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第7話 荷運び

 食後、時生は、小春にそっと肩を叩かれた。


「時生さんや」

「はい!」

「午後は、澪様のお昼寝の時間でのう。私が見ておるから、時生さんは少し休んでな」

「えっ、で、でも、僕はお世話を――」

「そんな、つきっきりでは疲れてしまうだろうに。いいんだよ。ゆったり、ゆったり」


 目尻の皺を深くして、小春が優しい声を放つ。このような対応を受けたことはなく、常に働かされるか罰を受けていた時生は、胸をギュッと掴まれたような、切ない気持ちになった。


 見れば真奈美も渉も頷いている。礼瀬家の人々はなんて温かいのだろうかと、涙腺が緩みそうになった。


「……はい」

「うんうん」


 頷いてから、小春が澪を見た。


「ほれ、澪坊っちゃん。行きますぞ」

「はーい。絵本、読んでくれるだろ?」

「そうしましょうかね」


 こうして澪と手を繋ぎ、小春が出て行った。見送っていると、真奈美がお皿を下げ始めたので、慌てて時生はそちらを見る。


「手伝いましょうか?」

「あら? いいのよ。これは私の仕事なんだから。その分、きちんとお給金を頂いていますからね。あ、勿論お休み時間も貰っているのよ?」


 楽しげに笑った真奈美の声に、おずおずと時生は頷く。

 すると渉が、時生を見た。


「今から八百屋兼万屋の鴻大こうだいさんが食料を持ってきてくれるから、台所に運ぶのを手伝ってくれないか?」

「こらぁ! 渉!」

「なんだよ? 俺一人じゃ重いんだよ、アレ。大体、俺は書生なんだぞ? 荷運びをするの、おかしいだろ!」


 真奈美と渉のやりとりに、慌てて時生は声を挟む。


「やらせて下さい。ぼ、僕、僕でよければ!」


 すると二人が顔を見合わせた。そしてどちらともなく笑顔になった。


「優しいのね、時生さんは」

「それでこその男だよな? うんうん。行くぞー!」


 こうして渉と共に、時生は勝手口へと向かった。台所脇の小さな戸の前に立って少し死すると、大きなノックの音が響いてきた。


「お、来たみたいだな。はーい!」


 渉が声をかけると、扉を開く。そこには、長身で大柄の、二十代後半くらいの青年が立っていた。腰から下にかけて紺色の布を巻いていて、そこには白字で、『鴻大屋』と書かれている。白く小さな波線のような記号が、その横に描かれている。黒い短髪をしており、目の形は少々つり目の大きな瞳をしている。渉を見て笑ってから、鴻大は時生をまじまじと見た。


「ん? 新顔だな。こちらは?」

「今日から入った、時生さんだ」

「そうか。宜しくお願いします。俺は、鴻大あきらと言って、この礼瀬様のお宅に、食料や酒を卸してる八百屋兼万屋だ」


 精悍な顔立ちの鴻大は、そう言ってから楽しそうに笑い、背後に振り返る。


「よし、じゃあ、運んできます。渉くんは、荷下ろしを手伝ってくれ」

「分かってるよ。じゃ、俺はここまで運ぶから、時生さんは、そこの棚とか台とかに上げていってくれ。細かい分類は真奈美がやるから、適当でいいからな!」

「はい!」


 こうして時生は、野菜や酒を、勝手口の前から、そばの台所の棚などへ運ぶ手伝いをした。細い体で力が元々あまりないのだが、必死で運んでいく。すぐに玉のような汗が浮かんできたが、お世話になっているお返しを少しでもしたいという想いから、必死に頑張った。それに高圓寺家でも、重い荷物を運ばせられることは何度もあった。時に取り落とせば、折檻を受けることも珍しくはなかったので、細心の注意を払って運んだ。


 三十分ほどして、全てを運び終えると、鴻大が帰っていった。

 それを見送ってから、渉が時生の運んだ品々を見る。


「適当でいいって言ったのに、完璧に分類してる……! 時生さん、すごいな!」

「そ、そうかな? そんな事はないと思うけど……」


 そこへ真奈美がやってきた。


「あら! 整理整頓までしてくれたの? 本当に助かる。渉にはこんな気の回し方は出来ないものね。時生さん、ありがとう!」

「うん。俺には無理」

「貴方はもうちょっと気を遣いなさいよ」


 二人にそのように賞賛されて、時生は困惑しつつも、役に立ったようだと嬉しくなった。ホッとしながら小さく笑うと、二人が時生を見る。


「丁度お茶の時間だし、一緒に休みましょうか。お饅頭があるのよ」

「お、いいな、真奈美! ほら、行きましょう、時生さん!」

「は、はい!」


 このように、三人で使用人が主に休憩で使う和室へと向かい、畳の上に座って、緑茶の入る湯飲みを前にしながら、饅頭を味わったのだった。






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