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ロリセン!



「せんせー! 深海しんかいせんせーってドーテーなんすか?」

「ブフッ」

 教室。授業中。僕は噴き出した。

「なんでそんなことを聞くんですか」

「そんなことって、重要ですよぉ」

 どこが重要なんだ。頭を抱え、教壇。チョークを持ち直す。

「授業妨害はやめてください、新藤 ユウカ」

 呼ばれた茶髪の女生徒は頬を膨らませて渋々着席する。が。

「話そらしてるようにしか見えませんけど?」

 黒髪ロングの委員長が糾弾しだす。

「いま話すことじゃないでしょう、能田 リン」

「だったらいつ話すんですか」

「永遠に話さなくていいことです。授業を続けます」

 ため息をついて、黒板に文章を書く。

「××ページ、×行目。この『尊大な羞恥心』とはどういうことか――」

 淡々と授業を進める僕に、教室の誰かの声が耳に突き刺さる。

「……深海先生ってさ、なんていうかカタブツだよね」

「わかるわー。冗談が通じないというか」

「人生楽しくなさそう」

 うるせえよ。人生楽しくなさそうで悪かったな。

 実際、最近は週一でアニメを見る以外に特に趣味らしい趣味をしていなかったことに気づく。

 ……人生なんて楽しくねぇよ。悪いか。

 カッカと黒板にチョークを擦りつけながら、心の底で悪態をついた。


 そんなありふれた日。授業終わり、教員室。僕はため息をついて、パソコンに向き直り。

「コーヒー、いりますか?」

「ありがとう、鈴鹿先生」

 僕は一言感謝を告げ、傍らに置かれたマグカップの中身をすする。

 苦みの中に確かにある果実味。すっきりとした飲み口の暖かいブラックコーヒーに、僕はほうっと息をつき。

「ところで、大部おおべ先生って童貞ですか?」

「ブッフ!?」

 コーヒーを吹いた。

 それから、僕の傍らに立っていた小柄な女性教師に尋ねる。

「生徒にも聞かれましたが、それ聞くの流行ってるんですか」

「とくには。で、どうなんです?」

 僕は頭を抱え、渋い顔をして答えた。

「……そうですよ」

「聞こえませんね。もう一回」

「だから! シたことありませんよっ! 彼女もいたことないです!」

 やけになって大声を出した。教員たちの痛い視線が突き刺さって、僕は額を押さえる。

「そ。ありがとうございます、大部せんせっ」

 少し笑って自分の席に向かった鈴鹿先生。机に突っ伏した僕。

 最悪な気分だが、仕事は進めないといけない。資料作りのために、もう一度パソコンに向き直った。

 その日は仕事を終えて、普通に家に帰って、普通に風呂に入って、深夜二時過ぎまでパソコンで資料を作って、それから普通に眠りについた。そのはずだった。


 ――翌朝、僕こと大部おおべ 深海しんかいは女の子になっていた。


    *


「……」

 洗面台の鏡には、長い金髪を持つ美しい幼女。

 年齢はおよそ十歳にも満たない程度……もっと言ってしまうなら、小学校に入っているかいないか程度。

 ぷにっとしたもちもちの頬に、つぶらな瞳。自分の頬をつつくと、当たり前のように連動して自分の頬をつつく鏡の向こうの女の子。

 僕は口をあんぐりと開けて、つぶやいた。

「どーしよ……」

 とりあえず報告連絡相談だ!


 自分の上司に値する人間――要するに学年主任である山田先生に連絡を取る。

「うっわ……え、マジか。童貞宣言した翌日に……童貞のままで女の子になるなんて……」

「うるさい。お前は俺をなんだと思ってんだ」

「童貞」

「ひでぇ!」

 山田先生――山田 高雄という男は、僕の親しい友人でもある。こう見えて通常時は頼りになるいい男なのだが……。

「ぐへへ……同学年の教師が全員女になっちまったよ……ハーレムばんざい!」

 女性関連となるとこう、ひどくだらしがなくなる。

 ただ、ハナから彼は当てにしていなかった。

「そういえば、お前って鈴鹿先生と連絡先交換してたよな」

「あー……学年主任だからな。それ以前に関わりのある先生とは基本連絡先を交換するようにしてたけど。え、お前まさかして」

「鈴鹿先生に連絡してくれ。女性関係は彼女のほうが詳しい」

「お前さ、人間関係を構築しようとしないところ、直したほうが良いぜ? こういうときに苦労するのはお前だろ?」

「……肝に銘じとくよ。あと今日は体調不良ってことで休ませてくれ」

「へいへい、了解」


 電話を切ってしばらくして、インターホンが鳴る。

 朝食に食パンをかじっていたところだった。

「はーい……鈴鹿先生」

 インターホンの画面に映っていたのは、小柄な女性教師である鈴鹿 くるみ先生。

 二十四歳で、昨年新卒で赴任してきたばかりの教師である。若くて女性文化にも詳しいので、そういうものに乏しい僕に色々とインストラクションしてくれるだろうという予想のもと呼んだのだが。

