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踏切、桜の舞う頃に。 ~転生おもらし幼女は友達を作りたいようです~


 踏切、かんかんとけたたましくなっている。

 線路の真ん中、人影。

 降りる遮断桿。その男はもう戻れない。

 ――やけになって男は笑う。俺に相応しい末路なのだと。

 けたたましい警笛。電車は急には止まれない。

 非常ブレーキをかけて――悲鳴のような音が鳴り響き――。


「あぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁ――――…………?」


 その金切り声が自分のものだと知ったのは数秒後のことだった。

 荒い呼吸を繰り返す。ちゅんちゅんと外から雀の鳴く声がする。

 なんだったんだろう、いまの悪夢は。

 起こした上体をもう一度ベッドの上に押し付けて、息を一つついて、わけもなく手を見て――違和感を覚えたのは、そのときだった。


 小さい。異様に。


 ――「俺」はニートだ。ろくでもないクズニートだ。

 バイトにさえ受からず、働き口もありはしない。親のすねをかじってはありもしない可能性を夢見ている、そんなダメ人間。間違いだらけの末のクズだ。友達などいない。

 無論、男である。もし女の子だったら、と幾度となく夢見た。

 ならば、どうしてこんなにも手が小さい。体が軽い。髪も長く感じ――疑問がわいて止まなくなりそうになる、そんなときだった。


 踏切の音が聞こえた。

 かんかんかんかんとうるさく聞こえてくるそれは、しかし俺の胸を確かに締め付ける。

 ひゅっと息をひそめると、余計にその警報音はうるさく聞こえてきて。

 一つなるたびに、記憶は蘇る。

 ある日。深夜。親から見捨てられ、放逐された夜。

 もう何もかもがどうでもよくなったんだ。「無敵」になってしまったんだ。

 もう誰に迷惑をかけても構わない。

 だから、早く早く早く早く――――死んでしまいたくて。


 そうだ、俺、自殺したんだった。


 さっき見た悪夢はまさしく俯瞰した自分の姿そのもので、ブレーキ音と悲鳴が混じった音がいまでも鼓膜と魂に刻まれていて――。

 そこまで考えて、急に気持ち悪くなる。

 布団から飛び起きて……しかし。

「ひゃっ……あ、ぅっ……おえっ」

 股間にまとわりつく何かのせいでうまく走れず、転んだ拍子にえづいて。

 電車の警笛が、悪夢と重なる。

 ぞくりとする背中。そして、走る電車の音。

 耳をふさいで、床にぺたりとへたりこんで――。

「うわぁぁぁぁん!」

 ――女児アニメのキャラが印刷されたキャミソールの裾から見えるのは、夜の失敗をたくさん吸い込んだ、女の子用の夜用おむつ。かわいいレースの柄が印刷された横から、黄色い液体があふれ出す。

 フローリングに広がる黄色い水たまり。その中心に座り込んでいる幼女こそが、まさに今の俺だった。

 ――幼女に転生してしまった。

 そんな事実を、俺がすぐに受け入れられるはずはなかった。

 すべてを理解した俺は、ただ甲高い声で泣きじゃくることしかできなかったのである。


    *


 バタバタと親がやってきて、床を拭く。

「一体どうしたの?」

「……やなゆめみただけ……」

 うつむいた俺の髪を梳く、母親。……昨日まで同居していた「生前の俺」の母親ではないが、何故か母親と認識している。

 シャワーを浴びた後なので素っ裸の自分に、母親は白い分厚いものをもってきて告げた。

「入学式、長くなるからおむつにしようね。いい?」

「……うん」

 おねしょにおもらしにと重大な失敗をしてしまったばかりなのだ。この仕打ちも当然である。受け入れるしかあるまい。

 ――いや受け入れられるか。どうしてこうなった!

