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Lonely Slaughterer's Destiny Friend


 目の前の血だまり。叫ぶ青年。

「来るな……来るなヒトゴロ――」

 煩い。

 手元のナイフを軽く振ると、さっきまで青年だったものの首が宙を舞った。

 これで全部か。

 辺りを見渡すと、血の海。

 隠れている人間はもういない――いや、ロッカーに一人。

 震えている。雨に濡れた捨て犬のように震えている少年が一人。

 ――与えられたミッションはこのヤクザ事務所を全滅させること。

 よし、ターゲットが増えた。

 二流のバカなら「おい、出てこい」とでも言って出させるのだろうが、その必要はない。

 獲物のナイフをダーツの要領で投げた。

 まっすぐに飛んで行ったそれはちょうどロッカーの扉を貫いて。

 そのまま肉を貫く音がした。

 遅れて苦悶の声。……仕留めそこなったか。

 ロッカーの扉を開くと、頭にナイフの突き刺さった少年。

「……ぁ……ああ……! 助けて……助け」

 煩い。

 頭に突き刺さったナイフで軽く脳みそを抉ると、すぐに黙ってくれた。

 これで今度こそターゲットは全滅した。


    *


 息を吐く。

 感慨はない。

 自宅アパート。汚れが落ちやすい特殊繊維製の服を洗濯機に突っ込んだ。

 それでそのままシャワーを浴びる。

 流れ落ちる水は赤く染まって、傷一つない白い肢体があらわになる。

 この身体は、ひとつの失敗もしたことがない私の微かなプライドのようなもの。丁寧に汚れを落として、次の仕事に備える。

 仕事、といってももう時間も遅い、日の出前。学校がある。

 風呂場から出て、体を拭き。

 ふと、六畳一間の片隅に置いた学生カバンに目を落とす。

 宿題で進路希望調査があったんだっけ。

 ……なんて書いたらいいのかわかんないや。

 だって、希望なんてないんだから。

 いまのところ暗殺で生計は建てられているし、大学だって行く必要はない。高校だって行かなくてもいいけれど、世間体のために通わされているに過ぎない。

 夢? そんなものはとっくの昔に捨てた。

 人を殺したあの日、心はどこかに捨てた。

 一人きりになった日から、私は――。


「ねぇ、おねぇちゃんもひとりなの?」


 ナイフを構えた。

 脳内に響いた声。周囲を警戒する私に、声はなおも語りかける。

「おねぇちゃん、いいにおい。わたしみたい」

 ふわりと風がそよぐ。窓も空いていない、真っ暗な部屋に。

 自分以外の立てたわずかな空気の揺らぎに、私は警戒心を最大にし。

「ここだよ、おねぇちゃん」

 耳元。鈴の鳴るような声。ナイフが笛のような音を立てて切り裂いたのは――空気。

「もぅ、おねぇちゃんやめてよぉ」

 声は確かにする。なのに、殺せない侵入者。

「……誰?」

 一言、囁くような声で聞くと、彼女は目の前に躍り出た。

 私は目を見開いた。


「わたし、ふうりっていうの」


 そういった彼女は“透けていた”。

 服が、どころじゃない。純白のワンピースも、白くてふわふわの髪も、日に当たったことすらなさそうな真っ白な肌も。

 その身体全てが、透けていた。


 関係ない。殺さなきゃ。私の前に出る奴は、私の秘密を知った人は、私の本性を見たモノは、すべて私のターゲット。

 少女の急所を狙いすました必殺の一撃は――また、空を切った。

