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No.6 第2話『他の種を見つけた彼は』- 2



コウくんは、昔から教科書や筆記用具は持って帰らなかった。

いつも机の中やロッカーに敷き詰めてノートなんかは絶対にとらない。


だから忘れ物をすることもないし、授業中に開くこともないからもともと用意する必要がない。

けど一度だけ、コウくんから教科書を貸せと言われた時があった。


「さっさと渡せよ」

「で、でも、私の分が…」

「あ?口答えすんのか?」

「ごめ、なさ…」


小学2年生の、転校したての時だった。


まだ本もノートも新品で一度も使ったことがない状態。

それをコウくんが忘れたからという理由で私の後ろから奪っていく。


お陰で私は授業をしている間ずっと何も出来ずに俯いていた。

授業が終わり、担任の先生が私の隣を何も言わずに通り過ぎていく。


机の上に何も出さない私を先生は叱りもしなかった。

教科書を忘れたのかどうかも一切聞こうとはしなかった。


ただただ存在しないように振る舞われる。

それがとてつもなく悲しくて…苦しかった。


転校当日の、コウくんが私へ初めて暴力を振るったあの日は、みんなが止めに入ってくれていた。

けれどあの日を境に、何故か誰一人私と関わろうとはしてくれなくなった。


それはコウくんに恐怖心を抱いて見て見ぬふりをしているからのか、はっきりとしたことはわからない。

ただ今になって思うことは、さっき言ったことが原因で避けられたわけじゃないんじゃないかということ。


原因はもっと単純で、最も認めたくない自分自身のことだと思う。

私の噂をどこかから聞いて、関わりたくなくなったのかもしれない。


「……!」


後ろから突然きたガンッという衝撃にビクッと体を震わせる。

私がゆっくりと後ろへ振り返るよりも早く、コウくんが私の顔に向かって教科書を投げつけてきた。


「痛ッ…」

「さんきゅー。お礼に名前書いといてやったよバーカ」


ニヤッと笑いながら机の下から椅子を蹴られる。

その衝撃でバランスを崩し、私の体は椅子ごと倒れ込んだ。


ガタンという大きな音と共に、辛うじてキャッチしていた教科書やノート、筆記用具も床へ散らばっていく。

コロコロと転がり続ける鉛筆よりも、真正面へ落ちた教科書とノートの方に視線が釘付けになった。


『ぶす見 雪乃』『蓮見 ばか乃』


乱暴に、マジックで殴り書きされていた文字。

まだ小学2年生では習わないはずの漢字。


あまり勉強が得意じゃないコウくんが、私の名前を書くために一生懸命覚えてくれていた。


「う゛ぅ…ッ」


私の名前を…覚えててくれたんだ。知っててくれたんだ。


「うわっ、泣き始めやがった。うぜー」


コウくんだけが、私を見ててくれてるんだ。

コウくんだけが、私に話しかけてくれてるんだ。


「さっさと起きろよ。邪魔」

「うっ…ごめ、ね」


嬉しかった。

どんな理由でも、必要とされてることが嬉しかった。


「次、図工かよ。ハサミねェし」

「は、ハサミ…ある、よ…?」

「は?俺が作るわけねェだろ。お前が俺の分までやれよな」

「ッ、うん…」


例え利用されてたとしても、すごくすごく嬉しかった。


だってコウくんがいなかったら、私は存在してなかったんだから。

このクラスに、この世界に、存在させてもらえなかったんだから。


あの時嬉しかった記憶を何度も噛みしめたくて、貸せと言われなくても自分から何かを手渡すようになった。

コウくんが教科書を忘れたわけでもないのに、必要としているわけでもないのに、全部私の自己満足だ。


高校生になった今でも、転校は何度しても慣れない。

前の高校でイジメられていたこともあって少し不安もある。


だから、無性にコウくんに会いたくなった。

遠く離れてるコウくんのクラスへ化学の教科書を持って走る。


いらないって拒否されたらどうしよう。

私がいないように無視されたらどうしよう。


そんな不安に駆られていた私を落ち着かせるかのように、コウくんは私の差し出した教科書を一目だけ見て受け取ってくれた。


何も聞かずに短く返事だけをして、すぐに手だけで帰るように合図を送ってくる。

一度その場を離れはしたけど、まだコウくんの側にいたかった。


もっと話したかった。もっと触れたかった。もっともっと…


「壊されたかった」


廊下で立ち止まって呟いた一言に自分で目を見開いて驚く。


今、自分は何を言ったんだろう。