 心の中で毒づいた。どうにか暴れずに自然にふるまってやっているのだから、そのくらいは許してほしい。

 そもそもどうして女児になったんだ。しかも、今日から小学生になるというタイミングの幼女に。なにかの意図を感じてしまう。

 そんな思考を巡らせている間にも、右足、左足と足を上げられ、おむつを穿かせられる。

 幼児用の紙おむつは意外なことにふわふわしていて柔らかくてはき心地がよく、気持ちよく感じた。おむつってもっとゴワゴワしているものかと思っていたけど、これはこれでありかもしれない。

 思わず顔が緩んだ俺に、母親は微笑みかけて。

「次は下着ね。ほら、プリ〇ュアよー。だからばんざいしてね。ばんざーい」

 なんていって、俺の腕を上げてきた。

 ……恥ずかしくてやってられねぇ! もうだめだ!

「や!」

「あ、ちょ」

 そうして俺は母親の腕の中から逃げ出してしまったのだった。


 結局、可愛らしい女児アニメのなりきりインナー――言うなれば幼稚な下着を着せられ。

 数十分後、白いふわふわのワンピースと紺色のボレロを身に纏った、おめかしスタイルの幼女がそこにはいた。

 ダークブラウンの細い髪はピンクの髪飾りでツインテールに括られ、これから小学校に通うにしてはちょっと幼く見えるような容貌を可愛らしく幼く彩っている。

 最後の仕上げにピンクのランドセルを背負えば、これから入学式な幼女の完成である。

 着替えが終わって、連れ出される。

 桜舞う道。徒歩五分。見えてきた大きい建物に、俺は圧倒されつつも同時に懐かしさも覚えた。

 小学校。それも、かつて俺が通っていた小学校である。

 うわばきを履いて校舎内に踏み入ると、母親は言った。

「じゃあね。ここからは一人で行くのよ」

「えっ……?」

 一瞬の困惑。どうやら親がついてきてくれるのはここまでらしい。

「万が一おもらししちゃったら、ランドセルに替えのおむつが二枚入ってるからね。おトイレで替えるのよ」

「…………」

 むっとする俺。

 どうして目の前の女と別れるというただそれだけのことに一抹の不安を抱いているのだろうか。まさか、この短い時間ですでに安心感を覚えてしまって――。

 そんな不安をかき消すように――あるいは答え合わせをするかのように、母は俺の頭を撫でた。

「大丈夫よ。これから小学生のおねえちゃん、なんでしょ?」

「……うん!」

 頭を撫でられただけで不安が見る見るうちに消えていった。

 妙な自信とがわいてきて、もう何も怖くなくなって。

 希望が頭の中を照らしていた。

 走って、転びそうになって、しかし起き上がってまた走り出した俺を、母親は優しく見送っていた。


 先生に案内されて体育館につくと、大量の椅子。

 その一番端の一つに座ると、先に隣に座っていた女の子が「よろしくね」といってきた。俺は「……うん」と一言で返す。

 正直、人付き合いは苦手だ。まず人に自分から話しかけることができない。それに会話を続けることすら至難の業だ。人から避けられ続けていたのもあって、他人に対していいイメージがない。

 ――もしかしたら自分から人を避け続けていたのかもしれないけれども。

「ともだち、できるといいなー」

 そんな誰かの声が聞こえた。

 ――友達なんて、俺の人生には縁がない言葉だ。


 いつの間にか入学式は始まっていた。校長先生のつまらない話をよそに、俺は深く思考する。

 なんで俺は転生したのだろう。

 全くわかりやしない。どうして俺が選ばれたのか――そもそも選ばれたのかどうかすらわからない。

 実は、望んでいたような死後の世界なんてなくて、この転生という現象すら実はありふれたものなのかもしれない。生前の記憶や男としての意思はいつしか淡い記憶になって溶け消えてしまうものなのかもしれない。

