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第30話 打診

 時生の生活は、静子が加わってからも、改めて元に戻ったような感覚だった。

 澪を小春が寝かしつけている時間、本日も渉の手伝いをし、鴻大が持ってくる酒瓶を運ぶため、勝手口に立った。


「お、時生さん。最近見なかったが」


 鴻大の声に、時生は微笑する。

 こうして顔見知りの人々が増えていくのも、気にかけてもらえる事も嬉しいと感じていた。


「ちょっとお休みしていたんです」


 そう答えた時生は、何気なく鴻大の腰の布を見て、以前は白い波線だった模様が、今は花のような模様に変化していることに気がついた。同じ品に見えるが、やはり服を着替えるように取り替えるのだろうかと考える。


 その後荷運びを終えたので、お昼寝から澪が起きるまでは控えの間で、真奈美や渉とお茶を飲むことになった。長閑だなと考えながら、何気なく時生は窓から外を見る。もうすっかり冬だ。初雪が降るのも、もうすぐだろう。


 午後、澪が起きてからは、本日は算学の勉強をした。

 簡単な足し算のやり方を教えていたのだが、澪は苦戦している。悔しそうな顔をするものだから、思わず頭を撫でてしまった。


 夕食の席で、悔しかった記憶を澪が偲に自己申告した。


「どうして足し算なんて世界に存在するんだ!」

「澪、世界には、無駄なものはないんだ。個々人で無価値と決める自由はあるが、それは誰かにとってはとても大切なものかもしれないんだぞ?」

「……難しくてわからない!」

「いつか分かる日が来る」


 優しくそう語ってから、偲はふと思い出したように時生を見た。


「そうだ、時生。食事を終えたあと、少し俺の部屋へ来てくれないか?」

「はい」


 頷いた時生は、なんだろうかと首を傾げた。

 肉じゃがを食べながら、心当たりがなかったから、澪についての話だろうかと考える。

 偲にこのように呼び出されたことは、記憶に無かった。


 こうして食後、時生は偲に連れられて、偲の書斎へと向かった。

 壁際には背の低い本棚が並んでいて、その上にはウイスキーの瓶が並んでいる。

 窓辺の執務机を一瞥していると、扉のすぐ正面にある応接用の長椅子を偲が指し示した。


「座ってくれ」

「は、はい」


 おずおずと頷き時生が座ると、テーブルを挟んで対面する席に偲が腰を下ろした。


「時生。話す時期を考えていたのだが、時生には、破魔の技倆がある」

「……はい」


 まだ実感は沸かなかったが、そうであるようだというのは、時生にも分かっていた。


「破魔の技倆を持つ者は、適切な訓練を行うことになっているんだ。行わなければ、半端に力が顕現したままとなり、時には生活が困難になることもある。力ある者には、あやかしが寄ってくるからだ。また訓練をしたからといって、必ずそれをあやかし討伐にいかさなければならないというわけでは――……基本的には、ない。勿論完全に自由意志とはいかないし、求められることにはなる。それは否定は出来ない。特に四将の家の血を引く者は」


 つらつらと話ながら、偲は卓上にあった湯飲みを二つひっくり返すと、持参した急須から温かいお茶を注いだ。そして一つを時生の前に置く。


「その訓練に一番適しているのは、なにより帝国陸軍あやかし対策部隊の本部となる。専門の訓練施設を備えているからだ。俺は、時生自身のためにも、そちらで訓練した方がよいと考えている」


 もう一方の湯飲みに手を伸ばし、偲は述べ終えてから、一口緑茶を飲み込む。


「またそれだけではなく、時生には語学の才能があるだろう? 部隊では、まだまだ異国の言葉が分かる者は少ない。手伝いをしてくれる者を探しているのだが、何分あやかし対策部隊は畏怖されてもいる。よって、一定の理解がある、力がある者が望ましい。そこで、時生に手伝ってもらえたらと考えているんだ」


 それを聞いて時生は目を丸くした。


「僕に出来ることがあるなら、お手伝いしたいです。それに……僕も、次に例えば、澪様になにかあった時だって、自分になにかが起こった時だって、自分で可能なかぎり対処出来るようになりたいから……訓練を、させて頂けるならありがたいです」


 時生の返事を聞くと、偲が優しい目をして笑った。


「よかった。まずは、週に二度程度、軍本部に来て欲しい」

「分かりました」

「それと……家でも澪には、特に重点的に英語を教えてやって欲しいんだ」

「頑張ります」

「ありがとう」


 偲の声を聞き、自分の事を考えてくれたことも嬉しかったが、頼りにされたようで時生の胸が嬉しさで温かくなった。





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