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第21話 熱と悪夢


 無事に帰宅し、玄関の扉を偲が開ける。

 先に中に入った二人に続こうとした瞬間、時生の視界が歪んだ。


「っ」


 突然目眩に襲われたかと思った時には、視界に映る景色が変わっていた。

 高い耳鳴りがする。


「時生!」


 慌てたように偲が自分を抱き留めていると分かる。時生は、そのまま意識を手放した。

 次に目を覚ますと、周囲は暗かった。

 布団の上に寝ていて、頭に濡れた布がのせられていた。


「目が覚めたか?」


 偲の心配そうな声に、何度か瞬きをしてから、時生が視線を向ける。


「恐らくは、初めて力が顕現した事から、体に負担がかかったんだ。今、時生は酷い熱だ。目が覚めてよかった」


 当たりは薄暗い。

 時生は小さく頷き、そのまま再び眠ってしまった。


 ようやく熱が下がったのは、三日後のことだった。時生は起き上がり、この日は最初に湯を借りた。熱いお湯に浸かりながら、先日の死神の件が、夢では無かったのだなとぼんやり考える。お湯から右手を持ち上げてみてみる。なんの変化もない掌だが、確かにあの時は熱くなり、青い炎を放つことができた。


「破魔の技倆……僕に、そんな力が……?」


 これまで、無能と呼ばれて蔑まれ生きてきた。

 突然そのように聞いても、全く実感はない。

 湯から上がり、着替えて外に出ると、偲が歩いてくるところだった。時生の姿に気づいた偲が、ほっとしたように息を吐く。


「よかった」

「え?」

「長湯だったものだから、まだ本調子ではないだろうし倒れているのではないかと心配した」


 時生は苦笑する。偲はとても優しい。少し心配性なほどだと感じるが、これが普通なのか時生には分からない。この邸宅に来るまでの冷ややかな人々との温度の乖離に、まだ順応できないような感覚だ。


「食事は運ばせるから、今日一日は休むように」

「ありがとうございます。ぼ、僕、もう大丈夫です」

「もっと自分を大事にするように」


 偲はそう言うと、時生に歩みより、その頭をポンポンと二度、叩くように撫でた。


 それから時生は部屋へと戻った。

 するとすぐに、真奈美がお膳を運んできてくれた。久しぶりのきちんとした固形物の食事に、箸がとても進む。


「時生さん、大変だったんですって?」

「あ、はい……でも、もう平気で……」

「そう? 無理はしないでね? あとでまた、様子を見に来ますからね! でも元気になったなら、本当によかった」


 にこやかにそう言って、真奈美が出て行く。彼女が回復を喜んでくれたことも、時生は嬉しかった。


 食後は大人しく体を休めることにし、布団に横たわる。

 すると意識はあるのに、瞼の裏に夢が広がるという、不思議な状態になった。

 自分が寝ているのは分かる。だから、この風景は夢だ。


 夢の中で、時生は洋館の大広間にいた。正面の階段から吹き抜けの二階と三階までに、銀縁に紺色の絨毯が敷かれていて、床自体は白い大理石だ。天井からはシャンデリアがつり下がり、入り口のそばにはシャンパンタワーがある。


 白い布がかけられた丸いテーブルが各所にあり、そこには料理や果物、他の飲み物などが並んでいる。


 その場に時生は、気づくと立っていた。

 これは夢であるはずなのに。

 立ってその場で、夢を体験していた。


 正面にはリボンをつけた長いくせ毛の女の子と、銀髪の糸目の青年がいる。二人とも時生と同年代だ。そして、時生の隣には、左手のテーブルの赤ワインのグラスに手を伸ばそうとしている、不機嫌そうな裕介がいる。久しぶりに目にする異母兄の姿に、夢だというのに、時生は怯えて萎縮する。おろおろと見守っていると、グラスを手にした裕介が、それを呷った。


 直後、それを裕介が吐き出した。パリンとグラスが割れる音がする。

 両手で喉をかきむしっている裕介は、また赤い液体を口から吐いた。

 いいや、それは紅色で、次第に黒も混じった。ワインではない。

 ――血だ。

 時生がそう気づいて目を見開いた時、ガクリと裕介の体が傾き、床に頽れてぶつかった。唖然としていると、会場に一拍の間静寂が訪れ、直後悲鳴が溢れかえった。


「!」


 そこで時生は目を覚ました。既に翌日のようだった。全身にびっしりと汗をかいていて、鳥肌が立っている。

 思わず右手で口を覆った。

 あまりにもリアルな異母兄の死ぬ夢に、心臓が早鐘を打つ。


「夢……」


 酷い夢だった。気分が悪くなり、時生は青ざめる。上半身を起こして、俯きながら、布団を両手でギュッと握った。


 具合が悪いから、不穏な夢を見たのかもしれない。

 もう少し、休んだ方が良いのかもしれない。


 そう考えて気分を落ち着けてから、時生は飲み物で喉を癒やすことに決める。部屋を出て、台所へと向かいながら、本当は一人でいたくないだけだという自分の気持ちを理解していた。


 その後、時生は炊事をしていた小春の後ろでテーブルに座り、オレンジジュースを飲んだ。元気になってよかったねと言われているうちに、夢の事は忘れる事が出来たのだった。




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