その時、窓から向かって右手の偲が消えた方角ではなく、逆側の左側の扉が開いた。
「ああ、右が隊長と副隊長二人の執務室で、左がその他の隊員の職場だよ。本部対策室」
湯飲みを片手に結櫻が説明してくれた時、入ってきた青年が虚を突かれた顔をした。灰青色の不思議な髪色をしていて、眼の色も蒼い。異国の色彩なのだろうかと考える。長身で、偲よりも背が高く、鼻から下が隠れる黒い布マスクをしていた。そのほかは普通の軍服姿で、それは時生とも結櫻とも変わらない。覗く目元の彫りの深さは印象的だった。
「
「……そうですか」
切れ長の目で時生を一瞥してから、結櫻に顔を戻した灰野は、手にしていた黒い表紙の紐で綴られた書類を結櫻に差し出した。
「……慰霊祭の出席者名簿です」
「ああ、ありがとう。確認しておくね」
灰野はそれに小さく頷くと、左手の部屋へと戻っていった。寡黙だという印象を与える。
「無愛想だけど、良い奴だからね? 灰野
つらつらと語る結櫻を見て、時生は首を傾げる。
「他の場所にも、あやかし対策部隊があるんですか?」
「うん。この深珠区の他にも、帝都には四カ所あるよ。丁度五芒星の形になるように、帝都に結界を張っているというのもある。有事の際には勿論協力することも多いから、徐々にそういう部分も覚えるといいかもね」
結櫻はそう言うと、湯飲みを傾ける。
「灰野は、うちのいわば新人で、時生くんの前に入隊したんだ。時生くんって何歳?」
「二十歳です」
「お、じゃあ歳も灰野と同じだから、新人同士仲良く出来るといいね。ある種の同期だし。同期って何かと縁が続くものだから」
学校に行ったことのない時生には、〝同期〟という言葉に馴染みがなかった。
「僕と青波と偲は、同期いというより、最早腐れ縁みたいなものだけどね」
「そうなんですか」
「うん。昔はこの部隊の隊長が、偲のお父さんの礼瀬中将だったから、偲のことは僕も青波も名前で呼んでるけど、いやぁ……鬼の礼瀬准将と呼ばれるようになった偲を名前で呼んでるのなんて今じゃ僕と青波と現隊長の相樂さんくらい」
楽しそうな結櫻の声。語られるその一つ一つが新鮮で、時生は頷きながら耳を傾ける。
左手の扉が再び開いたのは、その時のことだった。出てきたのは青波だった。
「よぉ。お、時生くんだ。そうか、もうそんな時間だな。今日からよろしくな」
笑顔になった青波を見て、慌てて時生は頭を下げる。青波は、それから右手の執務室の扉を見て、そちらへ向かう。
「会議だよ、俺は。嫌になるなぁ。時生くんも早く出世して、俺の代わりに出てくれ。期待してるぞ」
そう言って喉で笑ってから青波は、先程偲が入っていたのと同じ扉へと消えた。
すると続いて、青波が開けたままだった左手の扉から、セミロングの黒髪を隙なく切りそろえた女性が一人出てきた。女性にしては背が高く、しなやかな体躯をしている。
「待て、
「間に合わなくなるわ。話ならば後にして」
追いかけて出てきた眼鏡の軍人に、とりつくし間もない様子でぴしゃりと言い切り、黎千と呼ばれた女性は、こちらは長椅子の後ろを通り抜けて、窓から見て正面の扉から出て行った。彼女に対して眉間に皺を寄せ、長髪を後ろで結んでいる眼鏡の青年が追いかけようとし、ふと時生の姿に気づいたように足を止めた。
「結櫻大尉。そちらは?」
「今日から軍属になった、高圓寺時生少尉だよ」
「ああ、そういえばそのような話がありましたね。宜しくお願いします。私は、
「よ、宜しくお願いします!」
時生が勢いよく頭を下げると、眼鏡の奥の瞳を優しくし、山辺が頷いた。
「結櫻大尉。透明人間による痴漢行為の通報があったので、黎千中尉と私で現場に急行します」
「そう。頑張ってね」
「……結櫻大尉もたまには働いてください」
「僕は僕なりにお茶を淹れながら、客人の応対と電話番という大役をこなしているけれどね。はいはい、それこそ黎千が言う通り間に合わなくなるよ、行ってらっしゃい」
にこやかな結櫻の声に辟易した顔をしてから、山辺は眼鏡の位置を直して出て行った。
「時生くん。ここはね、統括は相樂隊長がしてるんだけど二班体制で、その下に礼瀬班と青波班がある。実働する時は、どちらかの班に分かれて動くことが多いし、人手がいる時は、相樂隊長指揮のもと、全員で出るんだ。それ以外の、本部での事務処理とか書類仕事の管理が僕の仕事。連絡とか調整とかね」
結櫻はそう言うと、右手の薬指に嵌めている銀色の細い指輪を一瞥した。
何気なく時生もそれを見る。
繊細な銀細工の指輪で、五色の小さな宝石が煌めいていた。
他にも結櫻はピアスをつけている。シンプルな小さい品だから、よく見なければ気づけないほどだ。
「時生くん。そろそろ十時だから、隊長に偲が紹介する時間だったはずだよ。あちらの執務室に行くといいよ」
「は、はい!」
結櫻に促されて時生は立ち上がった。