「かもしれない」という可能性を考えてもきりがない。もう理由を考えるのはやめてしまったほうがいい気がしてきた。

 そうだ、大事なのはこれからのことだ。これから、どう生きるべきか。

 ……人生は一度きり、というのが大原則だった。なので、それを打ち切りたくて俺は自殺したのだ。

 もう生きていなくて済むと考えるとせいせいした。生きて面倒なことを言われ続けるより、死んだほうが楽だった。夢も希望もない世界で生き続ける方が苦しくて。

 生きていればいいことがある? 耐え続けてれば希望は見えてくる? 馬鹿を言ってんじゃねぇ。いま辛いんだよ。いま助けてくれよ。

 そんな気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

 転生してなんになる。こんな幼女に生まれ変わったって、なにをすればいいってんだよ。

 そう考えた時、ツイッターで見かけたぼやきを思い出した。

「幼女になって人生やり直したい」

 なんで幼女なんだとか、人生をやり直してどうなるんだとか、あの時は好き勝手思っていた。というかいまもわからない。

 ……でも、人生やり直したいのは少しわかったような気がする。

 あの時こうしていれば、あの日に戻れれば。そう思ったことが何度あっただろうか。

 とはいえ、やり直したところで、どうせ今までの人生をもう一度たどることになるのだろう。

 ――本当にそうなのか?

 違う身体で、もう一度人生をやり直せたら……違う選択肢を選べば、いままでの人生をたどらなくて済むのではないか?

 確証はない。けれど――。


 めぐらせた思考がスパゲッティのように絡まってきた頃。

 スカートを掴まれていたことに気付いた。

 なんだ? 鬱陶しさに、スカートをつかむ小さな手の主を見る。

 ――さっきあいさつした隣の席の女の子だった。

 どうやら手が俺のスカートをつかんでいたことに気付いてないほど「なにか」に集中していたようで、俺の視線に気づくと。

「あっ……ごめん」

 一言告げて手を放し、また苦しそうな顔をする。

 ……どうしたのだろう。

 もじもじする女の子。一言、確かに聞こえた声は。

「おしっこ……ちっこ、もれちゃう……」

 それだけで、俺は理解した。彼女はトイレを我慢しているのだ。

 長い、とはいっても普通なら我慢できて然るべき時間。俺が朝穿かされた下着も、あくまで「保険」のはずだ。現にまだ濡らしてはいない。

 だからこそ、彼女も我慢しているのだろう。だが、もう一刻の猶予もないように見えるのは気のせいだろうか。

 ……俺には関係ない。そう決め込んで、もう一度思考に耽ろうとした。けど。

 本当にそれでいいのか?

 俺の中のもう一人の俺が口にした。

 迷い。

 いままでは、誰が漏らそうと尊厳を失おうと、関係なかった。だけど。

 それだと、いままでと変わりはしないだろう。

 果たして前の人生と同じ選択をしていていいのだろうか。

 答えは決まっていた。


「せんせー、トイレいってきます」


 立ち上がって、近くの大人に耳打ちした。

 人と関わりたくなくて一番端に座ったのが功を奏し、抜け出すのは簡単。

 隣の席の女の子の手を握って。

「ほら、いこう?」

「う、うん」

 エスコートする。

 ここは母校。十何年前に卒業したとはいえ、六年間通った場所。故に、トイレの場所くらいは把握している。

 急ぎ足で体育館を抜けると、数メートルの廊下の先に女子トイレが見えた。

「ほら。あともうすこし」

「で、でも……」

「ゆっくり、がんばろ」

 生まれたての小鹿のようにかたかたと足を震わせる少女の手を優しく握り、膀胱の中身が溢れてしまわないように、ゆっくりゆっくりと廊下を進む。

 けれど、時は無情。時間は残酷に過ぎていき。

「も、むり……だめ……」

 入り口に手が届きそうだったのに。

「……ひゃ、ごめん……」

 彼女はへたりこんで。

「ごめん、ね……うぅ……うわぁぁぁぁん……」

 透明な水溜まりが、彼女を中心に広がっていく。

 泣き出した少女。

「…………」

 どうしたらいいのだろう。

 なにもできなくなって、固まってしまう身体。悔しさだけが頭のなかを渦巻き――。


 このままなにもできなければ、きっといままでと同じだ。

 どうすればいい。水溜まりを拭くのが先か、それとも。

 深呼吸して、一瞬の逡巡。微かな尿意。

 きっと、前の俺なら淡々と水溜まりを拭いただろう。コミュニケーションもせず、泣く彼女を放っておいて。

 でも、それじゃあだめだ。

 ――前の結末なんて、二度と味わってなるものか!