「おねぇちゃんも、わたしがいらないの?」

「……」

 いらない。そう答えるのはきっと簡単だったのだろう。

 だが、答えるのも億劫だった。答える理由もなければ、意味もない。

 殺せない以上、私にできることはない。

「ねぇ、おねぇちゃん」

 上目遣いで近寄る彼女にできたことは、ただ目を向けることだけ。けれど。

「わたし、あなたがすきかも」

 はじめて触れたその言葉に息を吐いたのは、きっと偶然じゃなかったのだろう。後から思い返してそう思う。


    *


「キサイチってさぁ、いまいちノリ悪いよね」

「わかるー。名前読めねーし」

「それな。私市でキサイチとかどこぞの京阪だよ」

「人のこと言えんだろー、カタノ」

 私のうわさが聞こえる。

 どうやら、珍しい苗字だからそれをネタにいじられてるらしい。どうでもいいけど。

 少し気になってその声の方に目を向けると。

「うーわ、キサイチってばまた睨んでるよ」

「あんたヘーキなの? あたしってばあの紅い目で見られるとめっちゃ身ィすくむんだけどー」

「……実はビビッてちょい漏らしたわ」

「はぁ!? はよトイレいけし!」

 噂をしてたクラスメイトはどっか行ったらしい。

 教室はがやがやとやかましく、その中で私は隅っこの席で一人きり教科書を読んでいる。

 いつもそう。私は一人きり、心を殺している。

 見える景色は暗く濁っていて、酷く無感動だ。

 そう、今日もそのはずだった。けど。

「おねぇちゃーん」

 耳元で囁く声。ふうり。

 彼女の姿はほかの人には見えないらしい。私の背中に抱き着いているらしい彼女は、今のところ誰にも気付かれてはいない。

 そんな奇妙な存在を私は気にとめないように気をつけて。

「おねぇちゃーん!」

「ああもう、煩い」

 折れたのは私の方だった。

「……で、なに?」

 小声で聞くと、彼女ははずんだ声で。

「あそぼ!」

「なにで?」

「みんなで!」

 意味がわからなかった。けれど、すぐに理解することになる。

 次の瞬間、周囲の人間が浮遊した。

 驚愕を覚え目を見開く私。浮遊して驚き戸惑うクラスメイト。

「……ふうり、これ」

「ふふ、たーのしー!」

 ポルターガイスト現象というのだろうか。ある一種の超能力としか言い様のないその現象。

 クラスメイトどうしはぶつかり合い、時折首が折れたり血の花を咲かせたりしている。生きてる子も不定の狂気待ったなしだろう。

 なるほど、みんなで遊ぶとは「みんなを使って」遊ぶということだったのか。

 簡単に罪のない人の人生が壊れていく光景。なんの感慨も抱かずに見ていられる私が異常であるのは言うまでもない。

 けれど、疑問も湧く。

「……なんでこんなことしてるの」

「たのしいから! ぶつかって、あかいのがびゅーってでてて! おもしろいの!」

 私は理解した。

 ああ、彼女は純粋なんだ。

 善も悪もわからない。ただ、自分の楽しさや面白さを求めるだけの純粋な子供。

 故に、人の命すら玩具にできる。

 人ならざる感覚に、しかし私の胸は暖かくなっていた。

 私と同じだからだろうか。

 かつて捨てたものが芽生えていたことを、いまの私はまだ知らない。


「なにこれ……」

 案の定というべきか。さっき出ていった女子生徒が教室の入り口で立ちすくんでいた。

 ありえない地獄の光景。それを無表情で見ている私を、その女は化け物を見るような眼で見ていた。

 ……あれ、もう一人はどうした?