 玄関のドアを開けると、彼女はすかさず僕をぎゅっと抱きしめた。

「っ!?」

「大部先生、こんなにかわいくなって!」

「待て待て待て! なんで俺だってわかったんです!?」

「だってここ、先生の家でしょう? 確か一人暮らしって言ってましたし、あと山田先生からことの詳細は聞きましたしね」

 すっと落ち着いて冷静に告げる彼女に、僕は少しぞわりとしたものを感じる。

「どうしたんですか?」

「なんでもないです。とりあえず」

「まずはお着替えしましょうね! それともシャワー浴びますか?」

「話を聞け!」


 そして。

「どうしてこうなった……」

 僕は呟いた。

 ここは、僕の務める学校――光陽女学院中等部の講堂。朝礼の舞台の上である。

 がやがやとした騒がしい生徒の声。よく聞いて見ると、壇上に立っている金髪ツインテールの幼い少女が誰なのかという話題でもちきりだった。

 僕はあれから色々体をいじられた。

 髪をツインテールに括られ。何故かサイズがピッタリの女児下着を着せられ、極めつきはフリルやレースなどの装飾がついた可愛らしい女児服まで身に着けさせられ。

 すーすーとスカートの中に空気が入り込んできて、露出した足がひどく寒く心細く感じる壇上。生徒会長の「静かにしてください」という言葉で一気に静まり返る講堂。

「朝礼が始まる前に、校長から言いたいことがあるそうです」

 そう言って生徒会長は校長先生にマイクを譲る。

 その校長は、ハゲてツルツルの頭頂部をいつも通りに鈍く光らせながら、告げたのだった。


「えー、このたび――大部先生が、幼女になってしまわれました!」


 大歓声が上がった。なんで?


    *


 休むつもりだったのに結局出勤させられた僕は、頭を抱えながら自分のクラスの出席をとろうとする――が。

「せんせー!」

「…………なんですか」

 いやな予感に出席簿から顔を上げると、その生徒――新藤 ユウカは、満面の笑みで僕に質問を投げかけた。

「ドーテーのまま女の子になっちゃった感想を聞かせてください!」

「尊厳にかかわるので聞かないでくれますか?」

「ちなみにわたしはぱにぽにだっしゅみたいで面白いと思いました。マホ」

「聞いてもいないことを喋らないでくれますか?」

 あとぱにぽにだっしゅってすごい昔のアニメなのに、なんで現代の女子中学生が知ってんの?

