う。


「あやかしというより、最早災害だな。意思と知能がある災害だ。厄介だよな」


 それを時生が聞き終えた時、『静粛に』という声が響いてきた。

 巨石の前に用意されている壇上に、一人の壮年の軍人が上がっていく。いくつもの勲章をつけている。そこから少し離れた位置に、司会らしき軍人が立っていた。


「これより礼瀬中将から、全軍人を代表し追悼の――」


 そこに立つ白髪の軍人の名に、どうやら偲の父であるらしいと時生は考えた。

 始まった挨拶は、とてももの悲しい出だしだった。

 それが変化したのは、礼瀬中将の声に怒気のようなものが宿った時のことである。


「【牛鬼】の討伐は、我々全あやかし対策部隊の悲願である。今代においてこそ、古より連綿と人に害なす【牛鬼】を、必ずや討伐しなければならない。この墓標に誓い、先達の死を決して無駄にしないように」


 時生は身震いした。会場中に緊張感が溢れている。

 嘗て偲は、討伐はあまりないと話していた。だがこの【牛鬼】に限ってかもしれないが、ここにいる多くの者が闘志を抱いているのが、はっきりと伝わってきた。


 ――果たして自分が【牛鬼】と対峙した時、己には何か行動を起こすことが出来るのだろうか?


 時生は自問自答してみたが、答えを出せなかった。それは自分に力が無いからではない。善悪の判別がまだつかないからだ。けれど結櫻の家族を害したというのならば、それは憎むべき相手だとは思う。たとえば澪が害されそうになったらと考えた場合でも、絶対的に対処したい。


 だが先程青波が、『意思と知能がある災害』と述べた言葉が妙に気になっていた。

 なんの思惑もなく、その【牛鬼】という存在は、行動しているのだろうかと、小さく首を傾げる。


 まだまだ分からないことだらけだ。理解する事を含めて、できる事を一つずつやっていき、前に進みたいと時生は考える。


 このようにして慰霊祭の時間は流れていった。





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