 出ていった女子生徒は二人いたはずだ。

「……キサイチさぁ、もしかして『視えてた』?」

 女の訝しげな口調に、私は目を見開く。

「アンタの後ろにふわふわ浮いてるの、それオバケだよね」

 何も言えない私に、ふうりは「なぁに? いまあそんでるんだけど」と不満げな声。

「悪霊じゃーん。祓っちゃおーぜ、玖瑠美」

「出てくるなよ、ミササギ。驚いてるだろうが」

 何もないところから現れたもう一人の少女。ミササギと呼ばれたそれは、よく見ると体が透けていたということに、今更になって気付く。

 けど、どうでもいい。

「ぶっ殺す」

 いますべきなのは、それだけ――。

「キサイチ……あれ、なんか指名手配犯にこんな顔の奴いたような……」

 背筋が凍る。

「……まさか、な。まさか、十年前の両親惨殺女児の噂って――」

 やめろ。気付くな。

 青ざめる女の顔。ふうりも私を見て。

「やっぱり、いっしょだったんだ」

 ふうりは微笑んだ。

 記憶がフラッシュバックする。


    *


 十年前、私は親を殺した。

 親は私を何にしようとしていたのか。あるいは、暴力のはけ口にでもしていたのだろうか。

 罵声と暴力で、私の心は殺されていって。

 やがて、何かが吹っ切れた。

 煩い悲鳴が切れるまであの生物を解体したことを、私は忘れない。

 警察に捕まって、色々と喋った。あいつらは信じられないものを見たような顔で驚いていた。

 しかし、アイツらがわたしを化け物として扱いだしたあたりから嫌気がさして、みんなをぶっ殺して逃げた。

 それから、暗殺者の組織に保護されるまで、私は私のことを知る人をぶっ殺して回った。

 三等親を皆殺しにしたところで、暗殺者の組織に保護された。

 暗殺の才能があった私を拾って育てられていた。

 師匠もそのうち用が済んだらぶっ殺した。だから、私の事情を知る人はほとんどいない。

 そのはず、なんだけどな。


 私の過去を知る人間は、一人残らず。

「ぶっ殺さなきゃ」


 突然目の色が変わった私に、女は一瞬怯み。

 私はにらみつけて。

「……私市キサイチ 霧刃キリハ。名前だけでも憶えて逝けッ!」

 殺す相手には名乗るのが礼儀。だから名乗った。名乗り――懐から出したナイフを投げた。

 狙うは女の眉間、脳の破壊、だった、が――。

「ならアタシも名乗ろうか」

 彼女は笑い。

交野カタノ 玖瑠美クルミ。祓い屋だ。アンタについてる悪霊、祓ってやるよ」

 ナイフの軌道が逸れた。

 何故だ――後ろの幽霊か!

 女、玖瑠美についてた幽霊――ミササギのポルターガイスト能力が、ナイフを動かした。

 そのことに気付いたわたしは、もう一本懐に隠し持ったナイフを逆手に持ち、地面を蹴った。

 息を吐き、女の首の大動脈を切ろうとする――が。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カンッ!!」