 ……いま着せられてる白衣が余計にそれを連想させているのだろう。なんで着せた。

「そんでベッキーせんせー」

「僕はレベッカ宮本先生とは何ら関係ない存在ですが」

「じゃあ何て呼べばいいですか」

「普通に呼べばいいでしょう」

深海しんかい先生」

「そもそも下の名前呼びも許可した覚えはないのですが」

深海みみちゃん先生」

「わざわざ呼び変えないでください」

「えーっとえーっと」

「普通に苗字と先生で呼んでもらえますか」

大部おおべちゃん先生」

「ちゃんはいらない!」

 ぜーぜーと肩で息をする僕。それに対して、その新藤はひとりごとのように口走った。

「はー……それにしても深海先生可愛くなりすぎ! くるみん先生に感謝だよ~」

「……は?」

 絶句する僕。くるみん先生とは……たぶん鈴鹿 くるみ先生のことで。

「え?」

「言っちゃダメだって言ってたじゃんアホユウカ!」

「あっ、ごめんリンちゃん。忘れてた」

「いますぐ鈴鹿先生を呼べ!」

 怒鳴った僕を、生徒の女子たちは可愛らしいものを見る目で見ていた。


    *


「授業中に呼びつけて。いけないんですよ? そういうのは」

「もっといけないことをしている人に言われたかありませんよ」

「やだやだ、おませな言葉遣いをする娘ですね。背伸びしてるみたいでかわいいですよ? 深海せんせ――いや、深海みみちゃん先生!」

 僕は歯を食いしばった。

 白衣に茶髪ポニーテール。一目見ただけでは高校生のようにも見える童顔の、しかしれっきとした教師である彼女――鈴鹿 くるみ。

 その声を聞いただけで、名前を呼ばれただけで、まるで強いアルコールを飲んだかのような酩酊感を覚え、くらくらしてしまう。

「みみちゃん、あなたは『シンカイ』という男じゃなくて、『みみ』って名前の女の子」

「うるさいっ、洗脳しようとするんじゃない!」

 必死に耳をふさいで抵抗しようとする僕に、彼女は近寄り。

「洗脳じゃありませんよ。ただ、わたしは『秘められた本当のあなた』を呼び覚ましているだけですよ」

「ふあぁっ――っそ、れが、洗脳って奴だろ! いい加減にしろ鈴鹿!」

 ばっ、とどうにか『堕ちる』誘惑とともに彼女を振り払うと、その白衣の女は濃い紫の瞳をどこか優しげに歪ませ。

「あらま、口が悪い」

 そう告げる。


 肩で息する僕と、余裕そうな鈴鹿先生。教壇の前で対峙する、二人の教師。

 しかし、その姿はまるで――「姉妹っぽくない?」「やっぱそーだよね。姉妹喧嘩に見えてなんかかわいいわ」

 この際、生徒の私語を咎められる状況ではなかった。……姉妹喧嘩のような絵面だ、というのにも納得してしまう自分がいて、やはり自分は本当に女の子の身体になってしまったのだという実感がわいてしまう。

 数秒の沈黙。「呼吸は整いましたか?」余裕ぶって鈴鹿先生が聞き、僕はそれに若干の不服を混じらせながらゆっくり頷く。


「……なんで、僕をこんな姿にしたんですか、鈴鹿先生」


 僕の問いに、彼女は少しだけ考えるようなそぶりをして。

「なんとなく、ですかね?」

 答える。そんな態度に、僕は怒りを最大限まで抑え込みながら、しかしそれでも溢れ出す怒気をにじませた声音で告げる。

「なんとなくで人生ぶっ壊されてたまるかってんですよ」

「壊れてはいないでしょう?」

「……は?」

 堪忍袋の緒がぷつんと切れかかっているのを察したのだろうか、彼女は論理的に説明しだす。

「まず、あなたの戸籍は変わってないです。年齢は二十八歳のままですし、一応性別も男性のまま。教員免許なども変わってません。つまりは社会的地位はそのままです」

「……でも、姿かたちが変わったのは何かと不便だ」

「指紋などの生体的な個人特定情報が変わらないのはラットなどで実証済みです。しかるべきところでしかるべきことを行えば、引き続きあなたは大人の、教師のままですよ」

「…………クソッ、理系め」

 悪態をついた僕を、周囲の視線は微笑まし気に僕を突き刺す。

「でもね、それじゃいけないんです。心は女の子になって、可愛がられながら教師を続けるあなたが見たいんですよ」

「意味が分からない!」

 理解したくもなかった。

「もういい、早く僕を元の身体に戻せ!」

 もはや外面を取り繕うことさえできなくなっていた。

 叫んだ僕に、彼女は「いやです!」と食い気味で叫ぶ。

「なんでですか。なんとなくなら――」

「いやです。なにがなんでも、あなたを元には戻しません」

 その言葉尻にどこか切迫したものを感じたのもつかの間。


「くるみん先生」

 一人の生徒が、こちらに駆け寄ってきて――鈴鹿先生に話しかけた。

「なんですか、新藤さん」

「……もう、隠さなくてもいいんじゃないかな」

 新藤が告げると、鈴鹿先生は目を伏せ。

「きっと、先生もわかってくれるよ」

 そんな励ましで、意を決したように僕に向き合った。


「大部先生」

「なんですか」


「……わたしは、あなたのことが――好きでした」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 彼女は、ぼろぼろとこぼすように。

