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第12話 残んの月


 帰り道では、誌公帽子は身につけなかった。皆、寝静まっていたからだ。

 既に明け方だ。

 柊太郎に見送られて江戸屋敷を出てから、伊八と並んで椋之助は、ゆっくりと歩く。すると何度かちらちらと伊八が椋之助を見た。


「なんです?」

「いや……世が世ならお前が若様だったのかと思ってな。もしもそうだったら、俺は今頃打ち首者だな」

「もしもはないんですよ。きっと私が若様であったとしても、出奔して長崎へと行ったことでしょうから、時景様が呼び戻されていたでしょう」


 喉で笑った椋之助は、それから伊八を見た。


「私こそ聞きたい事があったんです。あのように手際よく武士を倒せただなんて、一体貴方はどういう出自なんですか?」

「ああ、それは――……そうだな。その件でも、俺は納得した」


 一人頷いてから、伊八が空を見上げた。そこには、月がまだ残っている。


「俺は元々、斗北藩に仕える忍びの長老衆の一人である義六ぎろく様に育てられた孤児なんだ。自分が斗北の者かどうかも、俺は知らない。物心ついた時には、義六様に育てられていて、必要があれば、各地を転々とした。義六様は、屋台をしていて料理人に扮していた。俺はそこで料理を習ったんだ。同時に、忍びの技術も」

「忍び……」

「そして義六様が直接的にお仕えしていたのがご家老で、今回は、ご家老のご家族の護衛を内々にすると聞いていたんだ。なにせご家老様のご家族だ。さぞや危険もあるのだろうと思っていたら、暇そうなお前のおもりだと知って、最初は憤慨もした。まぁ……今は、少しは腕がいいらしいとは思う。多少は忙しそうだからな」


 言葉の最後の方では、伊八は顔を背けてしまった。なんだかんだで認められているようだと感じ、素直ではないなと思って、椋之助は苦笑を零す。


「納得した。ご家老のご家族ではあるが……若様のご兄弟だものな。護衛は必要だ」

「昨年は護衛などいませんでしたが?」

「いただろ……お金様といえば、凄腕のくノ一だ。斗北の忍びの中では三本指に入ると言われているぞ? お金様も長老衆の一人だ」

「え……?」


 人の良さそうなお金の顔を思い出し、椋之助は呆気にとられた。


「それにしても、明六ツまでまだ時間があるな」


 明六ツは木戸の開く時間だ。伊八の声に、椋之助が気を取り直して頷く。


「少し歩くとしましょうか。川でも見ながら」

「ああ、そうするか」


 こうして二人は歩きはじめた。


「そうだ、妙後日、縫が顔を出すと、兄上が言っていましたね。なんでも伊八の料理を食べたがっているんだとか」

「ああ、仰っていたな」

「何を作るんですか?」

「いつも通りではまずいのか? 少し甚吉から豆腐を多く買う程度で」

「ええ、構いませんが、狙っているなら良いところを見せた方が良いのでは? 貴方の取り柄は見目と料理の腕前のみでしょう? まさか忍術を縫の前で披露するわけにはいかないでしょうし」

「なんの話だ。だから別に俺は……!」


 そんなやりとりは、今まで通りの実に何気ない雑談であった。お互いの素性が知れても、二人の関係性に、特に変化は無い。寧ろ、より幾ばくか打ち解けただけの結果となった。本来、身分の上でこれは是といえる状態ではないのだろう。だが、性格もしている事もてんでばらばらではあるし、正反対の二人であるが、なんとなく馬が合うようだ。


 空に溶けていく残んの月の下、陽光が顔を出すのを間近に、二人は朝に向かって歩き出す。

 こうして二人の新しい一日が始まった。






 ―― 第一章・終 ――



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