「だいじょうぶ、なかないで……っ!」

 俺はワンピースのスカートをガバッとめくった。

「……え、なんで」

 彼女が目を点にしたのは、果たして同い年の少女の奇行によるものか、それとも見えた幼すぎる下着によるものか。

 しかし、彼女は、俺の次の行動に確かに驚愕していたように見えた。

 その行動とは。

「……わたしも、あなたといっしょ、だから」

 しゅいい、と水音が聞こえた。

 自分からは見えないが、彼女からは確かに見えただろう。


 黄色く膨らんでいく、赤ちゃん用の紙おむつが。


 青緑色に染まるお知らせサイン。黄色く彩られ、柔らかく膨らんでいくそれは、まさしく尿意を制御できない赤ん坊のための下着。

「な、なんで……?」

「ほけん。まんがいちのため、だってママがいってた」

 役に立っちゃったね、なんて俺は笑い。

「でも、これできみはひとりじゃない。おもらしなかま。いっしょだから……もう、なかなくていいよ」

 そんなことを口走った。


 泣き声を聞きつけたのか、何人かの先生たちが駆けつけてきて……俺は濡れたおむつのまま、あるものを取りに教室へと向かった。

 歩きにくくて、がに股になってしまったのを見られなくてよかった、と思う。

 たどり着いた教室。ランドセルのなかを漁ると、大きめの巾着袋があって。

 それをもって、もう一度トイレに向かう。


 車椅子のマークが貼られたその大きめの個室。そこでおもらしした少女はしくしくと泣いていた。

 ……さすがに、こんな状況で泣かないでいるほうが難しいだろう。

 けれど、彼女は俺を見ると、安心したように目を細め。

 そんな彼女に、俺は巾着袋の中身を一枚出して渡した。

「これ、あげる」

「なにこれ……おむつ?」

「そ。のーぱんじゃすーすーしちゃうでしょ?」

 赤面する少女の目を見据えて。

「でも、かわりに」

 俺は深呼吸をして、告げた。


「わたしと、ともだちになってくれますか……?」


    *


 入学式後、ホームルームが終わった新小学生を、親は出迎える。

 学校を出ると、桜の咲く歩道。

「ねーねー、ママ。わたしね、おともだちをたすけたんだよ!」

 嬉しそうに話す「わたし」――まあ、俺なのだが。

 それでも、人助けというのは存外気分がよくなるものらしい。いままで一度もそういう殊勝な経験をしたことがなかったが、きっと悪くない経験だったのだろうと思える。

 それに。

「もう、恥ずかしいよぉ!」

「えへへ、ごめんね」

 初めて作った「友達」というもの。初めての会話に、俺の頬はつい緩んでしまっていた。


 ――運命。それがあるのかどうかはわからない。

 二十年も先の、遠い未来。「わたし」という存在がどう成長しているのか。想像したくもない辛いことが待ち受けているのは確かなのだろう。

 されど、未来の枝は幾千にも分岐する。

 もういちど、未来を選びなおす機会を得たのだから、できれば前よりもいい選択肢を選び取りたい。

 そうすればきっと――幸せに、生きられるかもしれないのだから。


 俺の得た悟りに関わらず、世界はきっと回り続ける。

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない!」

 俺の方に振り返った友達。俺は――わたしは、桜のじゅうたんを踏みしめて走り出した。

 そんな少女たちを祝福するかのように、背後、踏切が鳴りだした――。


Fin.


    *


初出:2023/04/01 pixiv・小説家になろう

(2023/05/18 歌詞引用に問題が見られたため修正)


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