 告白を始めた。


「――あれは、新任で入ってきた頃です」

「正直、一目惚れでした」

「あなたのどこかドライでクールな態度が、わたしに突き刺さって」

「でも、告白する勇気なんて出ずに様子をうかがってるうち、気付きました」

「あなたの目が死んでいることに」


「ハイライトのない目に、楽しさといったものは一切感じられず」

「わたしを惹きつけた姿は、無気力ゆえの惰性だったのだと気付きました」


「その頃、わたしがいた大学のとある研究室で、『ヒトの性転換を人為的に引き起こす』研究が行われていることを知りました」

「わたしはそれを利用させていただきました」

「人為的に性転換を起こす条件の一つに性的交渉をしていないことも含まれていたので、昨日あなたが童貞かどうかを聞いて」

「コーヒーにその薬を入れ、飲ませました」


「あなたの笑顔が見たかったから」


「一度でいいから、楽し気なあなたの姿を見たかったんです」

「わたしにできるのは、女の子の楽しさを教えてあげることだけ」

「だから、女の子にして、楽しさを共有したかった」


 悲痛そうな告白に、僕はただ、頷くことしかできなかった。

「いつもなんかつらそうで、私もそれを見てられなくて。キマジメでかたくるしいせんせーを変えたかった。だから、私達は協力したの」

 新藤の言葉に、教室の生徒の大半が頷く。

 そんな光景を見て、僕は自分を顧みた。


 僕に夢があったのは、ずっと昔のことだ。

 幼い子供の頃は、果てしない未来に夢を見ていられた。

 教師を志したのはいつからだか、もう覚えてはいない。

 夢は憧れになり、憧れは目標になり――その過程で、一つ一つ楽しかったものを捨てていった。

 未来は先の知れたものになって。

 可能性は狭められて。


 なにが楽しかったのか、わからなくなって。


 いつしか、こんな機械人間が出来ていた。


 僕はこれでいいと思っていた。すり減って壊れても。

 けど。


「……僕は、知らずのうちに、大切なものを失っていたのかもしれない」


 俯いて一人呟いた僕に、鈴鹿先生は一本の試験管を差し出す。

「いちおう、理論上はもとに戻れるであろう試薬です。……まだ実験すらされていない代物ですけど」

 中には少量の液体。僕はゴム栓を開け――。


「飲まないんですか?」

「いまは、いいや」


 ――締めなおした。


「危険なものは飲まないに限るからな」

「もう、素直じゃないですね!」

 そんなふうに軽口をたたきあった。

 その口端が緩んでいたことに、その時の僕は気づいてはいなかった。


    *


 僕が女の子になった日から数日がたった。

「そういえば、あの薬持ってます?」

 鈴鹿先生の問いに、僕はしばし逡巡してうなづく。

 あの薬。たぶん「もとに戻る薬」のことなのだろう。

「ああ、大切に保管しているが……」

「あれ、どうやら効果なさそうです」

「はァ!?」


 僕の素っ頓狂な声に、教員室中の視線が集まった。

「お、なんだなんだ? 朝から痴話喧嘩か?」

「山田先生は黙ってて!」

「うーん、娘に嫌われるパパのような気分」

 気持ち悪いことを言う男性教師は放っておいて、僕は鈴鹿先生に話を聞く。


「で、どういうことなんですか」

「あのあと、性転換したラットに投与して様子を見る実験が行われたらしいんですけど」

「ほうほう」

「今のところ何ら効果は出ていないようで、現在絶賛研究中だそうです」

「そうなんだ……」

 ちょっと期待してたのに。

 しゅん、と落ち込んだ僕。……微笑ましいものを見たような視線にも慣れたはずなんだけどな。


 結局僕は、未だ金髪幼女のままでいる。

 戸籍上の名前なども変わらず(各種免許の証明写真は撮り直しになったけど)、国語教師のままでやれている。

深海みみちゃんせんせー! 課題持ってきたー……あ、くるみん先生とよろしくやってた感じ?」

「違うから。勘違いするなよ新藤」

 呆れながらツッコミを入れる僕の頭を、生徒であるはずの彼女はさわさわと撫でた。

「んぅ……」

「あー、にゃんこみたいでかわいいっ」

 無意識に頬が緩んでいることには気付かないまま、僕はされるがままに撫でられ。

「嬉しくなんてないぞ……」

「じゃあやめますか?」

「……」

 少しの逡巡ののちに、首を軽く横に振った。

「せんせー、子供みたい」

「うっさい」

 確かに幼児退行してきてる気もするけどさ。


「……大部先生、いま楽しいですか?」

 鈴鹿先生の問いかけに、僕はほんの少し目をそらし、うつむいて――柔らかい表情を浮かべて、告げた。


「ええ、楽しいです」


Fin.



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