手を口に当てて、ぼーっとしながらコウくんの教室を振り返った。


調度曲がり角の壁が死角になっていて、そこに手を付きながら体を預ける。

その時、綺麗な女の子が教室から出てきたコウくんとぶつかった。


胸倉を掴んで、コウくんが女の子を廊下へと叩き落とす。

その光景を見た瞬間、一瞬で自分の顔が真っ青になった。


一刻も早く止めに入らないと、あの女の子がどうなるかわからない。

そう思って駆け付けようとしたのに、女の子の様子がおかしくて自分の足が止まった。


「笑って、る…?」


私と同じように、コウくんも少し驚いてるように見えた。

その瞬間、何故かとてつもなく嫌な予感がした。


『あ、あの…付き合って、くれます、か?』

『次の玩具が見つかるまでな』


保健室でそう返事をしたコウくんの言葉を思い出す。


もしかしたら、次の玩具が見つかってしまうかもしれない。

もしかしたら、あの子が…そんな不安が現実になる出来事が起こった。


女の子が楽しそうに笑いながら、コウくんの後をついていく。

気付かないうちに私の足も2人の後を追って前へ進んでいた。


「わ!これするの好きなの?」

「今すぐ笑えなくしてやるよ」


自販機の前でコウくんは突然行動を起こした。

女の子の胸倉を掴んで壁へ叩きつけて、嬉しそうに笑う。


嬉しそうに、楽しそうに…笑う。

そんな姿を見ていたくなくて思わず目をぐっと瞑った。


けれどすぐに目を開いて、現実を直視するために2人の様子を再度確認する。


「さっさと笑えよ。ほら」

「うっ…ぐ、う!」


左手で掴んで彼女の首を握り締めるコウくんの姿。

苦しそうに声をあげる女の子を見つめて、まるで新しい玩具を見つけた時みたいに喜んでいた。


いやだ…そんなの、嫌だ…!


「コウ、くん…!」

「……なんだ、お前か」


初めての痛みに気絶した女の子がコウくんの手から滑り落ちて廊下へ横たわる。

急いで彼女の元に駆け寄って大丈夫かどうかを確認した。


思った通り気絶しているだけで、すぐに目を覚ます程度のものだった。


「コウくん!こんなことしちゃダメだよ!」

「は?お前に関係ないだろ」


横からガチャンと音が響いてそちらに目を向ければ、コウくんが自販機からジュースを取り出している。

その背中に向けて出来るだけ大きな声で叫んだ。


「この子は!こんなこと望んでない!!」

「望んでない、ね…」


そう答えた背中を向けてるはずのコウくんが、笑ってるように見えた。


ブシュッと音を響かせた後ゴクゴクと喉にコーラを通していく。

一気に飲み終えた缶を片手で潰しながら、コウくんは私の方へ振り返った。


「美咲が望んだら?」

「え…?」

「美咲が望んだら、お前どうすんの?」


コウくんが楽しそうに笑いながら、私と美咲という女の子の方へ近づいてくる。


もう、この時点で気が付いていた。

コウくんが彼女の名前を口にした、この時から…


『ぶす見 雪乃』『蓮見 ばか乃』


そうやって名前を覚えてくれていた昔のコウくんが、私の頭に蘇ってくる。


ねえ、コウくん。コウくんは人の名前を覚えるのが苦手だったよね。

ううん、元々人の名前なんて覚えようとさえしてなかった。


だから、私の時は覚えてくれててすごく嬉しかったんだ。


下の名前で呼んでくれなくてもお前って呼ばれても、心の中では雪乃って呼んでくれてるのかなって思うと嬉しかったんだ。


その握り潰した空き缶をぶつける相手は、いつもなら私。

でもコウくんは…


「なあ、どうすんの?」


カンッと、気絶している美咲さんの顔へ缶をぶつけた。


当たった拍子に飛んだコーラが、美咲さんの制服に染みを広げていく。

その光景を見ていられなくなって、またぐっと強く目を瞑った。


今度はすぐに目を開けることが出来なくて、真っ暗な視界の中で耳だけに意識が集中する。

彼の発する言葉を聞きたくなくて、必死で両耳を手で覆った。


聞きたくない。言わないで。もうそれ以上言わないで。

そう何度も何度も心の中で願ったのに、彼の手は私の両手首を掴んで耳から引き離す。


耳の圧迫感がなくなったことで、咄嗟に目を開けてしまい相手の顔を見上げる形になった。

涙で視界が歪む中、上から私を見下ろしている彼の口がゆっくりと動く。


「お前、用済みかもな」

「…ふ、ううッ」


いつもとは違う優しく握られている両手首が、何故かとてつもなく痛みを感じた。

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