 妙な凄味と不可解に結んだ手の形。それが何を意味するのか――本能が理解する。

「からだ、あつい……っ」

「ふうり!?」

 気が逸れた。

 振り向くと、ふうりの身体が燃えていた。

 ――不動明王の真言。サンスクリット語の、仏の呪文。力あるものが唱えることで、様々な効果を生むとされる不可思議な呪文。

 そのことを私は知ることはない。けれど。

「安心しな。アタシはキサイチを傷つけるつもりはないからさ」

 優しげに言う彼女は、しかしふうりを退治しよぶっころそうとしている。それはもはや疑いようのない事実だった。

 そして、そのせいで私の気が逸れたことも。

 ――なんで気が逸れた? 自分の危険じゃないのに。

 理解不能。不可解な、エラー。

 殺さなきゃ。目の前の女を。でも、どうしてだろう。

 ふうりに消えてほしくない。

 そう思うのは。

 ああ、これが『感情』か。

 気付いてしまった。気付きたくなかった。けれど。

「ふうりッッ!!」

「おねぇちゃん。――きりは」

 微かに私の名前を呼ぶふうりに、私は触れた。

 暖かくて、寒気がした。

 記憶が流れ込む。冷たくて暖かい、触手のようなものが体の神経という神経をうねって入っていく感覚。

 私の頬が、緩んだのを感じた。


    *


 つめたい。さむい。

 まっくらなせかい。

 いたい。いたくて。

 もう、くるしくて。

 いたみだけが、わたしをしょうきにひきとめてた。

 とどまったまま、あのへやのなか。

 おはかもたててはくれなかった。

「たすけて」なんていみないってしってた。

 さけんでもだれもたすけてくれなかった。

 うるさいっていって、わたしをたたいた。

 つめたい、さむい。

 ここは、しんかい。


    *


 教室の温度が一気に下がる。

「なんだ、これ」

 呟いた玖瑠美。私は氷結する世界で一人笑う。

「まさか、固有結界……!?」

 凍り付く身体でミササギが呟いた。

 ――固有結界。自分の精神世界セカイカンの中に相手を引きずり込む、高等な魔術のようなもの。最上位の幻覚や幻聴、痛み、さらには臨死体験までさせることもあるような、これだけで致死クラスの、まさしく「最悪の霊障」のひとつ。

 私たちの共感シンパシーが生みだしたこの冷たい惨状は、まさしくその固有結界。

 名付けるならば――『孤独の牢獄ダークサイドオブザムーン

「ふうり。……私はあなたを守りたい」

「わたしも……きりは、きずつけるやつ……ゆるさない」

 だから。

 キン、と小さく金切り音がした。

 わたしはナイフを振り切っていた。

 ――次の瞬間、玖瑠美の首が、宙を舞った。

 目を見開いた彼女の今際の際。

「……カルマ、やべえ。こいつ……」

 言切れた彼女の目には何が見えたのだろうか。

 吠える声がする。ああ、そうか。

 ミササギは、相棒が命を失ったことを嘆き怒るのも忘れていた。

 私たちを、化け物を見るような、抵抗する気すら失せたような、そんな怯えた小動物の目で見ていた。

 ああ、そうか。私、いっぱい殺してきたからな。

「たべていいよ。『みんな』」

 ふうりが落ち着いた声で言うと、応じるように、獰猛なケモノの声。

 ミササギが悲鳴を上げて、逃げようとして――食いちぎられたように、四肢からもげていく。

 彼女を喰うケモノ――私が殺してきた人たちの霊は、あっという間に女の霊を食い散らし。


 悲鳴のような、耳鳴りがして。


 すべては、収束した。


    *


「そっか。ふうりの身体はこの中にあるんだね」

 東京湾、大井埠頭の岸壁に腰掛ける。

 その下の海を見て。

「うん。……わたし、まだいきてたんだけどな」

 私のいま住む六畳一間にかつて住んでいたとある夫婦。その間に子供が生まれて、二年程度は幸せな暮らしだったのだという。

 しかし、母親が交通事故で死んでから、父親は狂気に侵されたようで。

 押し入れに閉じ込められて暴力三昧の毎日。

 それにも二年くらいで飽きたのか、一年くらい押し入れに放置され。

 ある日思い出したかのように殴られ気絶させられ、コンクリートブロックを抱かされ、スーツケースの中に入れられて、海の底に沈められたのだという。

 親に鬱陶しがられ、それでも懸命に生きようとして、挙句の果てに口減らしされたということだ。

 花束なんて持ってこない。そんなもの、慰めにもならない。慰めの言葉も不要だ。そんなものはもう事足りてる。

 生臭い海。生温い海。うす汚れた、私たちの世界。

 私は立ち上がり、それを後にする。

「行こ、ふうり。けーさつが追ってくるから」

「ん」

 背中から抱きつくふうり。感覚はないけど……暖かい。

 こうして傷をなめあうことだけが、私たちの慰め。きっと、それでしか……永遠に、私たちは癒えやしない。

「好きだよ。ふう……」

「きりは。……そんなこと、いわなくていいよ」

 微笑むように、慰めるように言った少女の声に、私はわずかに口端を上げた。

 エンジンの音が聞こえる。サイレンが追ってくる。

 ああ、煩い。

「あそぼ」

「だね」

 少し、楽しい。そう思った。


 ほんの少し彩度の上がった世界。

 白い髪の少女を抱いて。


 今日も私は、希望を殺す。


 Fine.


    *


 初出:2022/03/20 小説家になろう、pixiv


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